短編小説3

□愛のカタチ
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「沙菜が居てくれるから、頑張れたとこあると思うんだ」

照れ臭そうな声すら、今は私を苦しめる呪いでしかない。

「沙菜、ありがとう」

……やめて。

「すごい嬉しい。ほんと、俺、沙菜を好きになって良かった」

やめて。

やめて、やめて、やめて……!

やめてよ。
苦しい。

それでも、私は。

「……私も、好き」

平気なふりをして、彼へと変わらぬ愛の言葉を紡ぐ。
いつもならば、口にするだけで私を幸せな気分にしてくれる言葉を。

だけど。

今の私には、重く、ぐちゃぐちゃになった胸を更に締め付けるだけの言葉でしかなかった。

…………くるしい。

「好きよ、利人」

くるしい。

「……沙菜」
「好き」

くるしい。
くるしい。

言えば言うだけ、苦しくなるばかりの言葉に私は絶望した。

変わってしまった『好き』のカタチに。

「……さな」

触れた唇すら、私にはもう胸を締め付けられる拷問でしかない。

そこには確かな熱が、愛のカタチが、あるはずなのに。
霞みがかったそれが、もう私には見えなかった。

「…………好き」

それがこんなに苦しい言葉だったなんて。

私はその日初めて、知ったんだ。




◇◇◇




胸に渦巻く重くて汚いカタマリは、無くなるどころかどんどんと大きく重く、そしてどろどろと汚れて行った。

好きと言うたびに苦しくなって。

先が見えない未来を思い描くたびに、分からなくなって。

胸の鉛は溜まっていくばかりで。

いつしか私は、彼に『好き』だと言わなくなっていた。

彼を愛さなくなったわけではない。

むしろ、彼と離れる未来が近付くたびに私は彼へと惹かれて行った。

だけど。

大学内でも将来を期待される彼と、高校を卒業し、この小さな町の小さな会社で働く私では何もかもが違いすぎた。

私の未来にはなにも見えない。

何年も離れたまま、それでも彼を愛せる自信はある。
ただ、それは私の一方的なもの。

彼の未来を喜べない。

彼の未来に自分の未来を重ねて見ることすら出来ない。

そんな私が、『好き』なんて言葉で彼を縛れるわけもない。

それより、なにより。

苦しくて苦しくて、胸を掻きむしっても蟠りが取れない、息苦しいそれが、私から言葉を奪っていた。

「……沙菜」
「…………ん、なぁに?」
「……なんでもない」

私達はいつしか、交わす言葉を持たなくなっていた。

それから、夏が終わって、秋が通り過ぎて、冬を迎えて。
ついに、その時はやって来る。

「今月末から、留学決まった」
「……そっか。変な時期に行くんだね」
「向こう、こっちと違うから……」
「…………そっか」

慣れない息苦しさは増した気がしたけれど、それでも。

私はどこかほっとしていた。

やっとこの苦しさから解放される、って。

「やったじゃん」
「……沙菜、おれ……俺、さ、」
「うん?なぁに?」

苦しくて堪らないのを我慢して、笑顔を作って。
見上げた利人は、少しだけ苦しそうに、私を見下ろしていて。

でも、私にはそんな利人の気持ちが分かってあげられなくて。

「……ごめん、なんでもない」

だから。

苦しそうな彼と離れる準備を、ゆっくりと進めていったんだ。

ゆっくりゆっくり、少しずつ。

初めは彼からの誘いを2回に1回、断るようになった。
それが例え食事の誘いであっても。

それから、彼に会わなくなった。

電話に出なくなった。

メールを返さなくなった。

ゆっくりゆっくり、私の中から笠原利人という人間が消えて行く。

狂おしいまでのその感覚。
それでも、胸に溜まっていく息苦しさよりは、胸から何かが消えて行く方がまだマシだと思った。

卑怯だと言われても構わない。

私にはそうするしかなかった。

それが、この小さな町で一生を終えるであろう私の、正真正銘の愛のカタチだったのだから。

彼を解放して、私も解放される。

それで良いと思っていた。

だから。

その女の子が私の働く会社へやって来た時は、本当に本当に、驚いたんだ。

「秋元沙菜って、あなたですか?」
「……はい、そうですが」
「私、笠原くんの友人なんですが」
「…………はい」

私とそう年齢の変わらなさそうなその女の子は、私の勤める会社の物販コーナーから取って来たらしいお菓子作り用の粉をテーブルにたたき付けると、私へと視線を落として来る。

「これ、お願いします」
「840円になります」
「……あなた、笠原くんの彼女なんですよね?」
「……いちおう」
「じゃあ!どうしてあいつを応援してやらないんですか!!」

そう、女の子は勢い良くテーブルを叩いて私へと罵声に近い声を浴びせ掛けた。

それでも。

今の私には、なんとも思えない。


 
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