Silver Soul

□月下の夜叉
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サラサラ…と微かな水音がする。

銀時は其処に屈み込むと、手を浸した。

浅い川底に掌を押し付け、小石の感触を探る。


冷たい水は月光に煌めき冷たさを増す。

漆黒の透明な流れに暫く浸していた銀時は、其れを掬った。


少し後ろで高杉が佇んでいる。

付いて来て何をするでもなく。


銀時は手のものを顔に押し当てた。

ばしゃっ、と音を立てて水が弾ける。

雫が顎や腕に垂れる不快さに苛としながら又掬い押し当てた。

今度はそのまま擦る。

独特の生臭さが水と共に鼻先を滑り落ちていった。

羽織りでゴシゴシと顔を擦り、息をつくと銀時は腰を下ろした。


湿り気を持った肌が外気を敏感に捉える。

…月に見つめられている。

銀時は躯を揺らす。

月光が頬に刺さり、ぱりぱりと乾いていくような気がした。


月から逃れるように、
ドサリ、と仰向けに倒れれば、草が顔の横に来て視界を遮る。

月光でなく、草が顔を刺す。

ぷん、と土と草の香りが鼻腔を擽って。

地を這う動物は之の中で生きているのかと思うと、羨ましくもあり、疎ましくもあり。

銀時は顔を擦り付けた。

昔よくやっていた、晴れた日の草原で、むわりとするほどの香りの中で。

『銀時さんは太陽と草の香りがしますね。』

などと云った人が居た。

今は、しないだろう。

今でなく、いつからか。

夜は昼ほど香らないらしい。

冷ややかで、穏やかだ。

銀時は顔を横向けに草の森を見つめる。


「たかすぎー…----?」


呼んでみた。

何となくだ。

まだそこに居る気配は感じるのだが、居るかどうか確かめたくなったのだ。


虫の声に混じって果たして聞こえるか。

虫達は自己主張が強い。

その癖、潜み、姿を見せない。

この草の中で謳うだけ謳う。

謡うんじゃなく謳う。

高杉にこのちっぽけな声は届くか?

異形な者の声が。


暫くして、


「------あァ?」


と返ってきた。

届いた。

居た。

銀時は意味なく笑い、謡うように繰り返す。


「たかすぎーたーかすぎーたかーすぎーたーかすぎぃー」


たかすぎ。

一つの音だと思う。

と、ガサガサと荒い音がして、頭上に黒い塊が現れた。

月影を塞いで、煙管を片手に高杉が見下ろす。


「…手前よォ、何がしたい?」


そう云いながら屈み込むと、フーッと銀時の顔に煙を吐き掛けてきた。

煙たいし、目が沁みる。

銀時は鼻の頭に皺を寄せ、顔を擦った。


「ぅゴホっ、うぇ…」

「ククっ…」


煙に咽せる銀時の様子に喉の奥で笑うと、隣に腰掛けてくる。

…手前が何してーんだ!

名前を呼んだだけなのに、何故こんな事をされなければならないのか。

無防備な自分を不意打ちに襲った仕返しだ。

銀時は高杉の腰に肘鉄をお見舞いしてやった。

高杉の顔が痛みに歪む。


「はっ…く、いってェなァ…」

「…お返し。」

「馬鹿たれ。」


そう云うと、高杉の手が髪を乱暴に緩く引っ張ってくる。

クンッ、クンッ、と皮膚が攣る感覚に、むずむずとしながら銀時は高杉の腰に顔を擦り付けた。

回した手に力を入れ、猫の様にぐしぐしと擦り付ける。


高杉の上着からは土埃と火薬の匂いがする。

海辺の戦場だったからか、微かに潮の匂いも混ざっていて。

荒い波の懐かしい光景が浮かんだ。


之が着流しだと、偶に白粉の匂いだったり、香の匂いだったりする。

そんな日は決まって、いくらばかしの金と菓子やら何やらが懐に入っているのだ。

『貢がせてんじゃあねェよ、彼方が勝手に寄越すんだ。』

桂に小言を云われながら、そう云うのを聞いた。


フーッと吐いては吸う腹の動きが、腰に巻き付けた腕で分かる。

髪に差し込まれた指の体温や重みも感じ取る。


人は、薄い。

骨と肉と血で出来ている。

それは皮膚という薄い皮で被われていて、簡単に断つことも裂くことも出来る。


しかし人は、重い。

其処には神経が通い、感じて、動いて。

一つの巨大な核に通じているのだ。

簡単に断つこと、裂くことは出来ない。


生きていれば人。

死ねば肉の塊。

しかしその塊を知る者には其れも人である。


自分は、どれになるだろう。

異形な自分は何になるか?

人でない、異形な者を自分は先程肉の塊にしたのだ。


「高杉------俺はどれよ?」

「あァ?…手前は、さっきから何がしてェんだァ?戯れに死骸に子守歌を謡ったり、呼んだと思えば人の名を連呼して」


高杉の手が去ってゆく。


「懐いてくる。」


代わりに耳に囁いてきた。


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