短編小説3

□夫婦喧嘩は犬も食わない
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高校時代を思い返して、一番に出てくるのはやっぱり野球。

決して広くはないグラウンドに、ボロいベンチに、使い古されたピッチングマシン。
レギュラーぎりぎりの人数しか居ないチームメイトと、おっかない監督。

青い空と、白球と、土の匂い。

それから。

俺の夏には、いつだって笑顔のキミが居た。






















『夫婦喧嘩は犬も食わない』






















羽柴くんと蒼井さんが付き合い始めたのは知っていた。

宮木くんの店でやった元・部員の飲み会でなんかモメてたのも知ってたし、次の日の試合終わり、ヒーローインタビューに上がった羽柴くんに名指しされた蒼井さんがモニターいっぱいに泣き面をブチ抜かれた瞬間に、さすがにピンと来た。

ああ、ついに羽柴くんは10年近い片想いに終止符を打ったのだ、と。

と言うか、そもそも見てるこっちがイライラするほどあの二人はお互いを気にし合っていたんだ。
そうなったのは極自然的なことに思えた。

だから。

俺は今、自分の置かれたこの状況がなんなのか理解出来ないでいる。

「羽柴くんってどうしてああなの!?」

そう言って、涙を浮かべた目で悔しそうに唸るのは他でもない羽柴くんの彼女であり、俺の元・同級生。

野球部のマネージャーであった蒼井さんは、当時では考えられないほどに白くなった手をぎゅうっと握り締めている。

「あんな男とずぅううっと一緒でよく我慢出来るね、立花くん……ッ!」
「ああ、うん……まあ、慣れ、かな」
「私には絶ッ対!無理!!」

そう、荒い息を吐く彼女が居るのは俺の部屋で、俺はそんな彼女をどうして良いか分からずにへらりと笑った。

約、10分ほど前。

ぴんぽーん、と鳴らされた部屋のインターホンに、俺はてっきり羽柴くんが来たんだと思ったんだ。
外から友達が来るなら一階のロビーから呼び出しが入るはずだから、きっと一つ上の階に住む相棒が来たのだと。

そう思った俺は、インターホンのモニターすら見ずに玄関のドアを開けたんだ。

しかし、そこに居たのは。

細い体に可愛らしいワンピースを纏い、ずいぶん短くなった髪を跳ねさせた、今も目の前で悔しそうに歯を食いしばる元チームメイトで。

とっさに俺は、ああ、羽柴くんがなんかやったんだな、と思った。

そして、幸か不幸か、それは正解だった。

「なんであんなに偉そうなの、あいつ!」
「仕方ないよ、昔からああなんだもの。悪気は無いんだよ、ただほんとに自分の正義を振りかざしてくるだけで」
「ほんと偉そう!キングオブ偉そう!」
「キングオブ心配性だからねぇ」

えらい言われようだな、と思いながらも彼女に同意して頷いておく。
確かに彼のアレは一種の病気だ。

酷い心配性で、おせっかい。

「でもね、そこには愛があるんだよ?」
「……高校ん時、立花くんはそれで割り切れた?あれ食うなこれすんなって、めちゃくちゃ言われてたでしょ?」
「いや、前半はまだしも3年くらいからはかなり本気で殴りたかったよ」
「だよね!?私もすごい殴りたいもん!!」

そこまで思うなんて、なに言われたの?

そう、俺は台所でインスタントコーヒーにお湯を注ぎながら、そこから見えるリビングに座る彼女を見つめる。

そんな俺の視線に気付いてないらしい蒼井さんは、まるでクセのように髪の毛をくりくりといじりながら話し出した。

「……すんごいくだんないこと」
「例えばどんな?」
「…………だから、その、」

言いにくそうに言葉を濁して。
無意識なのか、口をもごもごさせながら頬を染めている。

その姿は高校時代からあまり変わっていなくて、ああ、やっぱ可愛いひとなんだなぁと、ヒトゴトのように思った。

「…………す、」
「す?」
「す、スカートが、短すぎる、とか」
「……のろけ?」
「チガウ!」

お湯を注いだだけのコーヒーを入れたマグカップを手に戻った俺を、蒼井さんはその大きな目で睨み上げる。

……変わらないなぁ、ほんとに。

「酷いのよ!スカートが短いだとか肩が出過ぎだとか!あそこには行くなここには行くなってアンタ私の父親!?って!!」
「あー、うん、分かる分かる」
「分かる!?分かってくれる!?やっぱりコレは経験した人にしか分かんないのよね!!私がいくら言ってもみんな『ノロケ?』って言うし!私ってそんっなに、」
「信用出来ない人間?って思うよね」

そう言った瞬間、がばりと抱き着かれた。

小さな彼女は体重が軽いからよろめくことはなかったけれど、さすがにちょっとびっくりした。

あまりにもその体が柔らかくて。

「そう!それなのよ!ほんと、立花くんってイイヒト!」
「はは、それはどうも。とりあえず一回離れて、コーヒーこぼれちゃう」

そう言って笑った俺に、ハッと我に返ったらしい彼女は「ごめんなさい」と飛びのいた。
でも、その表情は清々しい。

彼女の中での俺は、まだ高校時代の情けない少年のままなんだろうな、と思うとなんだか複雑だった。

「コーヒー、インスタントで悪いけど」
「ううん。ありがと、いただきます」

そう言って湯気の立つマグカップの中身をふーふーと吹く彼女を見て、俺はやっと自分の失態に気付く。

このクソ暑い季節になんでホットコーヒーなんか出したんだ、俺。

いくら部屋ん中は涼しいとは言え。

「ごめん、なんか、暑いのにホットとか出しちゃって……」
「ううん、良いよ、好きだから。……でも、なんか安心した」
「……なにが?」

どこか嬉しそうな彼女にそう問い掛ければ、蒼井さんは昔から変わらない、愛嬌のある笑顔で俺を見上げた。

「立花くんがちゃんとヌケてて」
「……なにそれ」
「なんか最近さ、みんな大人になっちゃって。立花くんなんか雑誌とか出ててびっくりするよ……ぁ、そうだ、anan見たよ。綺麗なお尻してるんだねぇ、立花くん」
「ヤメテクダサイ」

なんだろう、この複雑さ。
雑誌の写真とは言え、同級生、しかも異性にケツを知られてるというこの屈辱感。


 
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