短編小説3
□愛のカタチ
1ページ/6ページ
その言葉の重たさを。
あなたは想い知れば良い。
『愛のカタチ』
大好き。
その言葉だけで、私はどうしようもない幸せに包まれていたのに。
「アメリカ、行けるかもしんない」
「ぇ…………?」
日曜日の午後。
自分の住むワンルームマンションに恋人を迎え入れ、お茶の準備をしている私の背後から聞こえた声。
振り返れば、私の恋人である笠原利人が嬉しそうに私を見上げていて。
「アメリカ」
「アメリカ?」
利人に言われている言葉の意味が分からない私は、ただ手を止めておうむ返しをするしかない。
だけど、なぜか嫌な予感がした。
それはもう、本能と呼ぶしかないような感覚なのかもしれない。
良くないことが起こる。
そんな、本能。
勝手にどくんどくんと脈打つ心臓。
そして、そんな私のことなんて知るわけもない恋人は、私のお気に入りのクッションを抱きしめたまま、少し恥ずかしそうに話し出した。
「俺、将来的には海外で仕事したいって言ってたの覚えてる?」
「……うん」
それは覚えていた。
それが日本人にとってはとても難しい話で、試験をクリアするだけでも大変なことだということも。
でも。
それがどんなに大変なことかなんて、高校を卒業してすぐ働き出した私には想像すら出来ない。
彼の言葉にうなずきながらも、私はちっとも理解なんてしていなかった。
どくどくと早まる鼓動のおと。
からからに渇いた口を潤そうと喉を鳴らせば、ちり、と胸の奥が痛む。
「それでさ、ちょっと前にボストン行ったりしてたじゃん、俺」
「……そうだね。夏休み、だっけ?」
「そうそう。そん時のレポートと今回の試験の結果を踏まえて教授が紹介状書いてくれるって言っててさ、上手く行ったら向こうの大学に行けるかもしんないんだ」
「…………」
嬉しそうに私を見上げてくる恋人に……利人に、なんて言ったら良いのか。
私には分からなかった。
…………うそ。
ほんとは分かってる。
すごいね、やったじゃん、って。
やっと夢が叶うねって、私も嬉しいよって、言わなきゃいけないのに。
なのに。
私は、なにも言えなかった。
「…………さな?」
だって。
だって、だって、だって。
アメリカの大学に行ったら、どれくらいで利人は帰って来るの?
これから行って、日本の学歴が通用したとしても大学で2年、そのあと大学院に何年?
それから、利人の就きたいお仕事に就けるようになるまでどれくらいかかるの?
それに。
もしそのお仕事に就いたら。
もう利人は帰って来ないんじゃないの?
……なにもかもが、私には分からなかった。
世界が違い過ぎた。
そして。
「……沙菜、喜んでくれないの?」
そう言って、少し心配そうに、少し不満げに、私を見上げてくる恋人は、そんなことなど思ったことすらないのだろう。
彼にとって私は高校からの恋人で、居て当たり前の存在で。
自分の歩む未来に私が居ないことなんて、思いつきすらしないんだろう。
残酷なほど無邪気なその人を想うと、ぎゅうっと心臓が痛んだ。
……いたい。
いたい。
痛い。
イタイ。
それでも。
私は恋人として、彼の夢を応援しなければ。
痛みなんて感じていないふりをして、笑顔で。
笑え、笑え、笑え。
「……ごめんね、びっくりしちゃって」
搾り出した声は小さくてかすれた酷いものだったけれど。
利人に気付かれるわけにはいかない。
痛くてたまらない心臓を無視して。
私は至極嬉しそうに微笑んだ。
「すごいじゃん、利人。さすがだね」
「……うん、ありがとう」
「なによ?そんな変なカオして」
「だって沙菜、あんまり嬉しそうじゃなかったから、嫌だったのかな……って」
「だってびっくりするに決まってるじゃない!!すごいことなんでしょう、それ」
そう言って、私は利人のもとへと駆け寄って、驚いている彼に抱き着いた。
まるで、安っぽいアメリカンドラマのように。
嬉しくてたまらないって顔をして。
本当は、これ以上彼に顔を見られていたら全てがバレてしまいそうだったからそうしただけなのに。
「すごいよ!利人、すごい!!」
「……ありがとう!!」
「やったじゃん!!頑張ってね!!」
涙が出そうなのを堪えて、私は明るい声を出して利人の背中に腕を回す。
そんな私を、彼は私以上にぎゅうっと抱きしめてくれる。
…………なのに。
なのに、私の胸には重苦しい感情が渦巻いたまま。
呼吸すら上手く出来ない。
いつもなら、彼の体温を感じるだけで幸せになれるのに。
彼の声を聞くだけで、幸せになれるのに。
なのに。
まるでそれが毒であるかのように、胸は苦しくなるばかりで。