その他

□山童。(モノノ怪長編)
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 夜。
 闇。
 黒い水面を白く輝かせる月光。
 突然、輝く白い鏡が、泡だった。
 ガシャンと音でもしそうな鏡の崩壊。
 そして。
 また、そこには、白く輝く、鏡が、ただ、あった。











山童   序の幕







 下駄で砂利道を歩くのはあまり利口とは言えない。
 しかし青を基調とした奇抜な着物の男は、その危なげな足とは裏腹に、まったく足元を気にする様子もなく、大きなこれまた奇抜な文様のあしらわれた箱を背負い、歩いていた。
 箱からは、カタカタと何かがゆれる音が響いている。やはり普通の道ではないから、体も揺れるのか。
 男は砂利の音を響かせながら歩いていく。
 その向かう方向には、小さな村がある。
 この砂利道はこの辺りを流れる大川と、辺りの村や林、そして森との間にあるものだ。大川の源流は、河童ヶ淵と呼ばれる湖である。大きな池といっても支障はないような小さな湖で、深さもたいしたことはない。夏には子供たちのいい遊び場であった。
 今は秋だから、河童ヶ淵で遊ぶ子供などはいないだろうが。
 しかし、男の足は、河童ヶ淵に向かっているようだ。相変わらずカタカタと金属質な音が背負った箱から漏れ、男はそれをまったく意に介さない様子で歩き続ける。そして、そろそろ河童ヶ淵が見えてくるだろうと思われるところまで来た。
 本来ならばこの季節はすでに子供たちの遊ぶ姿などなく、しんとしたある種の寂しささえ覚えさせる河童ヶ淵だったが、この日は違った。
 かといって、楽しそうな子供たちの歓声が聞こえたわけでもない。
 真っ先に男の耳を震わせたのは、悲鳴であった。
 子供の悲鳴、泣き声、そして水の跳ねる音。
 男は足を速めた。というより、走り出した。
 背中の箱は相変わらずカタカタとなり続ける。中身の音が変わることはない。
「太郎ちゃん!!太郎ちゃん!!!」
 男が河童ヶ淵に着くと、そこは混乱状態だった。
「どうしたんだ?」
 男の声に淵の周りで四つんばいになっていた幾人かの女童(めのわらわ)が安心したように泣き出した。
「太郎ちゃんが!!!」
 小さな指がさすさきを見れば、そこには一人の童(わらわ)がいた。
 水の中に。
「!」
 男はさっと背負っていた箱を置くと、ためらいもせずに水の中に入った。
 決して深くないその淵である、大人の男ならば、足が着かないなどということはない。男は水の中を歩くようにしてそのおぼれる童のもとへといき、童を抱き上げた。
 しかし、童はすでにぐったりとしていて、男はさっとその顔色を変え、童を抱えて再び陸を目指した。
「太郎ちゃん!!太郎ちゃん!!」
 淵の周りにいた女童たちが、男の周りにさっと集まる。
 そのとき、また辺りが騒がしくなる。ふと見ると、男童(おのわらわ)たちが走ってきて、その後ろからは幾人かの大人の男と女が走ってくるところだった。
 なるほど、男童が一人もいないと思ったら、助けを呼びに行っていたということか。
 男は納得し、かけよってくる女童たちを制し、男童を陸に横たえた。
「太郎!!」
「あんたは?!」
 男童の親だろうか、女が悲鳴をあげ、駆けつけてきた男は、男童を横たえた男に噛み付くように問うた。
「ただの、薬売り、ですよ」
「薬売り?!」
「通りすがりで、ね。水を吐かせないと、いけませんぜ」
 男―薬売りは、問うてきた男を見もせずに、男童に手をかけた。
 そして彼を仰向けから横向きにし、水を吐かせるためにその背を叩いた。
 幾度か試み、それでも水をはかないので、薬売りは男童を立てた片膝の上にうつぶせにし、先ほどより少々強くその背を刺激した。
 二度、三度と試みて、とうとう男童は大きく咳をして、水を吐いた。
「おおっ!!」
 薬売りの行動を食い入るように見つめていた男は声をあげ、女は悲鳴のような声で泣き出した。
「太郎っ!!」
「もう、大丈夫でしょう」
「ありがとうございますっ!!!」
 女に男童を差し出すと、女は奪い取るように息子を抱き、地に額をこすりつけるようにして薬売りに礼を言った。
「いえ、いえ」
「あんたはこの子の命の恩人だぁっ!!」
「通りすがりに子供がおぼれていて、無視する輩は、いないでしょう」
「いやぁ!!よく通りすがってくれました!!」
「着物も濡れてしまったでしょう!是非、わが村においでください!!」
「それより、早くその子を暖めてやらないと、風邪を、引き、ますよ」
 母親は涙でぐしょぐしょの顔をあげ、うなずくと、
「是非我が家へおいでください!たいしたものはありませんが、今宵の宿くらいでしたら・・・」
 と早口に言うと、走っていった。
 薬売りは、濡れた上土の上に座りどろだらけになった着物をみて息をつくと、村人たちの言葉に甘えることとした。






