ひより

□願わくば次に来る世界で
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「ちょっと相手してくれない?」

月曜日の夕方。
本屋で何となく専門書を眺めていたら声を掛けられた。
白い肌に黒い髪の毛。首から下も真っ黒。見るからに痩躯でぞっとするほど冷たい色味の男が僕に向かって軽く笑いかけていて、僕の警戒心が働いた。
自然と睨みつける僕に、男は困ったような声を上げて弁解を添えた。

「安心してよ。変な奴とかじゃないから」
「…………」
「こんな人の多いとこで君みたいに真面目そうな子を引きずって誘拐とかしようと思う?怪しまれるのはわかってるのにね」
「……今の時点で充分怪しいです。それに、そんな言葉に安心するほど素直じゃないです」
「……ま、そうだよねえ」

賢い子だなあ君は。と思ってもいないだろう事をぼやく男。
困りながら頭を掻きながら思案する様は頼りなく見えた。

「じゃあ、こうしよう。今から道を聞くから、素直に答えて」
「もうそれ意味が分かりません」
「仕切りなおしさ。……あ、道を聞くパターンはご両親から危ないって言われてるかな。じゃあお菓子上げるからおいでよ」
「どっちにしても行きませんよ」
「もー。引きずっちゃうぞ」
「意味合い曝け出ちゃいましたけど」
「本当だ」

なんだこいつ。という疑問に脳の警戒信号が麻痺した。男につられて口角を上げてしまったことに気付き、慌てて口を引き結んだ。
男は笑いをおさめた僕に気付いて笑みを消す。

「いや、ほんとに怪しいもんじゃないんだよ」
「じゃあ何者なんですか」
「うーん。それは言っちゃいけないんだよ」
「じゃあダメですよ。あなたとはいけません」
「お堅いなあ」
「身元が分からない人には誰もついていかないと思いますよ」
「言えないんだもん」
「だから、それじゃあ仕方ないですねって言ってるんです」

ぴしゃりと言うと、男は黙る。打つ手がないから静かにしたというわけではなく、次はどのようにアプローチをかけてみようかと考えているようで楽しそうだった。本当になんだこいつ。
左右が棚で挟まれた空間をきょろきょろと見回し、自分の背後にある何かを見つけると、男はそっか、と呟いた。そしてくるりと僕に向き直り、また笑い出した。

「んー。じゃあさ、人がいっぱいいる所なら良い?」
「は?」
「だから、人がいる所ならついてきてくれる?」
「……安全なところなんでしょうね?」

男の話が上手い所為か、ものの数分話しただけで僕のがちがちの警戒心は早くも解れ気味だ。男もそれを見透かして、自分も譲歩しての提案なのだろう。
僕の問いかけに、男は安堵したように肩を下げた。どうやら男もまた緊張していたようだった。

「うん。あそこなんてどうかな」

指を差した先にはガラスの入り口。その向こうは大通り。対向する位置にあるのは、割と大きなファミレスチェーン店。人も多そうで、おそらく僕がその気にあればいつでも逃げ出せるだろう。なるほど、少しでも自分に恐怖したなら逃げろということか。

「安全そうですね。わかりました」

頷くと、男は嬉しそうに僕の手を取った。無遠慮だな、と思ったけれど既に警戒してはいないので、振り払うまではしなかった。

「助かるよ」
「それで、何の相手なんです?」
「うーん。とりあえずは話相手かな」
「とりあえずはって」
「まあ良いじゃない」

さあ、と掴まれた手首をくい、と引っ張り僕を連れ出した。







男はファミレスで禁煙席を望み、僕を廊下側の椅子に座らせていた。

「おいしかったねえ」
「ごちそうさまでした」

目の前には空の小さな皿が二枚。男はクリームたっぷりの生菓子。僕はこの店一番安価のデザート。(頼んだときに、男に「張り合いがないからもっと高いの頼め」と言われたが。)
男は軽く笑い僕を見つめていた。何となく居心地が悪くなり、椅子の上で身じろぎした。

「甘いものを食べると、無口になるよね」
「蟹でなくて?」
「オレは蟹より甘いもののが無口になるけど」

そうですか、とその話はそこで終わる。こんな会話ばかりだ。
頼んでいたものを食べている時もとりとめのない話が、ぶつ切りではあるが進んでいた。


「君、美味しそうにものを食べるねえ」
「初めて言われました」
「そっか。多分だけど大学生だよね、学校楽しい?」
「上々です」
「ふーん、今好きな人とかいるの?」
「特には」


