短編小説3
□メルト
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ぎゅうっと狭くなった胸の奥と、ずきずき痛むほどに熱の集まった目頭。
鼻の奥がツンとする。
……こんなことで泣く必要なんてない。
頭では分かっているのに、心がずきずき痛んで苦しくて、止まらない。
ぽろ、と涙が頬を伝うのを感じた。
いけない、パソコンにかかったら壊れちゃうかも。
そんなことを思って、わたしがタオルを取りに立ち上がったのと。
廊下とリビングを繋ぐドアが開いたのは。
ほぼ同時だった。
「ただい……ま……、」
「…………」
長めのトレンチコートを脱ぎながら部屋へと入って来たその人は、わたしを見て固まる。
わたしはわたしで、涙が止まるほどびっくりして。
呆然と立ち尽くすしか出来なかった。
しん、と静まり返るリビング。
沈黙を破ったのは、わたしの夫であり、この家の契約主であるその人だった。
「……なに、泣いてんの?」
「…………な、なんとなく」
下手過ぎる嘘。
そんな嘘を、おじさんが……出会ってからの期間を換算すれば5年の付き合いになる聡いその人が、見抜けないわけもなく。
「どうしたんだよ。なんかあったか?」
「……なんでも、ないよ?」
「そんなわけないだろ……はあ、今日は早く帰って来て正解だったな」
そういや今日、帰って来るのいつもより2時間くらい早いよね……。
「ここ最近様子変だったしな、お前。今朝は特に変だったから、早めに仕事切り上げて来た」
「……ごめんなさい」
「お前が謝ることじゃないだろ」
そう言いながら、鞄と脱いだコートをソファーに置いたその人は、じっと伺うようにわたしを見下ろして来る。
朝から少しも崩れていない髪型と、体に馴染む、きっちりとしたスーツ。
わたしよりもずっとずっと大人なその人。
そんなおじさんの、少し垂れ目気味な瞳だけが、心配そうに揺れていた。
「……ぜんぜん、大丈夫なの。大したことじゃなくて、あの、」
「嘘つけ。滅多なことじゃ泣かないくせに」
「…………ほんとに、あの、」
自分の声がだんだん小さくなって行くのが分かる。
それにおじさんが焦れていることも。
話すことも、ごまかすことも出来ないわたしは黙るしかなくて。
どれくらいそうしていただろうか。
静まり返ったリビングに、ウィーン、とパソコンが唸る音が響いた。
びく、と肩が震えてしまう。
…………ま、ずい。
「パソコン開いてたのか?」
珍しいな、そう言って何気無くパソコンに近付こうとしたおじさん。
思わずわたしは、そんなおじさんから庇うようにパソコンを背にしてしまった。
「な、なんでもないの……!あの、ちがうくて……その、」
「……余計怪しいぞ、それ」
「でも、違うの…………ぁっ!」
思わず声が上がる。
だって、おじさんが少し強引にわたしの背中をすり抜け、パソコンを覗き込んでしまったから。
…………どうしよう。
パソコンの液晶を見つめたまま無言になってしまったおじさんを見下ろし、わたしは頭の中でその言葉を何度も繰り返していた。
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
私生活をインターネットに書き込むなんて、馬鹿で愚かで迂闊なことしてるって思われた?
はしたない女だって思われた?
今度こそ、ほんとに。
ほんとのほんとに、愛想を尽かされた?
「……お前、あんま馬鹿なこと考えんなよ」
低く響く、おじさんの声。
普段から無愛想に響く、大好きだった声が、今日だけ怖く感じて。
ぼろ、と涙が溢れた。