***********************






「いやいや、本当に、ありがとうございました」
 深々と下げられた頭は、七福神の布袋様のように、禿げ上がっていた。
「礼を言われるようなことでは、ありませんよ」
「いやいや、そうでありますとも」
 薬売りの前で人の良い笑みを浮かべるのは、村長と名乗る老人だった。
 着ていた着物は濡れているのと泥だらけなのとで、早速脱がされ、今は変えの着物を借りている。
 率先して洗うという女人が多かったことは、気にしないでおこう。
「それはそうと、こんな辺鄙なところへ、何用で、おいでになったんですかな?」
 確かに辺鄙だ、この場所は。
 四方を山に囲まれているこの村は、一番近い里へ行くにも、裕に一刻はかかる。
「わたしは、薬売りを、していまして、ね」
「薬売りとな?」
「えぇ、辺鄙とおっしゃられても、人里は人里。薬のご入用は、あるかと思いまして、ね」
「ほう、ほう」
「あまり人通りが多いところだと、商売敵が多いことも、事実。なれば、あまり人の立ち行かぬところへ行けば、商売敵も少ないのではと、思いまして、ね」
「確かに。ここいらに薬売りさんが来たのは、初めてじゃ」
「そうですか」
 ほけほけと笑う老人。薬売りは出された茶をすすった。
「こういった村には、古くから伝わる薬もまた、あるでしょうが、巷で流行る薬というのは、なかなか、手に、入りにくいの、では?」
「ほうじゃのう」
 では、いくつか見せてくださるかの。
 村長の言葉に薬売りは笑む。
 村長の言う薬を置き薬として村長に渡すと、村長は言いづらそうに切り出した。
「すまんが・・・年に二、三度でもかまわんのじゃが・・・定期的に、この村に来てはくれぬじゃろうか」
「かまいませんよ。月に一度はムリですが、そうですね、二月、三月に一度は、お邪魔できるかと」
 薬売りの返事に、村長は大きく息をついた。
「よかった。実は・・・最近、この村でつかっとる薬の材料が、取れなくなってきていての」
「ほう、それは・・・」
「この山が、藩主どのに目をつけられての。どうやら、銅が取れるようなのじゃ」
「銅山、ですか」
「そうじゃ。それで、川は汚れるわ木は倒されるわで・・・だんだんと薬草の生息しているところが、少なくなってきておるんじゃ・・・」
「・・・それは、大変、ですね」
「そのうち・・・この村を捨てなければならんときが、来るやもしれんの・・・」
 かすれた声で、淋しそうに言う老人に、薬売りは薬箱の引き出しを引いた。
「村長どの、これを」
「??」
 差し出したのは、袋に入った何か。
「なんじゃ?」
「蜂蜜の喉飴です。喉に、良いです、よ」
「・・・すまんの・・・」







 その夜は、薬売りが湖から引っ張り上げた太郎という童の家に世話になることとなった。
「本当に、ありがとうございました」
 夫婦そろって土下座などされてもたまったものではない。
「いえ、もう、頭を上げてください」
 何度もこのやりとりが続き、ようやく薬売りはいろりの端に座らせてもらえた。
「あの淵、よく、子供は、おぼれるんですか?」
 椀によそわれた汁物を受け取り、気になっていたことを問えば、父親が顔に影を落とした。
「それが、おらにもわからんです。いつもあの淵は夏に童べたちがよう遊んでますが、おぼれたって話はあんまりありません。おぼれても、うちの馬鹿息子みたいに死にかけたってのは、初めてです」
 薬売りは目を細めた。
 太郎という童はもう眠っているらしく、一応薬売りは熱さましと風邪薬を置き薬にしておいた。
「あの、淵の、名の、由来は?」
「昔は河童がいたという伝説があるんです」
「河童、ですか」
「でも、最近、水死の事故がおおいんです」
 薬売りの相槌にかぶせるように、今まで黙っていた母親が口を挟んだ。
「水死?」
「えぇ・・・だからあたしも、もうだめかと思って・・・」
 子供のぐったりした姿を思い出したのか、母親はまた鼻声を出した。
「でも、薬売りさんが通りかかってくださってなかったら、あの子も、死んでたんですもんね・・・」
「さぁ、それはどうか・・・」
 椀に口をつける。猪の肉か、と薬売りはあたりをつけた。
「それより、その水死、というのは?」
「ありゃぁ天罰だ!」
「天罰?」
 薬売りは、父親の荒げた言葉を鸚鵡返した。
「神聖な山を汚して、川を汚しとるから、天罰が当たったんだ!」
「・・・それは、銅山の、こと、ですか、ね」
「そうです」
 父親の話によれば、銅山の開発が始まったのはここ二、三年のことらしい。はじめのうちはそうでもなかったが、最近はことに汚染が激しく、草木も枯れ始め、川は汚れ魚は減り、と散々な有様なのだという。
「なるほど」
「その水死してる連中っていうのが、藩主がどっかから連れてきた胡散臭い野蛮な連中で、必ず川でおぼれて死んでるんですよ」
「ほう」」
「大して深くもない川なんですがね、大川っていう。こりゃぁもう、天罰にちがいないです」
「天、罰」
「そうですよ」
 カタカタと、音がする。
 薬売りは、また椀に口をつけた。
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