ハリポタ
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もしも……たとえばの話
きっとそんなことはもう万が一にもないだろうけど、それでもその万が一に、あたしが卿の屋敷に戻る日が来たら。
………実のとこ、ホグワーツを卒業したら一度卿のとこに顔見せに行ってやってもいいかなぁなんて、考えてたりもした。
きっとそのころには、あたしのこの厄介な体質もダンブルドア先生が治してくれて、もしかしたら元の世界に帰る方法だって見つかってるかもしれない。
そしたら卿にリドルを返して、笑って「じゃあね」って言ってやるんだ。
平和を愛する一市民として、悪の親玉に言うことじゃないかもだけど、でも元気でね、って。
せっかくだから卿もこれを期に世界征服なんて卒業すれば、って。
きっと卿はまたうざったそうにため息なんかついたりして「いいから早く出ていけ。目障りだ。」なんて憎まれ口を言うんだろうな。
でも、結局それは全部ただの願望に過ぎなかったって、卿を目の前にして初めて気付いた。
「………なんで……こんなとこにいるの………」
「なんで、だと?」
あたしは震える声を絞り出して言った。
何の準備もなしに卿に会ってしまったことへの動揺とか焦りとかは、隠しようがない。
「それはこっちの台詞だ。何故貴様はここにいる。俺様は貴様にホグズミート行きの許可を出した覚えはない。」
「ふ……ふん!それを言うならあたしだって、いちいち卿に許可取る義理はないもんね!」
あたしは腕を組んでツンとそっぽを向き精一杯の虚勢を張った。
今の卿にはそんなもの通用しないなんてことは充分承知していたけれど、あたしにはこうするしか残っていない。
「貴様は、」
地の底から響くような声で卿が言った。
「この俺様の所有物だ。寛大にもホグワーツへ行くことは許してやった。貴様にはそれで充分だろうが。」
「充分……?なんであたしの楽しみの限度を卿が決めるの?!ホグズミートに行くくらいいいじゃない!卿のけち!」
「黙れ!力も無いただの小娘ごときが俺様に逆らうなどと…身の程を知れ!!
もう貴様を野放しにはしておけん。屋敷に戻るぞ。」
「いや!ぜっっったいに、嫌っ!!!」
あたしは伸ばされた卿の手をパシンと叩き落とした。
卿の顔が怒りに歪む。
でも卿がいくら怒っていようが関係ない。
あたしだって、怒ってるんだから。
卿を睨むのはもう虚勢なんかじゃなかった。
「そこ、どいてよ。シリウス医務室に連れてかなきゃ。」
「ふん。ブラック家の息子か………くだらん。」
卿は冷ややかな目で倒れたシリウスを見下すと、すっと気だるそうに杖を向けた。
その仕草だけであたしの体から血の気が引いた。
「何する気………?」
「………………」
卿は答えない。
ちらりとあたしに視線を投げた気がしたけど、次の瞬間彼は呪文を唱えるべく口を開いた。
「やめて!」
「セクタムセンプラ!」
あたしは咄嗟にシリウスを庇って彼の体に覆い被さった。
それと同時に卿に向けた背中が焼きごてを押し付けられたように熱くなる。
「…………………っ!!!」
あたしは皮膚を裂く痛みに声にならない叫びをあげ、仰け反った。
痛い。熱い。
自分の体を支えることもできず、あたしはその場にどしゃりと崩れ落ちた。
やけに大きく脈打つ心臓の鼓動に合わせてカットソーが濡れていく。
え?なにこれ……血が出てるの……?
痛みに霞む視界の中で卿が忌々しげにあたしを見下ろしている。
痛い!痛いよ、卿…………!
やがて傷は消えた。いつもどおり、それはすぐだったはずだけど、あたしには酷く長い苦しみだったように感じた。
「う………っ」
もう痛みも無かったけど、いきなり血が流れた精神的ショックが大きかった。
あたしは情けなく震える手をぎゅっと握ってごまかし卿を睨みあげた。
「………………はっ、貴様にも有効な魔法があったとはな。」
「有効……?何言ってんの。もう治ったもん………。」
「減らず口が。ではなぜ貴様は震えている。」
「……………っ」
気付けば震えているのは手だけじゃなかった。
足も、肩も、歯もかたかたと音をたてている。
それらを止めようと歯を喰い縛ってみたけどあまり効果はない。
怖かった。
思えば卿は今まであたしにこんな苦痛を伴うような…ましてや血が出るような魔法は使わなかった。
こんな体質だから何をされたってすぐ治るし平気だと思っていたけど、それは今まで卿が手加減していたから。
その気になれば卿はいくらでもあたしに苦痛を与えることができる。
それをあたしは今になってやっと、思い知った。
「…………怖いか。」
「だ、誰が…………」
「ひねくれた女は好かん。」
「痛………っ」
卿は大股で一気にあたしとの距離を詰めると、ガッとあたしの足を踏みつけた。
「言え。俺様が、恐ろしい、と」
「……………………」
ぐり、とあたしの足を踏む革靴に体重がかかる。
痛みに顔をしかめるあたしを楽しそうに見下す卿の顔。
あたしは何も言えなかった。
そして沈黙は、肯定だった。
「………いいだろう。」
すっとあたしを踏んでいた卿の脚が退かされた。
たなびく卿のローブがあたしの上に影を落とす。
「まだ、屋敷には連れ戻さないでいてやる。今は、な。」
「どういう……風の吹き回しよ………」
「ふん、それを訊くか……貴様自身よく分かっているだろうに。」
狼狽するあたしをせせら笑うように卿は言った。
さっきまで踏まれていたとこがじんじん痛む。
それもすぐに消えてしまうけど、胸に込み上げてきた正体不明のもやもやは消えてくれない。
怒りとはまた違う。
喉に詰まるような息苦しい感情だ。
「貴様のような馬鹿にはいちいち説明するのも億劫だ。……自分で考えることだな。」
「なにそれ………ちょっと!待ってよ!卿!!」
あたしは去ろうとする卿の背中に叫んだ。
でも卿は立ち止まらない。
胸の中のもやもやは煙みたいに実態が掴めず吐き出せないままで、そのもどかしさに涙が滲む。
「卿はずるい!そうやっていつも肝心なことは言わないで!」
「……………」
「あたしは………卿が考えてることなんてわかんないよ!!」
叫びはホグズミートの空に虚しく消えた。
卿は結局一度も振り返ることなく行ってしまった。
なんでか分からないけど、涙が後から後から溢れてきて止まらなかった。
卿の屋敷を出てきたあの日と今のことが頭の中でごちゃごちゃになって回ってる。
何が間違ってたのか、どうするのが正しかったのか、今となってはもう分からない。
あの時リドルの言ったことに耳を貸さなければよかったのか。
それとも今、卿に従って屋敷に帰ればよかったのか。
たくさんの「それとも」は浮かんでは消え、消えては浮かんでくる。
そしてその全てが等しく無意味だ。
(あるいは、選択肢なんて最初からなかったのかもしれない………)
なにもかも、こうなるべくしてこうなったのか。
自問自答を繰り返すうちに胸の中のもやもやが徐々に正体を現してくる。
腹立たしい、とか、憎い、とかじゃない。
それらとは別の負の感情。
(……かなしい)
………なんて、思うことすら馬鹿馬鹿しくて
涙が出る
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