どれもこれも僕が一言答えておしまいになるものばかり。実際男はそれで満足していたし、僕もこの位の質問なら、と適当に流していた。
しかし全部僕に関する質問ばかり。話し相手になって欲しいと言った割には自分のことを話そうとしない。意味がわからなかった。
ウエイターが空いた皿を下げに来た後も、僕と男はその席にいた。彼からの問いかけがまだ続いていたからだ。

「喉渇いたねえ」
「ドリンクバーならあそこにありますよ」
「ここにきてドリンクバー頼むと、まだしばらく帰れないよ」
「それはあなたの話でしょう。僕はいつでも逃げてよかったんですよね?」
「ああ、そうだった」

そういうことだったね、と男は白々しく言うとメニューを取り出してまた開く。警戒こそしていないものの、やはりまだ彼に信頼を置くのは難しい。しかしこの男、いるだけで退屈しない。だからこそ、安全性は確保されているのだから、と僕は自分の心に正直になり、そのままずるずるとここで長居してしまう。
そして今、ついに自分からきっかけを作ってしまった。

「……君も要る?」
「はい」
「そっか」

まだここにいるつもりです、という意味合いを上手く感じ取ってくれたらしい。男は笑って手を上げて、近くにいるウエイターを呼ぶ。駆け寄ってきたその人にこれ二つ、と指を作って笑いかけた。
簡潔に説明をし、頭を下げて早々に立ち去るウエイターを見送ると、男は音もなくソファーから立ち上がった。僕もいこうと椅子を鳴らすと、君はここにいてくれて良いよ、と制止を食らった。頷きながら浮いた腰を落ち着かせると、男は満足げに笑った。既に誘拐目的でないことは察しているので端々に見える優しさに不安はないが、ここまで扱いが紳士的だと少し気恥ずかしいものがある。
しかしあちらがこの機会のホストであり、僕は客なのだと考えれば、このどことなく奇妙な事態も飲み込めなくはない。
そうだ、この事態は奇妙で出来ているのだから、あの人の扱いも僕にとって奇妙であることに何の問題もない。
そう思わなければここには座り続けられない。理詰めで解釈してはならないのだろうと、これもまた理屈で考えた。

「お待たせ」

上から声がした。見上げると男がいて、その店の名前が印刷されたコップになみなみ注がれた橙色の液体を手渡された。

「どうも」
「オレンジジュースでよかった?」
「はい」

コップを受け取り、ストローを貰う。包装を破いてストローを取り出すと、遠慮なく液体に突き刺した。

「……君の金髪ってさ、地毛?」

不意に僕の話に戻り、吸いかけていたオレンジジュースがストロー内で静止した。もったいないので一口分吸って、舌の上を転がさず喉に通した。あまり味は感じなかった。

「いえ、染めてます」
「ファッションか」
「そういうわけでもないです。何かこう、金髪がしっくり来るっていうか」
「なるほどね」

男は持ってきた炭酸を飲みながら笑った。苦笑であったようにも感じた。

「じゃあさ、その肌も焼いたの?スポーツ焼け?」

僕の手を指差して男は続けて質問を投げかけた。意識をしたことがないが、改めて見てみると真正面の男の肌とは対照的なほど色づいていた。

「地黒なんです」
「そんなに?」
「まあ多少は日焼けもあるでしょうけど」
「すごいなあ。肌に色がつくなんてね」
「あんた炎症起こしそうですもんね」

僕のことばかり掘り起こされるのは良い加減癪だったので、背筋が凍ってしまいそうなほど生白い首筋を指してやった。男は初めて自分の事を言われたことに少し驚きながら、ああ、と自身の手の甲を見つめた。
レストラン内の暖色の照明に曝されているのに依然寒色を維持し続ける肌。恐ろしいほど環境に染まらないその色が、改めて恐ろしく感じた。
まるで、死人のような。

「……そうなんだよねえ、この色以外にならないんだ」
「それもすごいですよね。いったいどんな環境に生きてたらそうなるんですか」

ぴくりと眉が動いた。男のだ。
しかし垣間見えた動揺はすぐに引っ込み、男が得意とする軽い笑みが浮かんだ。

「ほんとにねえ」

男は炭酸を多く口に含んで喉を鳴らした。いっぱい飲むとひりひりするねえ、と話を逸らしたので、僕は対応が気に食わなくてそうですか、とつっけんどんに返した。
男も自分の対応が僕の気を悪くしたと感じたのか、しばらく彼は黙っていた。




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