その他
□百瀬
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自分でも気づいていなかった。
こんなときでもやさしくあたたかい舌が、この頬を伝う涙をなめとるまで。
「アマテラス…くん…?」
黒い、黒曜石のような瞳。もう、瞳孔が、開きかけている。
純白だった毛並みに鮮やかに浮かんでいた朱の隈取がわからなくなるほど、その身はもう緋に染め上げられていた。
「…ユーは…ミーのせいで…死に逝こうとしているんだよ?なのに…どうして…?」
どうして、そんなに、暖かい?
「…どうして…?」
どうして、そんなに、やさしい?
もともと、言葉というものを使わない神だ。
その会話は常に、言葉以外で伝えられ、言葉で返してきた。
「アマテラス…!」
天を照らす者。
この世にもあの世にも、双つとない絶対の存在。誰のために生きることも、誰のために生きることも許されない、神だったはずだ。
「どうして…ミーが残る…?」
国を追われた、忌まわしき月の民。
そんなミーが残って、どうして、皆に愛され、あがめられるべき、唯一無二の神が、隠れなければならない?
「アマテラスくん…!」
だんだんと細くなる息と、冷えていく体。その熱を逃がさないように、少しでもその熱を与えられるように、体をできるだけ密着させた。
この未来のカケラも、見えていた。
ハラミ湖の真ん中に建てられた、十六夜の祠。
その祠の鳥居に座って、ぼんやりと朝日が昇るのを見た。
ユーが隠れても、太陽は昇る。
ユーはいったい、何者なんだろう。
太陽神だと言われても、いまいちピンと来ない。
太陽神が隠れても、あの太陽は昇ることを忘れない。
「ユーが、完全に隠れたわけではないからかい?」
鳥居の上に立ち上がる。
あと、49年。
そうすれば、ユーはまた、よみがえる。
よみがえって、この神州平原を、高宮平を、両島原を、カムイを、駆け回るのだろう。
ただそれは、遊覧の旅ではない。
平和を愛し、生きとし生けるものを愛し、のんびりと、春の昼中のような穏やかなときを望むユーにとって、その目覚めは、きっと安らかなものじゃない。
ミーが残ったのは、ミーが、後片付けをするため。
そう思うことにした。
ミーは、ユーが、少しでも楽しいように、少しでも良いように、少しずつでも、手回しして、根回しして、百瀬のときを過ごそう。
ユーの好きな栗の木も、桃の木も、りんごの木も、みかんの木も植えておこう。
ユーの眠る場所へ行って、ユーが好きだった笛の調べを奏でよう。
それが、ミーにできる唯一のこと。
あと、49年。