桜色の長絵巻
□怖懼編
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原田に水の入った湯のみを手渡しながら、千鶴は原因を説明した。
千鶴のいう、原田が作った味噌汁の苦味の原因はこうだ。
もともと動物の肝(きも)などの臓腑(ぞうふ)類には苦味が多く含まれている。
だから、出汁を取る前に、特にそれらが集中している煮干しの頭を先に取っておかなければ、今回のように苦くなってしまうと……。
彼女の説明に、原田は目を丸くしながら千鶴を見る。
「そこさえ間違えなければ、今度は成功すると……原田さん?」
何の反応も示さない原田を、訝(いぶか)しげに見上げれば、彼はまるで夢から醒(さ)めたとでもいうような表情をしていた。
「あの、どこかお身体の具合でも……」
「あー……いや、大丈夫だ。……て、あっ!」
唐突に原田が大きな声を上げたので、千鶴はびくりと身体を震わせた。
それは、声に驚いたからではなく、原田が憤怒(ふんぬ)の形相をその面(おもて)に浮かばせていたからだ。
何か怒らせるようなことをしてしまっただろうか……と、千鶴は思っていたが―――。
「新八の野郎っ……!」
「え……?」
原田の口から永倉の名前が出てきたので、彼がどうかしたのだろうかと思い、永倉がいるであろうその場所へ、原田の視線の先へ、千鶴も視線を向けた。
そこに永倉がいたはずだった。
だが、今は誰も立っていなかった。
「あの野郎、中途半端にとんずらかよ。こなくそっ!」
ひどくいまいましげに言う原田に、千鶴は無意識に一歩後ずさる。
その音に気づいたのか、原田は我に返り千鶴を見る。
未(いま)だに鋭さを残した眼差しに射抜かれ、千鶴の足はその場に根を生やしたように一歩も動けなくなった。
「悪い。つい、でけえ声、出しちまって。別におまえを怒鳴った訳じゃねえんだ」
少し慌てたように、原田がやや早口を思わせる口調で千鶴に言った。
彼のそのさまに、千鶴は肩の力を抜く。
「あの、永倉さんはお手洗いに行ったのでは……」
「それはねえよ」
恐る恐る声をかけると、原田は千鶴の意見を一刀両断した。
即答されるとは思っていなかったのか、千鶴はぽかん…とした表情を浮かばせる。
それを見た原田は、微苦笑を浮かべた。
原田曰く、ずいぶんと前から頻繁に隙(すき)をついては、食事当番から逃げていたという。
「ま、今回は少しはましな方か」
一人ごちながら、原田は釜の中身の具合を見ようと、蓋を開けた。
彼が蓋を開けた直後、ふわりと湯気が上がり、中には炊き上がった麦飯の混ざった米があった。
近くにあったしゃもじを手に、原田がそれを混ぜ始める。
そこで彼は、はたとあることを思い出し、千鶴の方へ顔を向けた。
「千鶴、その味噌汁のこと頼んでもいいか?」
彼の言葉を断る理由など、これっぽっちもなかったので、千鶴は元気よく応えた。
順調に昼餉の準備が整いつつあるところで、やっと永倉が二人の元へ戻ってきたと思い、原田が出入り口へ向かって文句のひとつやふたつを―――と思い振り返ったのだが……。
「あれ? なんで君がここに居るの?」
心底不思議だとでも言うような声色であるにも関わらず、面白いものを見つけたとでもいうような笑顔を表に浮かべたまま、組一の剣客、沖田総司その人がそこに居たのだった。
何となく沖田に苦手意識を持つ千鶴は、ビクリと両肩を震わせて、沖田が居る勝手場の出入り口へとゆっくりと身体ごと目を向ける。
そして、その存在をしっかりと認めると、一歩ずつ後ずさるのだが……。
「―――っ!」
力強く腕を引かれたかと思えば、逞(たくま)しい腕の中に千鶴は居た。
「危なかったな」
「え?」
すぐ近く……というより、目の前にある鍛えられた胸元から響く心地よい低音には、聞き覚えがあった。
顔を上げれば、ごく間近に原田の顔があった。
「どこも怪我してねえよな?」
原田の言葉に千鶴は我に返り、先ほど自分がいた場所を見る。