その他
□犬神。(モノノ怪長編)
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「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
あんぐりと開いた口が、笑いを誘った。
犬神 序の幕
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
ばったり。
あぁ、こんな偶然もあるのか。
「・・・・・お、お前・・・・!」
「・・・・・・」
相手はえらく驚いているようだ。そりゃそうだ。自分だって、そうだから。
「ま、また、誰だったか、などとぬかすのではあるまいな?!」
「・・・・・・まさか」
くく、と含み笑いをして、薬売りは頭を下げる。
「お久しぶりですね。佐々岡さま」
「小田嶋だッ!!」
「知ってますよ」
「・・・・・・・ぬぅぅぅぅぅぅ〜〜〜!!!」
「まま、そうカリカリしないでくださいよ。あんまり怒ってると、いつか頭の血管がぷっちりイッちまいますよ」
「縁起でもないことを言うなッ!!!!」
相手、つまり小田嶋がつばを飛ばして怒鳴るのを、薬売りは薄い笑みとともに見つめる。
「で、弥平さん、何をやっているんです?こんなところで」
「貴様、わざとだろう・・・」
「当たり前じゃないですか。で、何をやっているんです?」
しゃぁしゃぁと返す薬売りに、小田嶋は盛大にため息をつくと、諦めたように口を開いた。
「新しい仕え先が、このあたりなのだ」
「へぇ・・・じゃぁ、ここにくれば勝山様に会えると?」
「えぇい!来るな来るな!貴様が来ると、それはすなわちまたロクでもないことが起こるのだろう!」
本気で来るな、と言っている風ではないが、後半の言葉にはかなり力がこもっていた。つまりは来てもいいが、モノノ怪とかそういうものは抜きにして、ただの薬売りとして来い、と言っているのか。
「別に、俺が来るからモノノ怪が来るわけじゃない。モノノ怪がいるから、俺が来るんですよ」
「どっちにしろ、お前が現れたらそれはつまりモノノ怪がらみということだろうがッ!!・・・・・・へ?」
そこまで言って、はたと動きを止める。
「・・・・・まさか・・・・」
にやり、と笑ってそれに応える。
「その、通り・・・・ですよ・・・・」
モノノ怪の、気配を追って。
俺は、ここに来たに、すぎません、よ。
「小田嶋さまこそ、モノノ怪に、よく、おモテになる・・・・」
「縁起の悪いことを言うなぁぁぁぁぁぁッ!!!!」
ちぴちぴと、雀の子が、驚いて、飛んで、いった。
「今度は何だ?」
「何、とは?」
小田嶋と並んで歩きながら、薬売りは問われ問い返した。
「その・・・どんなモノノ怪なのだ?」
「さぁ?」
「さぁって・・・」
からんからんと転がる下駄の音と、地をするわらじの音。
「行く先にどんなモノノ怪が待ち受けてるかなんて、俺にはわかりませんよ」
「何?」
「俺は、ただこの剣が、導く方向に向けて、足を運んでいるだけ、ですんで、ね」
「ずいぶんといい加減なのだな・・・」
「コイツに言ってくれ・・・コイツがあらかじめモノノ怪の形なりなんなりを言ってくれれば、俺とてもう少し楽に仕事ができる・・・」
「う・・・む・・・・」
坂井家での一件を思い出したのだろうか。
あのときも、形こそすんなりとわかったものの、真やら理やらを見つけるのに相当苦労していた薬売りを、小田嶋はよく見ているはずだ。
「で、お前が行く先というのはどこなのだ?」
「さぁ?」
「それくらいわかるだろう!!」
「いんや、剣の示す方向に歩いていって、あとは臨機応変に」
「それって、要は行き当たりばったり・・・ということではないのか?」
「傷つきますねぇ・・・・」
やがて二人は、城下に入る。
「まだ見つからんのか」
「へぇ、心配、してくださるんで?」
「バカを言うな!近くで暴れられてはたまらんと思っただけだ!」
「ほう・・・」
未だ小田嶋との道は別れない。
城下はやはり賑わっていて、薬売りには本人にとってはいつもと同じ視線が土砂降りに注がれる。なれていないのであろう小田嶋は、居心地が悪そうに眉を眇めた。
「私はここだ。では、がんばってな」
「えぇ。・・・ちっ」
「チッって言ったか、今?」
「いえいえ、何でも、ありません、よ」
今回は、小田嶋の仕える家が根源ではないようだ。
退魔の剣は、相変わらず進行方向を示している。
この家ではない。
「ま、力仕事が入用になったら、呼びにきますよ。どこにいるかもわかりましたし、ね」
「私は仕事をしているんだッ!!」
「モノノ怪は、その家だけに被害を及ぼすとは、限ら、ないん、ですが」
「何?!」
