ひより

□無情にも繰り返す日常に
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いつまでも変わらぬ青色の水平線。もう数日、陸と思しきそれも見当たらない。どこまでも、どこまでも青く、時に白く寄せる波。そろそろ船員達のやる気も覇気もなくなってきて、我らが提督の振るう采配に不満が高まってきていた頃だ。へんてこな名前をつけていびってやろうとか言い出す輩もいた。一応船員との人間関係を大切にして、そうやって提督についての愚痴を言うグループにも話を聞きに行っていたけれど、どうにも馬鹿らしくて愛想笑いだけしてその場からは早々に外れた。
人の輪から外れてしまえば、オレは何もすることがない。船専属のコックなんて仕事は、意外とやることが少ない。使えるものは積んである食料しかないわけだから、早いうちに最低限の下ごしらえをして保存性を高めておけば、あとは煮るなり焼くなりどうとでもなる。計画性には自信があるので、そのくらいは初日にある程度済ませてしまっている。だからオレの仕事は鍋なりフライパンなりを火にかけて、加工済みの食品を調理するだけ。だからおそらく、船員の中で一番オレが楽をしている。大した力仕事もなければ、持ち前の頭脳で出来る以上のことはしなくても良い。休憩時間が多いというのが、何処へも寄れない単調な船旅においてご褒美になりえるのかどうかは甚だ疑問だが。
長いこと説明しても仕方がない。要するに、暇を持て余している時間が人より多いということだ。だから暇つぶしに人の話を聞きに回ったりしたのだが、最近は彼らに覇気がなくてどうにもつまらない。最近の彼らは後ろ向きな話題しか落とさないから困る。青い海を背景に、灰色の話をされても興味のないオレは気が滅入るだけだ。
だからより面白い話を求めてオレは提督の元へと行く。いつも一人はしゃいでるコロちゃんことコロンブス提督は、今日は甲板には出ていないようだ。見晴らしの良い船上を一回りしてみても見つからなかったから。

(……いつも靴音すらうるさいあの人が珍しい)

目に付く金髪も、耳に残る靴の音も何もなくて、甲板はやる気のない船員の気配しかない。日常に残る違和感が拭えなくて、思わずもう一度甲板を見回した。しかし何度見てもいないものはいない。揺れる金髪は見つからない。甲板にいないなら、何処だろう。
ふと、オレの持ち場が思いついた。そんなところにコロちゃんがいるだろうかと一度その可能性を考え直してみた。いないとも限らないという結論に達した。足は食堂へ向かう。扉が見えた。扉の小窓からはまだ何も見えない。近づくごとに、よりその窓の存在が大きなものとなっていく。ついに覗けば中が見える程度にまで距離が縮んだ。思うものがいることを心の端で小さく期待しながら、外から食堂が垣間見える唯一のそれに、オレは顔をそっと近づけた。
ざっと見えるのは食堂の大きな机。卓上には昼食後に片付けた通り、それなりに美しく整っているはずだった。
しかし、所定の位置に座っているそいつの所為で、少々散らかっている。
コロンブス提督だった。ほんとにいるとは思わなかったから、小窓からの風景にどきりとした。
外はねくせっ毛の金髪を揺らして、地図や羅針盤とにらめっこでもしているかのように難しい顔をしている。小さな窓に切り取られた光景が、普段船員達には見せない提督としての威厳のようなものがある気がした。

(……今オレが入ると、邪魔だろうか)

突如生まれた逡巡がオレをその場に釘付けにした。そしてその躊躇いがいけなかった。ふとコロちゃんが顔を上げた。金髪が揺れて、青い瞳がオレを捉えた。そして、その目がぱっと開いて。
がたっ、と大きく椅子が揺れた音が扉の向こうでした。もちろんそれに連動する動きを見た。ドアを開けに、コロちゃんがここにやってくる。近づいてくる彼に、咄嗟に扉から離れた。

「びっくりさせんな!ていうかどこ行ってたんだよ」

いつも通りのコロちゃんの大声と一緒に、戸がオレに襲い掛かってきた。もう少し離れるのが遅かったら、おそらく鼻はひしゃげていただろう。その想像に背筋をぴんと張らせて、それでもコロちゃんに笑いかけた。

「夕食の準備まで時間があったんで甲板でのんびりしてました」

「何だ、そっか」

「コロちゃんは何してんですか、食堂なんかで。デザートなんか出しませんよ」

「机上で考え事したかったの。自分の部屋よりも、ここなら何かあったときにすぐ甲板までいけるだろ。ていうか、コロちゃんって言うなっていつも言ってるだろ!」

もはやお約束になりつつある「コロちゃんって言うな」のやり取りに、はいはいと適当に相槌を打った。適当さが勘に触るのか、コロちゃんはじとりと目を据わらせてオレを見つめた。

「……あー、はいはい。この前のクッキーの残りあげますから機嫌直してください」

「クッキーだけ?」

「それじゃ足りませんか?」

「提督をぞんざいに扱っておいてそれだけってお前、ないわー」

「うざっ」

「うざくない!」

耳に残る声。詰め寄られるたびに鳴る靴音。少し聞くのが遅くなった音が、波のようにオレに寄せてくる。
いまいち物足りなかった海と空の風景が、やっと日常に戻った気がした。


無情にも繰り返す日常に
飽きたりはしない
(波に飽きることなんてないでしょう?)


2009.11.29


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