Silver Soul

□2/6 山崎退誕生記念2009
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二月六日、午前三時十七分。

真選組監察方、山崎退は、闇を纏わせて屯所の軒下から這い出た。


「あいてっ、誰だよ、こんなとこに硝子棄ててんの…」


地面に手を突いたときに走った痛みに手のひらを見てみると、暗闇の中で紅い珠がぷつりと溢れ出していた。
手をついた辺りには鈍い光を放ちながら硝子が散らばっている。
山崎は誰ともわからない相手に悪態をついた。


「せっかく無傷で終わらせたのに…」


やっと任務を終わらせたのに。
帰ってきて怪我をする羽目になるなんて自分はつくづくツイてないと思う。
山崎は溜め息をつきながら怪我をしていない方の手で服の汚れを叩いた。
闇を纏わせとはよく云ったもので、現実は泥や土埃、蜘蛛の巣まで纏わせている。

…蜘蛛の糸ってベタついて取りにくいんだよなぁ、もう。

背中の刀にまでついている蜘蛛の糸にうんざりしながら早く風呂に入りたいなぁ、と呟いた。

宵闇に山崎の布ずれの音だけが静かに響く。
叩いていた手がべたりとしたものに触れ、止まった。
じわりと厭な濡れ方をしている其処をゆっくりとさする。
鉄の匂いが鼻を掠めた。

…ちょっとミスったなぁ。

山崎は唇を尖らせ眉を寄せる。
忍び込んだ際に、運悪く居合わせた者を殺した時の返り血がまだ乾かないでいたようだ。
明日の討ち入り前の最終確認程度の任務だったのだが。
しかし末端の浪士だから1日位なら気づかれない。
死体の処理も完璧にした。
計画に影響は生じないだろう。
だがやはり、ミスはミスだ。
予定外の人間を殺める事もだが、返り血を浴びるのも普段なら有り得ない。

山崎は良くないこと続きなのにうなだれながら口の覆いをずらした。

・・・・・・。
背後の障子の向こうに人の気配を感じる。
ゆっくりと動く気配に、背中をむけたまま様子を窺う。

…こんな時間に誰だ?

相手は確実に此方に気がついていて、ゆっくりと動いているから、厠でもないようだ。
しかもこの部屋は空き部屋。
こんな時間に潜んでいるなんて怪しさ満点だ。
山崎は微かな匂いでも手掛かりにしようとしたが、如何せん鉄の臭いのせいで鼻が効かない。
庭に立ったまま息を詰め、相手の気配を窺うことしか出来なかった。

暫くして、障子が滑らかに開き相手が出てくると共に嗅ぎ馴れた匂いを鼻が捉えた。
詰めた息を吐き出す山崎に相手が縁側から囁きかける。


「…山崎か?」

「そうですよ、副長ぉ〜」


驚かせないで下さいよ〜と囁きながら山崎は縁側に近付く。
煙草の匂いを香らせる黒い着流しの土方が小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。


「監察方がこれぐらいで驚くなや。」

「そんな事云われても、こんな時間に空き部屋に潜んでる気配がしたら怪しみますよ。」


縁側に胡座を掻いて坐る土方の隣に腰掛ける。
ふっと鼻で笑いながらお気に入りの煙草に火を点ける土方は機嫌がいいようだ。
土方と共に雲から現れた月に向かってくゆる煙を目で追う。


「で、どうだ。」

「ええ、奴らは此方の動きには気付いてないようで。一人下っ端の奴を殺りましたけど明日の討ち入りには問題無いです。」

「珍しいな、お前がヘマするってのは…」


言葉の途中ですん、と土方が鼻を鳴らした。


「…しかも血の臭いか。」


きろりと炯眼が山崎を捉える。
ミスを指摘されたと思った山崎は、謝りつつタイミング悪いな!と心中で思う。


「返り血をちょいと…」

「てめぇのじゃねェのか。」

「いいえ、俺は無傷ですよ。あ〜、今日は珍しく、しくじりました。」


然り気無くミスのフォローを入れて、背中の刀を抜きながら肩を回す。
煙草をふかす土方を振り返った。


「で、副長はどうしてこんなトコに居るんですか?報告なら朝でも良いのに。それに甘い匂いが…」

「あ?あぁ…」


土方は相槌を打つとゴトリ、と音をさせ、死角から皿を取り出した。


「まぁ、喰えや。」

「カステラ…?」


訳がわからないままの山崎の前に置かれた白い皿には二切れのカステラが乗っていた。
小麦粉に鶏卵・砂糖・水あめを加え、スポンジ状にふっくらと焼いた菓子。
黄色いスポンジの上に茶色のカラメル層が乗っている何処にでもある見慣れたカステラだ。
髪を束ねた首筋に冷気を感じながら山崎は首を傾げる。
土方は平然と煙を吐き出していた。


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