短編小説3
□一杯の紅茶と
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渇くことに慣れた心を満たすにはどうしたら良い?
誰かを信じるなんて、そんなものは危ない賭けでしかないだろう。
そりゃあ私だって昔は何かを信じていたさ。
だが、圧倒的に負けることの方が多いルーレットを回すには、私は年をとり過ぎた。
「あなたって本当に孤独な人ね」
そう言って彼女達はいつも私に背を向ける。
あの人もそうだった。
何かを信じ、執着すればするほど、それを失う時の痛みは大きい。
痛みを知っている大人は無邪気な子供よりも臆病だなんて、あの頃の私は知っていただろうか。
『一杯の紅茶と』
一杯の紅茶と一緒に、それはやって来た。
「アップルティー・カップです。ほら、ご主人様に挨拶なさい」
「……ぁ、あ、アップルティー、で、す」
「今日から身の回りのことは全てこの者にお申しつけください。この者以外に新しい使用人は雇う予定はございませんので。もしお探しでしたらご自分で求人をお出しくださいませ。理由はご自分で分かっておいでですね、ローガン様?」
そう、まるでまくし立てるように言ったのはこの屋敷のメイド長で、私が実家に居る時から身の回りの世話をしてくれていたソフィー。
ふくよかな体をしたその年嵩のメイドは、毎日の日課である3時の紅茶と共に、一人の少女を連れて来た。
濁った紅茶色の短い髪。
林檎の花のように真っ白な肌。
揺らぐ紅茶の湯気の向こうで怯えたように佇む少女は、そのひしゃげそうなほど小さく細い体にうちの使用人の制服を纏ってはいる……が。
「…………ソフィー」
「なんでございましょう」
「その子、いくつだ」
「今年で12になったそうです」
「…………」
予想通りの答えに言葉も出ない。
そう、ソフィーの連れて来た新しいメイドは全くの子供だったのだ。
今年で12と言ったが、見た目はもう少し幼く見える。
おそらく家が貧しく、栄養が不足していたのだろうと安易に想像出来た。
こうして口減らしにあうほどなのだから。
怯えて細い足を震わせる少女。
私があの家から見放されたのもこれくらいの年だったかな。
それを自分と重ねるわけではないけれど、素直に可哀相だと思うよ。
だがな、ソフィー。
いくら私が屋敷のことに関して執着が無いとは言え、さすがに数少ないメイドの一人に子供を雇うほどでは無いぞ。
「ソフィー、私はその子を雇う気は無い」
そう小さく溜め息を吐きながら言えば、視界の端、揺らぐ紅茶の湯気の向こうで少女がびくりと震えるのが見えた。
可哀相なことをしている自覚はある。
ここで職にありつけなければ、もしかしたら少女は街角で娼婦まがいのことをするハメになるかもしれない。
今のヨーロッパはそういう時代だ。
しかし、そんな風に心の中で悶々と考え込む私にソフィーは……この屋敷を明日で退職する予定のメイド長は、ばっさりと言い捨てたのだ。
「それは許されませんわ、ローガン様」
…………え、なんで?
「本家からの言い付けでございます」
「本家って……屋敷を出て何十年経ったと思ってるんだ。もう縁を切られたも同然だろう、今更、」
「“シルキィ社創設者、公爵家の名門マルヴィン家のローガン・ジャン=マルヴィン、またもやメイドを妊娠させる”」
「…………それは、」
「先週の記事です。低俗でくだらない紙面ですが、本家がやっとお咎めを出す気になったようで」
ふん、と鼻を鳴らして「自業自得ですわ、ローガン様」と踏ん反り返るソフィーの横で、少女は……アップルティーと呼ばれた幼い使用人は、不思議そうに私を見上げる。
真っすぐ過ぎる瞳に心が痛い。
「当初は50人以上居たメイドをわたくし以外妊娠させたのはどなたです?ええ、ローガン様?」
「大袈裟に言わないでくれ。私はたったの……たったの…………、」
「ええ、たったの14人妊娠させただけですわね。残りはメイド内での激しいイジメや派閥に堪えられずに辞めて行った者ですからね。あなたが全員に『お前が一番だ』などと愛を説かれたせいでね」
そう言われると何も言い返せない。
確かに、この屋敷には当初50人以上のメイドが居た。
だが、代わる代わる辞めて行き、新しいメイドが来てはまた辞めて行き……ついには先週、最後のメイドであったエリスが妊娠したらしい。
最初は子供の父親であることを認めてくれと言って来た彼女達だったが、前例を重ねるたびにせがむのは堕胎するための費用や生活費や慰謝料だけになって行った。
エリスは堕胎するための費用と慰謝料だけを望んで、私は彼女が望んだ以上の金を渡した。
そうして彼女は出て行った。
今までのメイド達と同じように。
ここに私だけを残して。