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卿の補習はそれはもう、えげつなかった。
朝5時にフクロウで叩き起こされ、朝食もそこそこにまず校庭を走らされた。800mを5周。
へとへとになったところで杖を持たされ素振りを300回。からの冷たい湖で遠泳、からの滝行、からの座禅、からの再び滝行、からのまた素振り…
そしてとっぷり日も暮れた今、あたしは疲労やら何やらでボロボロになった体に鞭打ちながら火にかけた大鍋たっぷりの魔法薬をかき混ぜている。

「…おい、速度が速くなってきてるぞ。1周1分を厳守しろ。」

「なんなのそのクソおっそい速度…逆に手ぇしんどい…。」

「文句を言うな。口を動かす体力を手に回せ。」

「うへぇ…いつも無茶ばっかり言う…絶対この人部下に嫌われるタイプだよ…」

ぼそりとそう呟けば卿は慣れた手つきでスパンとあたしの頭を叩いた。そこ慣れなくていい…。
仕方なくあたしは言われた通り1分1周に気を付けて鍋をかき混ぜていく。
しかしこれが本当に地道で辛い作業だ。
マラソン、杖の素振り、水泳、滝行を経て疲れ切った体は当然休息を欲している。
そこへ自分で「いち、にい、さん、しー」と数を数えながらゆーっくり円を描く作業。
お分かりいただけるだろうか。
つまりあたしは今めっちゃ眠い。

うつらうつらと意識を飛ばしそうになるたび卿に頭を叩かれを繰り返すうち、鍋の中身はドロドロネバーと粘度を持つようになった。

「ふむ、頃合いか。」

「終わり!?終わりなんだよね!?はー、疲れたー!」

美しいの真逆を突っ走る色と食欲を根こそぎ消滅させる匂いのそれは、どうやらこれで完成らしい。
あたしはやっと鍋をかき混ぜる作業から解放され、柄杓から手を離し腕を天井に向けてぐぐぐと伸ばした。
すっかり凝り固まった体をほぐせば眠気も多少はマシになる。
あたしがそうしている間に、卿は小さなゴブレットにその鍋の中身をひと掬い入れていた。

「では飲め。」

「はっ?」

ずいと差し出されたそれに、あたしは腕を上げたポーズのまま固まった。
差し出されたゴブレットの中身は先程述べた通りの液体。
それを、飲め?

「の、喉乾いてないから…」

「俺様が貴様ごときに飲み物の差し入れをするとでも?」

「思いません」

やんわりと断って回避しようとしたが、もちろんそんな策は卿には通じるはずもない。
しかしだからと言って素直に飲むにはあの液体はキケンな香りがしすぎる。
ただでさえ過労で死にそうなのにあんなの飲んでみろ。
もれなくめでたく一発昇天だ。

とすれば私が生き残る道というのはこの場からの逃亡に他ならないのだが…。

「一応言っておくが無駄なことは考えぬほうが身のためだぞ。」

こっそり逃げ道を探すも、もちろんそんなの卿にはお見通しだ。行動を起こす前に卿はきっちり釘を刺してきた。
異臭を放つゴブレットを鼻先に差し出すのも忘れない。

「わぁ、寛大な助言まじ痛み入りまーす…」

あたしはその匂いから少しでも逃れようと顔を背けながら言った。
もはや呼吸もあんまりしたくないほどだ。

「ほう?難しい言葉を使えるようになったものだ。ならば億が一貴様が今企んでいることが成功したとして、その後どんな仕置きが待っているかも想像できよう?」

「……」

そう言って卿はにやりと笑った。
そしてあたしはその言葉の通り悲しいほどに想像できた。
今のこの場を逃げたとしてその後もっとえげつないお仕置きが待っているのは必至だ。

「くそっ…卿の毛根という毛根死滅しろ…!」

「まだそんなことを願っていたか。悪いが貴様がいかに禿げ散らかした男を好もうと俺様はその要望には添いかねる。」

「好みじゃないし仮に好みだったとしても卿はお断りなので悪しからず…ぎゃーーーーー!!!待って待ってゴブレット口に寄せないでせめて自分のタイミングで行かせてよおおおぼぼぼぼぼ!!」

