12/30の日記

22:19
日本の処刑シリーズ 平安時代
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基本的に平安時代は仏教を重んじり、平和ボケしていた時代なので、処刑などの流血沙汰の刑罰はすくなかったみたいです。
が、皆さんご存知のとおり、律令制度が整ったとき八虐という制度ができまして、天皇に逆らった場合には死刑もあるぞという感じのやつでしたね。
でもまぁ基本的に死刑制度は廃止されてましたので、やはりそれも極稀のケースのようです。






しかし実際処刑された方々もいるわけで、まぁ代表的なのが、承平・天慶の乱の中心人物である平将門や藤原純友で、京都で晒し首となったそうです。





そしてそれから1156年に保元の乱というものがおきまして、その乱後、再び死刑制度が復活して、1159の平治の乱では藤原信頼が斬首になりました。
これは教科書レベルですね。

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