御注文品/承り物

□4月のうさぎ
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「‥っの浮気者!!死ねっ!!」
「いやっ…アンナ違う誤か‥‥ぎゃあああああっ!!」

平和な――試合でたまに死人は出るが概ね平和な――東京の無人島に、悲痛な叫び声が響き渡った。
選手宿舎として宛行われた旅館の一室で盛大な悲鳴を上げているのは、最愛の許婚にあと一息で撲殺されそうな15才、ふんばり温泉チームの麻倉葉だ。
アンナのプロからスカウトが来そうな乱打と蹴りを受け、葉は景気良く吹っ飛び窓枠に引っ掛かった。普通の人間なら間違いなくこれでダウンだろう。
とは言え葉にとってはこのくらい日常茶飯事である。すぐさま飛び起きて、葉は花瓶の一撃を辛くも躱した。しかしそれを見たアンナは、間髪入れずに更なる凶器を空に翳す。

「避けるんじゃないわよ!」
「バカ言え死んじまう‥わあああ!」

飛んで来た凶器、もとい湯飲み茶碗を葉は何とか回避した。だが避けられたのはその一撃のみ。
慌てて逃げようとした葉の右頬に、今度はアンナの平手が襲いかかる。

「ふぶっ!」

華奢な少女の細腕のどこにあんな力が込められたのか。疑問に思う間も無く、葉は鮮やかな曲線を描いて襖に突き刺さった。
それでも諦める事なく、葉は殴られた頬を押さえてまた起き上がる。

「だから、さっきから勘違いだって言ってんだろ!」

流石に若干ふらつきながらも、許婚を宥めようと葉は必死だ。
しかし、どうやら今回許婚の怒りはその程度では治まらないらしい。
葉が叫んだ次の瞬間、アンナが振りかぶっていたのはスタンダードかつ凶悪なデザインの金棒だった。

「あーら、これだけ堂々とやっておいて、まだ言い訳するのかしらっ!!」
「うぶうっ!!」

たとえ度重なる修行と試合のお陰で多少は打たれ強い葉でも、頭を鈍器で殴られてピンピンしてはいられない。
いくらギャグシーンとはいえ、基本的に葉は人間である。
嫌味を込めた言葉と共に許婚を力一杯ブン殴ったアンナは、そのまま逃げるように部屋を飛び出してしまった。

「……う、くそぅ」

反面、顔を上げる事も出来ない葉は畳に齧り付いたままで小さく呻くしかない。
すっかり静まり返った部屋の中で、惨劇の一部始終を周りで見ていたうちの一人、チョコラブがそっと葉に近付く。

「葉…だ、大丈夫か?」
「大丈夫………じゃ‥ない」

チョコラブの問い掛けに何とか顔を上げたものの、葉のダメージはかなり深刻だった。
浮かべかけた笑顔をそのまま放棄して気を失った葉を見て、チョコラブが悲鳴を上げる。

「うわああホロホロ急げ!氷だ!」
「お、おう!ほら、しっかりしろ葉!!」

慌てて駆け寄ったホロホロが葉の頭の腫れを冷やしにかかったが、すっかり伸びてしまった葉はピクリとも動かない。
ギャアギャアと騒がしい仲間たちを横目に、一人部屋の壁に寄り掛かっていた蓮がうんざりと溜め息を吐いた。



「全く……葉、貴様今回は何をしでかした」

何故か楽しげなファウストに包帯を巻いてもらっていた葉は、蓮の言葉に伏せていた顔を上げた。
心配そうにファウストの手元を覗き込んでいたホロホロとチョコラブも、そういえばと首を傾げる。あまりに凄惨な光景だったせいでうっかりしていたが、さっきのアレは一応夫婦喧嘩だったのだ。
夫婦が喧嘩をするからには、何かしら理由があったに違いない。そもそもアンナは言っていたではないか、「この浮気者」と。

「なにって‥‥う〜ん?」

葉はまだズキズキ痛む頭で、ゆっくりと記憶を辿り始めた。けれどもやはり、アンナの逆鱗に触れるような行為なんて思い当たらない。だからこそ、葉は必死に勘違いだ誤解だと主張したのだ。
考え込む葉を見て、顔を見合わせたチョコラブとホロホロが助け船を出した。

「じゃあ〜、誤解されるような相手と会ったんじゃねえか?」
「メイデンちゃんとかよ、お前のヨメ意外と嫉妬深いからな」
「……メイデン」

に会ったのは、5日前の試合観戦が最後である。だいたいあの時はアンナも一緒だった。
今日会って話したのは、チームTHE蓮メンバーとファウストにまん太に竜、あとは散歩に出たときに見掛けたリゼルグ、それにハオとオパチョと知らないパッチ族くらいだ。
メイデンどころかアンナ以外の女の子とは一人も話していないのに、何を見て浮気疑惑など持たれたのだろう。

「やっぱ覚えが無えけどなぁオイラ…」

アンナが聞いたらさらに熱り立ちそうな一言に、チョコラブとホロホロも頭を抱える。
さっきまでの惨劇が嘘のように静まり返った室内で、葉はアンナを思い浮かべて顔を曇らせた。怒られるのも殴られるのもそれはそれは恐ろしい。でも、アンナに嫌われるのはもっと怖い。
すっかり意気消沈の葉を元気付けようと、チョコラブが明るい声で葉の背中を叩いた。

「ま、とにかく今は早いとこ説明して誤解解くのが一番じゃね?」
「そうだよなぁ‥」
「しっかりしろって!オレたちも何か手伝ってやるから!」

続いて面倒見の良いホロホロも、明るく笑いながら葉の顔を覗き込む。
二人が気を遣ってくれているのを感じて、葉も嬉しくなって少しだけ微笑んだ。

「ありがとな、ホロホロにチョコラブ」
「おう!」
「ま、何とかなるさ、だろ?」

チョコラブが冗談めかして葉の口癖を真似て見せたので、葉とホロホロは顔を見合わせて笑った。さっぱり似ていない。




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