話の途中でガッと顔を掴まれたかと思えば卿はそのまま力づくでたしの口をこじ開けゴブレットの中身を流し込んだ。
途端に鼻腔口腔いっぱいに広がる生臭さ。液体は粘性が高くねっとりと舌に絡んでその味と臭いを存分に堪能させてくれる。あまりの気持ち悪さに何とかこの液体を口の中から追い出そうとしたが、相変わらず頭を卿にがっちりホールドされて上向かされているのでそれは叶わない。

「何をしている。早く飲み込め。」
「〜〜〜!!」

結局あたしは目に涙を浮かべながらその人類が口にしてはいけない類の液体を飲み干したのだった。

その後、口を水でゆすいでもよいという慈悲を賜ったあたしは飲んだ液体の倍以上の水でこれでもかとうがいをした。
ただの井戸水がこんなにも甘露。何の味もしないって素晴らしい。

「…あ〜口の中がまだねっとりしてる気がする…」
「いつまでそうしているつもりだ。いくら濯ごうと貴様の口臭は変わらんぞ。」
「年頃の女の子に!口臭とか言わない!このセクハラ教師!」
「いいからさっさと杖を出せ。補習はまだ終わっておらんぞ」
「うえぇ、まだやるの…っていうかあたしは今日一体何をさせられてるの…」

走り込みに遠泳に滝行にへんな薬の服用…やってることはまるで修行僧だ。いや、修行僧はあんな劇物を飲まない。
とにかく、魔力を取り戻す訓練のはずなのに全然全くこれっぽっちも魔法っぽくない。
今度はまた素振りをさせられるのかとうんざりしながらあたしはポケットから自分の杖を出した。

「とりあえず…そうだな、ルーモスでも唱えてみろ。」
「え…?」

今日一日の中でやっと魔法学校の補習らしい指示に、あたしは自分の耳を疑った。

「なんだ?自信がないならもう一杯今の魔法薬を煽るか?」
「ルーモスね!了解!楽勝!自信バッチリですよ!!」

死へのチケット同然のおかわりを差し出されそうになったあたしは慌てて杖を握り直した。
バッチリです、なんて言ったけどもちろんそれは魔法薬を回避するための方便で、実際はまだ切れかけの豆電球みたいな光しか灯せない。
それだって最初のころに比べれば大きな進歩なのだけど、卿が要求するであろうレベルには到底届かない。

(不合格だったらまたアレを飲まされるのかな…)

そう思うと杖を握る手に緊張が走った。
しかしやるしかない。
あたしは躊躇いながら杖を振った。

「ルーモス!」

瞬間、ふわりといつもより大きな光が杖先に灯りった。
あ、と思った途端にすぐ消えてしまったけれどそれま間違いなく魔力を失くしてから今までで一番ちゃんとした明かりだった。

「うわ、すごい!なんか進歩してる!ね、卿!」
「………」

興奮するあたしとは対照的に卿は渋い顔をしていた。
やはり卿の要求するレベルではなかったらしいと察したあたしは、後にどんな仕置きが待っていようとあのゴブレットをもう一杯干すことからだけは絶対に逃げようと密かに決心し、そっとつま先を出口に向けた。

「…切れかけの豆電球が新品の豆電球になった程度だな。」
「お、大きな成長じゃないですか…。」
「馬鹿を言え、どちらにせよ豆電球だ。使い物にならんわ。」

そう言うと卿はついとこちらに近づいて来た。
おかわりを飲まされると思い逃げようとしたが、一歩逃げる間もなく杖腕を掴まれてしまった。
コンパスの違いが憎い。

「魔力の巡りが悪いのかもしれんな。身体で作られた魔力がうまく杖へと伝わっていないから、あんなふうに不安定になる。」
「え、え?」

てっきりまたさっきの劇物を流し込まれるかと思ったが、卿はあたしの後ろに立つと杖を持つあたしの右手に押し被せるように自分の右手を重ねた。
ひやりとした大きな手があたしの手をすっぽりと覆い隠す。
まるで親に介助されながら鉛筆の持ち方を練習する子供みたいな恰好に戸惑っていると、卿はそのままあたしの手ごと杖を振った。
その瞬間、振り下ろされる手の先へと何かが滑り流れていくような気がした。

「わっ」

杖先に灯ったのは豆電球など足元にも及ばない、明星のような光だった。
あたしはいきなり今までとは段違いの明かりが灯ったことに驚いてつい杖から手を離してしまいそうになったが、その手は卿が上からしっかり握っていたため杖は落とされずに済んだ。
ふと握られた手に、懐かしい感覚がすることに気が付いた。

