短編小説3

□一杯の紅茶と
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「……それのどこに問題がある」

ふと、初めに私に背を向けたあの人の記憶が蘇り、自分でも驚くほど低い声が出た。

私も今年で35になる。

守るべき家族も無く、独りきりで広い屋敷に住む自分はなんて情けない生き物なのだろうかと思うこともあったさ。

気まぐれにメイドに手を出し、妊娠させるだけさせ、放り出す。

非道なことをしている自覚もある。

だが、私は彼女達が望むだけの……いや、それ以上のものを与えているじゃないか。

ならば何も問題無いはずだ。

「……問題が無いと言い切れますか?」
「主人がメイドに手を付けるなんて、いまどき戯曲にすら使われないほど在り来りな話だろう?それに、私は彼女達が望むものは全て与えている」
「…………全て、ですか」

そう、どこか悲しそうにソフィーは呟いた。

私が幼い頃は溌剌とした印象を受けた彼女は、私が年をとったのと同じように二十年以上の月日を過ごしている。
深い悲しみを纏った目尻は皮膚が垂れ、それでも柔らかな印象を与える瞳が私をじっと見つめていた。

「彼女達が本当に望んでいたもの、お分かりになりませんか」

本当に望んだもの?
彼女達は何か他に欲しいものがあると言っていたのか?

そう尋ねた私に、ソフィーは緩く首を振る。

「言葉だけが全てではありません」
「……理解出来ないな」
「ローガン様、あなたはとても……とても、寂しいお方ですわ」

はは、ソフィー、お前もそれを言うのか。

初めて言われた時は腹の立ったその台詞も、言われ慣れてしまえば何とも思わないものになっていた。

いや、私が年をとったのか。

「よく言われるよ」
「あなた様を幼少のみぎりよりお世話させていただきましたのに、腑甲斐ないメイドでしたわね、わたくしは」
「いや、ソフィーはよくやってくれたよ」

今日までご苦労だったね。
そう言って微笑めば、まだ明日までおりますわ、と肩を竦めて彼女は笑う。

私は、その隣でずっときょとんとしていた使用人を見つめた。

「アップルティーといったかな?」

そう尋ねれば、自分が呼ばれるとは微塵も思っていなかったのだろう。
少女はその、髪と同じ濁った紅茶色の瞳を大きく見開く。

……いや、もしかしたら“アップルティー・カップ”は偽名なのかもしれない。

そう思うくらいにぎこちない動きで、少女は自分の名前に反応した。

「今日からよろしく頼むよ、アップルティー君」
「……は、はい、あのっ、……はい」

子供らしい高い声。

素直に可愛いな、と思う。

そんな気持ちが顔に出ていたのだろう。
それまで珍しくしおらしかったソフィーが、いつもの調子で私を睨みつけた。

「まさかとは思いますが、ローガン様、ペドフェリアの気はございませんわよね?」
「……唯一、私が貴族として逸脱していて良かったと思っているのがそこなんだがね、ソフィー君」
「どちらかと言えば年増がお好きですものね、ローガン様。最後の記念に、今夜わたくしが寝屋にお邪魔いたしましょうか?」
「厳重に鍵をかけておくよ」
「あら、五十茣蓙掻きという言葉をご存知ありません?」

別に私は快楽を求めて性交しているわけじゃないよ、といつもの調子で言いかけて、ソフィーの隣に子供が居るのを思い出した。

こら、アップルティー、「ござかき?」じゃありません。

私はごまかすように咳ばらいをしてから、ソフィーへと向き直った。

「とにかく、だ。私は子供に手を出すほど飢えてはいないよ」
「お盛んな時期も過ぎましたものね」
「……否定はしないよ」
「とにかく、本家が“妊娠しない”メイドを雇わせた意味をきちんと理解して上手くやってくださいまし。それでは」

そう言ってソフィーは、無責任にもアップルティーを残して私の書斎から出て行った。

しん、と静まり返った部屋のなか。

苦し紛れに見下ろした紅茶は、すっかり冷めて湯気を失っていた。


 
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