短編小説3

□white
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世の中、何が起こるかなんて分からない。

安全な道なんて、ひとつも無い。

静かなエンジン音を聞きながら、わたしは固く握り締めた自分の手を見下ろす。

くしゃくしゃのスカート。

涙がひとつぶ、こぼれ落ちた。






















『white』






















わたしの人生、どこで間違ったのだろう。

大きなお家に、優しい両親。
乳母や家庭教師にも恵まれ、婚約者との縁談も滞りなく進んでいたはずだ。

裕福な家庭、と呼ばれた我が家のひとり娘。

そんなわたしの人生。

どこで踏み外してしまったのか。

始まりは、父が事故死したことだった。
そして、その不幸を悲しむ間もなく発覚した、父の不正。
会社の裏取引、数人の愛人。

イメージ重視であった父の会社は、瞬く間に窮地に追い込まれ、呆気なく倒産した。

そしてまた、ずるずると出るわ出るわ、父の借金、愛人、借金。
借金。借金。借金。

……優しかったはずの母は、わたしを置いて蒸発した。

わたしに残されたのは、空っぽの家と借金だけ。

夫婦別財産制、なんてものが適応されれば、わたしに父の借金を返す義務は無いはずだった。

しかし。

父は、そんな生易しい法律を視野に入れてくれるような場所ではお金を借りていなかったらしい。

取り上げられた我が家。

財産は何一つ残っていなかったけれど、借金はまだまだ残っている。

そしてそんな、着ているもの以外何も持っていないわたしに、父にお金を貸したその人達は言ったのだ。

払えないなら、体を売れ、と。

臓器か性器かは選ばせてやる、と下品な笑みを浮かべながら。

怖くて怖くて、体が震えた。
喉が渇いて、頭が痛くなって、とめどない吐き気に気が遠くなる。

それでも。

死ぬのは、いやで。

……わたし、は。

「…………そんなに震えないでよ」

わたしは、体を、売ることにした。

だけど。

だけど、こんなの。

聞いてない。

「……どうして、カメラ、」
「撮影なんだから当たり前でしょ」
「ッ……、」

体を売ることを承諾した数日後。
車に乗せられ、連れて行かれたのは、安っぽい小さなホテルだった。

ああ、わたしは今から、名前も知らない男に汚されるんだ。

そんなことを思いながらも意を決して、部屋へと入ったわたしを待ち受けていたのは、数台のカメラと、ラフな格好をした男のひと達。

……どうして、なんで。

わたしは、知らない男のひとに、体を売って、それで、借金を返して……。

なのに、どうして。

「……あー、もしかして聞いてなかった?ハメ撮りだって」
「っ、……聞いて、ません、」

ひときわ背の高い、黒ぶちのカジュアルな眼鏡をかけた男のひとの、直接的な表現に顔が熱くなる。

いくらなんでも、わたしにもその言葉の意味は分かったから。

顔が熱くなって、同時に冷たくなる。

…………こわい。

「参ったねー、どうするかー……」
「社長は構わずやれって言って来てますけどねぇ」
「でもさー、ほら、さすがに無理矢理は俺が無理だわ。フリならまだしも」

ベッドを取り囲んで話し合いをしている人達の会話がたまに聞こえて、更に恐ろしくなって。

体がどんどん冷えていく。

そうして、わたしが部屋の隅っこで俯いているうちに話し合いは済んだらしい。

「ねえ、きみ、ちょっといいかな」

黒ぶち眼鏡のその人は、ベッドに座ったままわたしを手招いた。
重い足取りで、わたしはそれに従う。

「きみ、名前は?」
「…………ちとせ、です」
「うん、じゃあ、ちとせちゃん。ちょっとつらい話になるんだけど、いいかな」

いいも何も、わたしに選択肢なんてないのに。
そんな気持ちを抱きながらも、わたしは頷いた。

「きみの借金は、ちょっと……その、ソープやキャバクラなんかだとなかなか返せそうにない額なんだよ」
「……はい」
「だから、この一回きりで、借金がチャラになるのは、悪い話ではないと思うんだよね……どう思う?」
「…………はい」

でも、映像は残る。

きっとわたしは、もう普通の女の子には戻れない。
……それは、どの道に進んでも同じ。

「じゃあ、いいね……?」

わたしは滲みそうになる涙をこらえながら、頷く。

どうやらこの眼鏡のお兄さんが相手らしい。

優しげに手を引かれ、ベッドに座るお兄さんの隣へと誘導される。

「大丈夫、優しくするよ」

優しい声。
優しい指先。
眼鏡の奥の目は優しげに緩められ、曲がりなりにも俳優……と分類されるであろう彼の恵まれた外見を引き立たせている。

でも。

この人は、わたしに。

「……そんなに強張らないで」
「っ、ごめんなさ、い、」
「いいよ。しょうがないよね。……キスして良いかな?」

そう言いながらも、するりと耳を撫でられ、顔を持ち上げられる。

わたしに選択肢なんて無い。

ぎゅう、と目をつむれば、結局婚約者にも許すことのないままだったその行為は、いとも簡単に済んでしまった。


 
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