乱世の恋

□『乱世の恋』
2ページ/4ページ



「近頃、セイラン家の動きが怪しいね」
 トントン、と形の良い石ころを畳の上に置きながら、口許を弓なりに曲げてみせたキラは傍らの妻に視線を移した。
 キラ自らが庭先で拾い集めた選りすぐりの丸い石は、無造作にも周囲に転がっている。
 その内の、特に小振りな石を細い指で摘み取ったのは彼の妻であるラクスだった。
「まあ、それは大変」
 蝶のように魅惑的な笑みを携えて、プラント一の美女と謳われる傍らの妻は、鈴の鳴る声でうっとりと笑う。
「セイラン家はこれと言った能もなく、恐るるに足らない小者ですが……それ故に」
 指先で丸い小石を撫でながら、ラクスはそっと囁いた。
「野放しにしていましたら、面倒事を起こされてしまうかもしれませんわね?」
 豊かな桜色の髪が、畳の上をさらりと這う。
 そのあえかな髪をキラは一房掬い上げると、戯れるように指に絡めて唇に寄せた。
 鼻腔を擽る、毒の香り。安易に触れて気を緩めれば、たちまちその身が滅ぶような。
 そんな甘やかな毒を、キラは妻の他にもう1つだけ所持していた。もしかすると、妻よりも余程猛毒かもしれないあの美しく聡明な駒を手離すのは、惜しいけれど。
 キラは、ラクスにひっそりと微笑みかけた。
「カガリを、嫁がせようか」
 囁いた刹那、沈黙を守っていた控えの者達が息を飲む。その中で、彼の妻だけがくすくすと笑みを転がした。紅を引かれた鮮やかな唇が、ふんわりと愉しげに弧を描く。
「セイランの家に?」
「まさか」
 敢えてから、的外れな事を口にするラクスに、たしなめるようにキラは笑った。
「あの家に、あの娘は勿体ないよ」
「あら。ならどちらへ?」
 小首を傾げて、愛らしく笑うラクスはやはり愉しげだ。
 キラはラクスの手の中にある小石を摘まんで、感慨もなく庭先に放り投げる。石は放物線を描いて、池に沈んだ。
「これが良いな」
 見渡して、青みがかった綺麗な石を手に取ると、キラはにっこりと笑みを型どった。
 波紋を描く様をうっとりと眺めやり、けれど次にはすっかり興味を無くしたらしく、ラクスは池から視線を外して青い石をじっと見つめる。
 次いで、瞳を細めた。
「ザラ家、ですか?」
 聡い妻の微笑に、キラは満足気に視線を絡める。
「ザラはセイラン家に隣接しているし。何より、あの家はうちにとっても脅威的で、尚且つ魅力的だからね」
「では、ザラ家の監視も含めて?」
「うん。あの家とは今はまだやり合いたくはないから。婚姻を期に同盟でも結べたら、セイランはザラに見張って貰えば良いし、もしもザラに不審な動きがあれば、その時は……」
 あの娘が。
 手離すのは本当に惜しくはあるけれど、のちの事を考えれば相応だろう。
 ザラには、その価値がある。
 懐柔出来ればこの上ないが、親交を築くだけでも利と言えるし、それに、もしかすると、或いは。
 人知れず、キラはほくそ笑んだ。
 どちらにせよ、ザラは縁談を断るまい。キラがあの家を脅威と感じて警戒しているように、ザラも同じくヤマト家を警戒しているはずだから。
 今まで均衡する力故に双方干渉せずにいたけれど、そろそろ相手方の今後の動きを把握して置きたいところでもある。
 その機会を得る為に、とっておきの切り札を忍ばせて。
 ザラの力は侮れないが、ヤマト家とてそれに並ぶ力を持ち、遅れは取らない自信はある。
 だが正面からぶつかり合えば双方共に被害は大きく、そうしている合間に隙を突かれて他家から攻め入られては敵わない。それではただの馬鹿だ。
 かと言って、先に手を打たれても困るのだ。そして今ならば、セイラン家を理由にザラへと接触を謀れる。
 こちらの思惑など当然ザラには知れたことになるだろうが、あちらも大名家の姫を人質に取れるのだから、利害は等しい。──表向きは。
 なれど、うちから出すのは至宝の懐刀。
 甘く見れば、身を滅ぼす。
「レイ、文をしたためるから筆と硯の用意をお願い」
「──御意」
 キラは視線を石に留めたまま、側近に命じた。短い返事を残して退室する音を耳にしながら、今度は別の者を呼ぶ。
「それから、シン」
「……はい」
 呼ばれて息を吐いたのは、まだ幼さを残す青年。
 いつだって、ろくでもない事ばかりをその身に命じられるこの側近は、あからさまな警戒を声に滲ませた。
「それで、今度は俺にどんな命令を?」
 憮然とした調子で、シンは問いかけた。主に対して、大した態度だ。けれど気分を害するでもなく、どうにも可笑しさの方が勝る。
 そんな彼だから、キラも敢えて、意地の悪い命令ばかりを選んでしまうと言うのに。
 いい加減に学んでも良いとは思うものの、面白味が半減するのもつまらないから、教えはしないけれど。嫌がる彼の顔を眺めるのは、キラの楽しみの一つでもある。だからこそ。
「──カガリを、ここに」
 今回もやはり例に違わず、期待に応じるにふさわしい、それも、今までで一番非道とも言える命を彼に下した。
 絶句する青年に、ラクスが扇で口許を隠すようにころころと忍び笑い、キラはそんな妻を柔かにたしなめる。
 毒牙を纏い、絶世の美女と名高い自慢の妹は、さて、今頃いずこにいるであろうか。
 手中の石を転がすように手のひらで遊ばせながら、キラは庭先をゆったりと眺めた。
 ──まずは、一手。降り投げた賽は、果たしてどう出るか。



次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