短編小説2

□烏宿梅
4ページ/5ページ


「喜助さん方、女子会議は終わったかい?」

突然、頭上から降って来た低い声。

それに驚いて振り返れば、髪を濡らしたままの白露さまが、浴衣姿のままに私と萌葱を見下ろして笑っていた。

「……白露さま、灯籠は?」
「あぁ、一緒に湯舟に入ろうと誘ったらやけに嫌がってねぇ」
「…………そ、それで?」
「湯舟に縛り付けて来てしまったよ」
「ぇ……えぇえぇぇぇッ!?死なないで灯籠ぉおぉぉォッ!」

ばたばたばた!

きしし、と悪戯に笑う白露さまと入れ代わりに、萌葱が湯屋へと走って行く音。
それを聞きながら、私はまだまだやみそうにない雨を見つめていた。

「あさぎり、萌葱と話して悩みは解決したかい?」
「……余計に深い所へと沈んで行ったような気さえします」
「おや、余計なことをしてしまったかな」
「いいえ、そんなことは……、」

よいしょ、と小さな掛け声と共に、私の座る縁側の木がギシリと軋む。

ゆっくりと視線を上げれば、隣に座った白露さまが柔らかく微笑んでいて。

「春雨に、しっぽり濡るヾ鶯の……」
「羽風に匂う梅が香や……よく知っているねぇ、あさぎり」
「白露さまはどう思われますか……?」
「んー、なにがかな?」
「……あなたが、もし、」

あなたがもし、梅ならば。

「私はなんなのでしょう……?」

萌葱は土になりたいと言った。
なら、私は?
私はなにになりたいの?

私はなにに、なれば良いの?

「……お前はお前だよ、あさぎり」
「…………でも、」
「そうだね、でも……あえて言うなら、あさぎりは春の雨のようかもしれないね」

……春雨、ですか?

「水が無ければ梅は生きられないよ。それに春雨は優しく降るから……花を落とされることもない」
「……良い意味ですか、それ」
「ふふ、どうだろうね。じゃあ、あさぎりは?あさぎりは自分をなんだと思う?」

…………私は。

「私は、烏だと思います」
「……なぜ?」
「私は醜い。鶯でもないのに、私は……、」

それ以上は言えなかった。

鶯でもないのに梅にとまりたいと思っていることも。
鶯を怨んでしまいそうなことも。

花を啄んでしまいたいと思うことさえあるということも。

口をつくこと無く、渦巻く腹の中へと堕ちて行った言葉達。
喜助の私には、許されない言葉達。

ぎゅっと握り締めたままの手の平は、湿った縁側の床の上。
ふと、それを包むあたたかさ。

「……あさぎり」

見上げれば、白露さまが。
この乙原一の太夫と名高い、たくさんの顔を持つその男が、また。

初めて見る表情で私を見つめていた。

「あさぎり、良いんだ」

何度“朝霧”だと言い直しても、あさぎりと、そう呼ぶ男が。

「烏でも良いんだよ」

人を殺めては怯え、私にすがり。
しかし、その姿を誰にも晒さない、強さという弱さをもった、その男が。

「お前なら……、それがお前なら、何者でも良いんだ、あさぎり」
「……白露さま」
「烏なら、花を全て啄んでおくれ。そして枯らしてしまえば良い」

お前に枯らされるのなら、本望さ。

「……変な意味ですか、それ」
「どうだろうね?」
「そういうの、灯籠や萌葱の前ではよしてくださいね……」

そう言って、私は目の前の男の髪へと手ぬぐいを乗せる。

「あさぎり、拭いてくれるの?」
「早く支度しないと夜見世に遅れますよ」
「ふふ、お前にはかなわないな」

そうして、髪を拭うふりをして。

私はぎゅっと彼の頭へと腕を回した。

嗚呼、嗚呼、嗚呼。

私が烏で。
あなたが梅なら。

私はあなたの花を全て啄んでしまおう。

そうして、鶯を呼ぶ花や香りを失ったあなたを。
木が枯れるのを見届けたら。

そしたら。

木の根に落ちた青梅を啄んで。

あなたの毒で死にましょう。

枯れた梅に、烏の亡きがら。

それは決して美しいものではないと思うけれど。

私はそれで、幸せです。

「どうしたんだい、あさぎり」
「……いいえ、支度をしましょうか」

ねぇ、白露さま。

あなたが自らの毒に怯えるのなら。
あなたを鶯に取られるくらいなら。

一緒に死んで、くださいますか?




……なぁんて、ね。































END.





→あとがき
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