小説

□華奢な腕《後編T》
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もう見ないと思っていた街は
黄金色〈コガネイロ〉の葉に覆われ



俺の両目を眩ませた。







歩き慣れた並木道の銀杏〈イチョウ〉は
全て割け目の無い葉だ

という事を

今日の今日まで
知らなかった。




足元にあった

一枚の銀杏の葉と
先のとがった小石
を拾い、

一週間前まで一緒に暮らしていた女性の名前を書こうとする。






しかし


小石を握る右手を見ると
不安定に震えていたため、

ため息と供に
その小石を銀杏の幹の下に転がした。







左手に残された一枚の銀杏の葉に視線を落とす。

そして
それを両手で丸め込み、

またもやため息と供に投げ捨てた。










 
黄金色の葉は

秀哉〈シュウヤ〉の手に納めるには
あまりにも多過ぎて。









平らなコンクリートは次第に見えなくなり、


逆に秀哉の空洞は一行に満たされない。









脳裏には絶えず、
一ヶ月前までの妻の顔と
一週間前までの妻の顔が
交互に映し出される。


人物は同じハズなのに、
どうしてそれらの表情はこうも違っているのだろう。


そう考えたら、
再び秀哉の中に苦しさとも哀しさとも区別の付け難い心情が湧き出す。



頭の中はその女性の事でいっぱいだ。


それなのに
どうしてこんな場所に帰ってきてしまったのだろうか?


此処には
彼女との思い出は有っても、
その思い出は遥かに少なく浅い。













 
凍えた指先に息を吹きかけると

息は水の結晶となり、
俺の指は水滴に懐かれる。








俺は、先日換えたばかりの携帯電話を取り出した。


シンプルなデザインの黒。

銀色の十字架と指輪がセットになったストラップをぶら下げていて、
その周辺だけに
新品に関わらず、既にうっすらと傷がついている。



まだ慣れないその重みは
不思議と俺の気持ちを落ち着かせた。





それを開き、
慣れない手付きでメールを眺める。








『10分くらいで行くから。』








そう綴られたメールが届いたのは
12分も前の事。





待ち受け画面に戻ると、

初期設定の画像の上に
乗っかっている時計が

重たく
デジタルを動かせていた。












 
湿った空へ向かって息を吐く。



息はうっすらと白く濁り、

あの空へと
見失っていく。



剥き出しになった首に風が流れ込む。



足下には幾千もの銀杏の葉。

神々しい黄金色に染まった扇形は
地面にへばりついているというのに


誇らしげに見えた。










 
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