短編小説3

□名もなき風と夢語り
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「…………かげとき」
「……んー、なあに?」
「……かげとき」

ぽん、ぽん、ぽん。

懐かしい手。
愛おしい声。

枯れたはずの涙が、再び布団に染み込む。

「……かげとき、かげとき」
「んー?なあに?泣き虫ちよ様」

穏やかな声。

いつもおどけたように響くそれ。

「かげとき、これは、夢……?」
「……そうだよ、夢だ。ちっちゃい頃から熱が出るたび見てた怖い夢」
「…………うん」

こわいよ。

この幸せを求めてしまいそうで。

逃げてしまいそうで。

こわい。

「大丈夫、すぐ覚める。熱も下がるよ」

ぽん、ぽん、ぽん。

布団にもぐったままの私に、かつて私の忍だったその人は。
途切れ途切れ、話をしながら。

ゆっくりゆっくり、私をあやす。

赤ん坊でもあやすように。

その、手の大きさも。

あたたかさも。

私はなにもかも、知っている。

だって、これは私の夢なのだから。

私の描いた、悲しい悲しい、悲しい夢。


「……よさま、ちよさまっ?」


そこで、私の意識はやっと覚醒した。

目を開ければ、いつもの天井。
私を見下ろす、可愛い可愛い私の忍。

「…………きりや?」
「はい、霧矢にございます」

そう言って、霧矢は少しホッとしたように小さく笑う。

「……少し、泣いておいででした」
「…………そう」
「きっと熱のせいでしょう。申し訳ありません、薬草を探すのに手間取って……これですぐ良くなりますよ」

起きられますか?
そう聞かれて、首を横に振る。

頭も体も、重くて仕方なかった。

「では、失礼して……起こしますよ?某にもたれてください」
「霧矢、某などと……けほっ、」
「ご無理なさらず」

今度は少しおかしそうに笑った忍は、私の背中に手を回し、私を起こしてくれる。
そうして、畳の上に置いてあった朱塗りの椀を差し出した。

「お飲みください」
「……苦い?」
「苦い薬ほど良く効きます」

気は進まないけれど、仕方がない。

私は椀を受け取り、中に入っている、少し変わった臭いのする液体を、一口だけ嚥下した。

……にがい。

もう一口飲むには覚悟が必要で、私は時間を稼ぐために部屋の中を見渡す。
とは言っても、私と霧矢以外が出入りすることの無い部屋に変化などなく。

……いや、今日だけは違った。

部屋の、隅。

障子の手前に、真っ赤な葉が一枚。

赤ん坊の手の平のようなそれを無言で見下ろしていると、それに気付いた霧矢が「ああ、」と声を上げた。

「障子をお開けになったのですね?」

……違う、霧矢。

私は、開けてない。

「今日は珍しく風が吹いていたようですね、紅葉が入ってくるなんて。風も、なかなか風流でよい計らいをしたものです…………っ、ちよ様!?」

驚いたように、霧矢が声を上げる。

当たり前だろう。

主人がいきなりぼろぼろと涙を流し始めれば、誰でも驚く。

「いかがなさいました、ちよ様!?ど、どこか、痛いところでも……っ!?」

いいえ、違うの。
違うのよ、霧矢。

「……とても怖い夢をみたの」
「怖い夢、ですか……?」
「ええ、とてもとても、怖い夢」

そう。

幸せで。

とてもとても、幸せで。

そして。

とてもとても、悲しい夢を。




















『名もなき風と夢語り』


→あとがき.
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