短編小説3

□はじまりはボンネットから
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「て言うかさ、さっきの教師見た?久遠だっけ?無気力そーなおっさんだったよなー。あいつ絶対ぇ結婚してない」
「……見てない」
「四十手前くらいかね?」
「だから、見てないってば」
「カオは悪かねーのに独身ってこたー、ありゃ性格わりーぞ、絶対」
「だーかーらー!」

見てないってば!!

て言うか、独身独身言ってるけど、先生そんな話し一言もしてなかったよね!?
あんま聞いてなかったから分かんないけど!!

「いや、結婚してないね。妻子持ちにゃメルセデス・ベンツのG55AMGロングなんか乗れるわけねー。ありゃ独身貴族だ、間違いなく」

メルセデ……なんて?

「ベンツだよ、ベ、ン、ツ!でけー窓のロングタイプ!AMGとは言えベンツには変わりねーからな。朝、降りてるとこ見たんだよ」
「おベンツか……」
「おベンツだよ」
「……ちなみに、いくらくらい?」
「パッと見たとこ、シートが革だったからなぁ、1800万ってとこかね」
「せん……ッ!?」

そりゃ独身だわ、間違いなく。

それか相当危ないことに手ぇ出してるかよね、うん。

……どんな人なの、久遠先生。

そうこうしているうちにチャイムが鳴り、佑太は慌てて自分の席へと戻って行った。
そうして私はつまらない授業を受けながら、ずっと思っていたわけだ。

久遠先生はどんな人なんだろう、って。

高級車に乗ってて、たぶん独身で、でも顔は良いらしくて、それでこんな中途半端な時期に産休の代わりに入ってくる。
つまり、少なくとも今年は他の学校とかでも働いてなかったわけだよね。

……どんな人なんだろう、久遠先生って。

でもまぁ、ぐるぐる考えてみたところで答えなんて出るわけもない。
だって、相手は大人の男の人なんだもの。

せめてカオくらい見ときゃ良かったなぁなんて後悔しかけて、気付く。

これからしばらくは世界史教えて貰うことになるんだった、って。

そうして、久遠先生のカオを見る機会は案外早くやって来た。
5限目が世界史だったんだ。

「えーと、前ってどこまでやってたの?」
「ちゃんと引き継ぎやれよクドー!」
「やったよ。やったけど忘れた。えーと、俺、テューダー朝好きだからテューダーからやって良い?あんまテストには出さねえし関係ねえけど」
「真面目にやれやクドー!」
「声でけーんだよお前ら。あとさっきから特にうっせえお前は今日からピチョ崎って呼ぶことにします」
「なんだよピチョって!」
「俺が大学生ん時に飼ってたウサギの名前だよ。かわいいだろうが。あと一つ人生の先輩として言っとく、彼女欲しいならウサギだけは飼うな、絶対に。さーて、授業始めます。えーと、テューダー家はウェールズを発祥とするかつてのウェールズの君主の末裔の家系でー、」
「テューダーからかよ!!」

……なんて言うか。

久遠先生は、どこまでも自由な先生だった。

確かに佑太の言う通り、カオは結構格好良かった。
やっぱり年とってる感じはするけど。

あんまり笑わないのに、言葉や雰囲気が穏やかなせいか柔らかく感じる。

説明中にあくびとかしちゃったりするし、ほんとにてきとーなんだな……とは思うけど、たびたび、教科書には書いていない裏話を織り交ぜながら話してくれる授業内容はとても面白くて、頭に入りやすかった。

ああ、良い先生なんだなぁと思うと嬉しくて、私はその日、無意識に先生のことばかり考えていたらしい。

だから。

こんなことになったんだと思う。

「おい!そっち居たか!?」
「こちら異常ナシですッ!!」
「こっちも居ません!!」
「ここらに居るはずなんだ!紺のセーラー服だ、よく探せよ!!」

すぐ下で交わされる怒鳴り声のような警察官の会話を聞きながら、私は深夜の市営美術館の屋根裏倉庫のような場所で泣きたくなっていた。

セーラー服を着た私。
ポケットには綺麗なガラス細工。

何世紀のヨーロッパだかどっかの貴重なガラス製品だかなんだか知らないけれど、これを依頼人に返すために盗んだのは私。

つまり。

今、ばたばたと走り回っている警察官さんはみんな私を探し回っているわけですよ。

……絶対絶命。泣きたくなるほどに。

とりあえず隠れてはみたものの、もうきっと館内は警察官でいっぱいだろう。
こうなれば侵入口であった窓には戻れないし、ここが見つかるのも時間の問題。

息苦しいほど埃っぽいこの部屋には天井窓が一つ。

あの鍵を開けるのは簡単だろうし、壁の枠や荷物を登って行けばあそこから出るのは容易いだろう。

だけど。

はたして屋根の上から逃げられるのか、外の様子がどうなっているのか。

それが全く分からないだけに、そう簡単に行動に移すわけにはいかない。

そんな、焦りながらも慣れたことを考えていた私の耳に、ぷち、と通信の繋がる音が聞こえる。
私は慌てて佑太から渡されていたその通信機に耳をすませた。

そして。

『おーい、シマー?シマちゃーん?まだ捕まってねーかー?』

聞こえたのは、そんな呑気な共犯者の声。

そりゃあんたはちょっと離れた場所に居るから良いでしょうけど!!


 
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