わかりやすいお方だ。
くつくつと忍び笑いをしながら、薬売りは意地悪く笑んだ。
「ま、そういう、こと、です、よ」
まてーっ!!と声がするが、そこはきれいに無視させていただいて、薬売りは歩を進めた。
カタカタ。
カタ、カタカタカタカタ。
「さて、行きますか、ね」
小田嶋と別れて、そのまままっすぐ歩く。
主要の通りから外れて、細い道を歩いているから、賑わいは耳に遠い。
板で作られた塀が左右に広がる。
賑わいが聞こえないわけでないのに、いやに静かだ。
用水路が見える。
塀はまだ続いている。
あぁ、ようやく切れた。
切れ目はまた小さな道で、剣がカタカタと鳴る。
「曲がるのか」
言われたとおり、曲がる。
そこには、先ほどと大してかわらぬ景色が広がっている。
歩く。
下駄の音だけがいつの間にか賑わいから切り取られて独立している。
眠り損ねた蝉の断末魔のような声すら、静かだ。
カタカタ、カタカタカタ。
「ここか」
カタカタカタカタ、カタ。
「なるほど・・・結構な怨念ではないか」
カタ、カタカタ、カタタタ・・・・
薬売りは、再び見つけた塀の切れ目・・・すなわち、その武家屋敷の門に向かい合った。
退魔の剣が、勢いよく自己主張を強める。
「なるほど・・・では・・・・」
敷居をまたいだ。
勝手口に女中がいた。
年は・・・そう、二十歳と三十路の間くらいだろう。
小柄な女性だ。
橙色の着物がよく似合う。
薬売りは、一人でゆっくりと歩を進める。
家の中の事情を聞いたり、あわよくば入り込むには、勝手口の女中というのが、いろいろと便利である。
「あら」
さっそく、こっちに気づいたようだ。
「薬売りさん?」
「えぇ。いかがでしょう?」
必殺、キルマダムビーム。
かすかに頬を赤らめて、消え入るような声で、どうぞ、という女中に軽く会釈し、彼はかすかに口の端を吊り上げつつ勝手口の敷居をまたいだ。
「お暑い中、大変ですね」
冷たい井戸水を出してくれた女中に笑いかけ、薬売りはありがたくそれをいただく。
「えぇ、まぁそれが仕事ですから。そうでもしないと、食っていけませんから、ね」
「まぁ」
だいたいはこんな世間話からはじめる。
「何か、特にご入用の薬なんぞは、ありますかね」
モノノ怪の影響というのは、知らぬうちにその対象や、その周りの人間の体調に現れてくることが多々ある。
そういうこともあって、薬売りという生業はなかなか便利なものである。
「そうねぇ・・・よく眠れるお薬って、あるかしら?」
「ほう・・・眠れる、薬、ですか」
「えぇ」
これはこれは。
「どなたが、お使いになるんで?」
「えと・・・それは・・・・」
家のものの個人的な内容を話したくはないのだろう。
眠れないなど、あまり良い風聞ではない。
「すみませんね・・・・お使いになる方に合わせて調合しないとならない、薬なもんですから・・・・繊細な薬なんですよ・・・」
「あぁ、そういうことですか」
ほっとしたような様子で、女中は胸に手を当てた。
「それに、秘密は厳守しますよ・・・」
「お願いします・・・」
「薬売りは秘密厳守が原則ですよ・・・半年くらい前にいたところで、絶対に他人に言ってくれるなと金まで積まれたことがありましたね。それくらい、自分の病に対して気になさる方は多いんですよ。・・・・・ちなみに、痔だったんですがね、その人は」
「まぁ!」
にっと笑ってやれば、女中はずいぶんと打ち解けたようにくすくすと笑った。
「で、どなたです?」
「旦那様と、大旦那様、それと、御館様も・・・・」
「ほう、お年は?」
「五十と、三十六、それと三十八です」
「大柄ですか?それとも、小柄?」
「大旦那様は大柄なお方で、旦那様は一般的な殿方です。あと御館様は・・・あの、少々・・・あの・・・・・大柄・・・というか・・・背はあまり、高くはないのですが・・・・その・・・・」
「『健康的』に、肉付きがよろしいと?」
「・・・はぁ・・・・少々どころではありませんでしたわ」
なるほど。
つぶやいて、薬売りは薬箱の引き出しを引いた。
色とりどりの薬が顔をのぞかせる。
その中のいくつかと、更に乾燥した植物を何種類かとり、乳鉢を取り出して薬売りは薬の調合を始めた。
「しかし、眠れる薬を調合して差し上げても、その原因をとりのぞかぬかぎり、真の快眠は、訪れませんよ」
「そう・・・なのですが・・・」
女中は薬売りの手を見つめながら、ため息をついた。
「何か、心当たりは?」
「・・・・本当に、言外しないでいただけます?」
「もちろん」
本当は誰かに話したくて仕方がなかったのだろう、この女中。
薬売りは内心でにやりと笑み、一旦乳鉢をいじる手をとめて、女中を見つめた。
派手に頬を染めた彼女は、どもりながら話はじめた。