「…どうだ。これで少しは感覚が掴めたか。」
「え、あ、あー。」

ある程度しても明かりが衰えないことを確認すると、卿はすっと手を離し、明かりもたちまち消えた。
あたしは離された手と卿の手を交互に見ながら、卿の問いに上の空な返事をした。
今のは卿に魔力をもらう時の感覚に似ていた。卿の魔力が体に流れ込む、あの感覚に。

「一般的に魔力は体幹から末端へと行くほどに繊細なコントロールが必要となる。貴様はその末端のコントロールが極端に下手なのだな。…まぁ大雑把な貴様らしいが。」
「おおらかって言ってもらえますか。」
「それだと語弊がある。貴様のそれは明らかに欠点なのだから間違いなく大雑把と言うべきだ。
とにかく、今ので末端に魔力を流す感覚が少しは分かっただろう。今度は自分でやってみろ。」

できなければゴブレットもう一杯だ。
言外にそう言い含め、卿は手近な椅子にどっかりと腰を下ろした。
冷汗が流れるのを感じながら、あたしはぐっと杖を構え直した。
卿に補助されて灯した明かりはかなり明るかった。
自分でやって果たしてあれほどの光ができるだろうか。

(末端、手の先に魔力を流す…)

あたしは慎重にさっきの感覚を頭の中に押し留めながら杖を振った。

「ルーモス」

灯った明かりはとても明星とは言い難い、精々がやはり豆電球だ。
だけどあたしの意識は杖先の小さな光ではなく自分の手にあった。

(魔力を、体幹から、もっと先へ…!)

ホースの詰まりを振って正すように、あたしは杖腕を振った。
するとさっきと同じようにするりと何かが体から手の先へ、そして杖へと流れていく感覚が、まるで杖が自分の体の延長のように感じた。

「わっ…!」

そう感じた瞬間、杖先が眩く輝いた。
卿に補助してもらった時と同等、いやそれよりもっとかもしれない。

「や、やった…わわわっ!」

喜んだのもつかの間、光は気を抜くとすぐに豆電球に戻ってしまう。
あたしは集中を切らさないよう、掴んだ感覚を体に押し留めるようとした。

「…ふむ。よし、止めろ。」

パン、と卿が軽く手を打ってそう言ったのは確かに聞こえた。
だけどそれはどこか遠くて、ここにはあたしと卿しかいないのに、あたしに言ったのだと分からなかった。

もう少しでこの感覚を完全に自分のものにできる気がする。
もう少しで…

「止め、と言ったのだ。この馬鹿者が。」
「はぁっ…!」

卿に手を掴まれ光が消え。あたしはそこでやっと自分がずっと息を止めていたことに気付いた。
急に吸った空気に咽ながら、あたしは掴みかけていた感覚が消えてしまったことに愕然としていた。

「力むな、息をしろと何度言えばわかる。ルーモスごときの初歩呪文を唱えて力尽きるなどとトロールの冗談にも勝る間抜け話だ。」
「も、もうちょっとで何か掴めそうだったのに…!」

口惜しさと苦しさで目に涙を浮かべながら卿をにらめば、卿は目も合わさずにいつものごとく頭をスパーンと叩いた。

「一丁前なことをぬかすな。感覚など切っ掛けに過ぎん。それを繰り返し練習し自分の技術にしてこそだ。」
「………」
「何だ。」

ぽかんと卿の顔を凝視するあたしを卿はいぶかし気に睨んだ。


「卿がマトモな教師みたいなこと言ってる…」


即時に下がった部屋の温度に、あたしは言葉の選択を誤ったことを悟った。
しかし時すでに遅く、卿の杖の一振りで扉の錠は無残に落とされ更にドアノブは頑丈な鎖で見えなくなるほどぐるぐる巻きにされてしまった。

「なるほど…貴様は理不尽なまでのスパルタ教育を所望するのだな。よかろう、得意分野だ。」
「そうでしょうともね!!!いや今のは褒めた!褒めたんだよ卿!!教職に就いてこんな短い期間でもうすでに一流教師の風格!さっすがー!!!」
「ならばその一流教師の補修、思う存分に受けさせてやるわ!」
「ぎゃーーーーーーーー!!!!!」


そして補修は言わずもがな、消灯時間ギリギリまで続けられた。
フィルチが見回りに来なかったらこれ幸いと夜通しでしごかれたに違いない。

何はともあれ、あたしはとりあえずルーモス(明るさにムラあり)を習得したのだった。



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