翅結ワエ

□貮
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見上げた空は晴れ渡っていて、高く聳えた積乱雲が白く輝く。からりと暑い夏の空。巧は駅からの長い坂を、滴る汗を拭いながら歩いた。
緩やかな坂が幾らか傾斜を増して、手入れのされない泥だらけのコンクリートには草が茂る。青々と葉を伸ばした木立が日差しを遮り、懐かしい道を知る。
このまま道路を歩くより、少し急だがまっすぐ登って越えて仕舞う方が近道だ。5年前迄暮らした記憶はまだ鮮やかに残っている。
風が木洩れ日を揺らす。山道を下れば、あの頃と変わらない空気が巧を迎えた。

まずは母の家に向かい、そのままにしてあるという自分の部屋に荷物を下ろす。背負えるだけの大きなリュックに一杯の荷物を運んだのには理由がある。
町に高校が建ったからだ。
農業技術関係の私立、将来村で暮らすことを考え、母の家からそこに通うための支度を始めることにした。
偏差値諸々担任の太鼓判を貰って、祭りと時期の重なるオープンスクールに参加するつもりだった。
その事を母に伝えるとあまり良い返事ではなかった。父が、母さんはお前に期待しているんだと言って笑っていたので、それきりその話をしないまま夏が訪れた。

板張りの居間、卓袱台の上にアイスティのグラスが置いてあった。着く前に連絡をくれれば、アイスでも買って来たのに。と、母はかき餅の袋を開けながら言う。巧はそれを一つ摘まんで、アイスティの氷をストローでかき混ぜた。
開け放った窓、風鈴が揺れ小さな蜂が迷い込んでは出ていく。

「今年は、祭りいつ? 俺も行って良いんだよな」
母がカレンダーを指差す。明後日がオープンスクールで、その3日後。
「琴子ちゃんが誘いに電話くれてたから、後で返事してらっしゃい」
「へぇい」
ずずっと音を立ててアイスティを啜り、巧は部屋に戻った。

琴子にと買っておいた土産のキーケースとテディベア。それから、琴子が嬉々として報告してきた、転入生の恋人、遠足を機に親しくなったという年下の友人。
恋人宛は揃いの熊にしておいた。友人には髪飾りをリクエストされていたが、見立が不安で3つ程用意した。似合わなければ琴子にでも渡しておくつもりだった。
買い物に行く母と家を出て、合鍵を一つ預かる。
村に商店は一つしかない。毎朝の仕入で、山を越えて先刻通った町へ出るため頼めばある程度は揃うが、やはり町といっても田舎という感は拭えない。
だからこそ琴子は何か洒落たアイテムを、とねだり巧が愛用のキーケースの話をしたら飛び付いたのだろう。

母を見送り、琴子の家に向かう。半開きの磨りガラスの扉をがたがたと鳴らし声を掛けると、すぐに琴子が顔を出した。
「……こんにちは、えっとー、どちら様」
「おい」
「ああ、巧? 分からなかった。ごめんね。上がってよ。丁度優一と美琴も来てるの」
ファンシーな紙袋をちらつかせると、途端、琴子の顔が綻んだ。
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