短編小説3

□真夜中のレッスン
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「……失礼、いたし、ます、」

幼いメイドは大きなトレイにティーポットとカップを乗せ、それを小さな手で抱えるようにして書斎へと入って来た。
細い足はよたよたと頼りない。

……なるほど、トレイを抱えたままノックが出来なかったわけか。

「もうお煎れしてもよろしいですか?」
「ああ、頼む」
「かしこまりました」

書類をそれぞれのファイルにしまう私の視界の端、幼いメイドが拙い手つきで紅茶を煎れようと四苦八苦しているのが見える。

小さな少女の手で扱われるポットやカップが、異様に大きく見えた。

そうして、しばらく悪戦苦闘した後、少女は少し嬉しそうに私へとカップを差し出して来たのである。

「お待たせいたしました」
「ああ、ありがとう」

ディンブラらしい、美しい紅茶色。
万人受けする香りを安っぽいからと嫌う貴族は多いらしいが、私はくせのあるアールグレイやアッサムよりも好きだった。

寝酒代わりにするのなら、尚更に。

す、と香りを吸い込んで。
熱いカップに口をつける。

……そして、私は無言になった。

「…………どうかなさいましたか、ローガン様?」

どうやら表情まで固まってしまっていたらしい。
幼いメイドは不安げに私を見上げてくる。

「……いや、あの、アップルティー」
「はい」
「これ……は、確かにディンブラか?」
「はい、いつものディンブラです」

ソフィー様が書き残してくださったメモに、夜中にディンブラと言われた場合はこれをお出しするように、と。
そう言って誇らしげに微笑むメイドには悪いが……なんと言うか。

「……アップルティー」
「はい」
「お前、どういう煎れ方してる?」
「はい?」

不思議そうな顔。
無邪気な子供のそれ。

それと相反するような、凶悪なまでの苦味と渋味のハーモニーを奏でるカップの中のディンブラ。

逆に聞きたい、どうやったらディンブラでこんな味が出せるんだ。

「……普通に、煎れましたよ?」
「アップルティーと同じように?」
「はい。アップルティーの林檎無しな感じで…………ぇ、あの、もしかして……まずい、ですか……?」
「…………」

昔の私ならば、一言「まずい」と言い放っただろう。
相手の顔を見ることもなく。

だが、私は年をとりすぎた。

しかし、年の割りには対人関係に問題を抱えたまま年老いてしまった私に気の利いた台詞が言えるわけもなく。

無言で立ち尽くす私を見上げる幼い少女の顔が、見る見るうちに青ざめて行った。

「……っ、きぁあああ!すいません!すいませんすいませんすいません!すぐっ、すぐ煎れ直しますので、あの……っ!」

大きな目に涙を滲ませ、慌ててカップとポットを下げる細い腕。
肩を落とす後ろ姿があまりにも悲壮的で、私は思わず少女の腕を掴んでいた。

「っ、待て!アップルティー!」
「…………はい」

まるで「クビだ」と言う言葉を待つような、濁った紅茶色の大きな目。

それを直視することも出来ずに、私は小さく深呼吸をした。

……慣れないことをしている自覚はある。

私は子供なんて大嫌いだ。

出来れば一緒になんて居たくはないし、言葉を選んで交わすのだって大嫌いだ。

だが、なぜか、私は。

「……キッチンへ行こう」
「…………へ?」
「紅茶の煎れ方くらいなら、教えてやれる。一回しか教えないからな……」

そんな、私らしくもない提案を持ち掛けていた。



◇◇◇



「ポットに湯を沸かす」
「ポットで沸かすんですか?」
「……今まで何で沸かしてたんだ、お前」

幼いメイドと共に真夜中のキッチンへと向かった私は、さっそく頭を抱えていた。

「今まではお鍋で沸かしてました」
「……ミルクティーでもないのにか?」
「アップルティーはお鍋で沸かすんですもの。林檎の皮と一緒に入れて」
「ほんとにアップルティーしか煎れられないんだな、お前」

そう、アップルティーは……。
アップルティーというあだ名を孤児院で付けられたその少女は、本当にアップルティーの煎れ方以外何も知らなかった。

ティースプーンという道具の存在も、茶濾しも、なにもかも。

「ティースプーンで1杯だ」
「さっきのやつですね」
「湯は高い位置から注ぐ」
「なんでですか?」
「っ、いちいち質問を……、」

なぜ、子供という生き物はいちいち全てを聞かなければいけないのか。
苛立ちを隠しもせずにアップルティーを見下ろせば、無邪気な瞳が探究心にキラキラと輝いていた。

それに、ぐ、と言葉を詰まらせた私は、大きく深呼吸を一つだけして、少女の質問に答えてやる。

「高い位置から一気に湯を注ぐことによって、ポットの中で茶葉が綺麗に回る」
「綺麗に回ると良いんですか?」
「渋味が少なく、綺麗に蒸らせる」
「……初めて知りました」

久々に入ったキッチン。
そこでさっきからアップルティーが何度も繰り返す「初めて知りました」に、私は大きな溜め息をつく。

なんだ、こいつは。

生まれも育ちも貴族の家系だった私でさえ、ほとんどキッチンに出入りすることのないこの私でさえ、知っているようなこと。

それすら知らないアップルティー。

お前は王族か何かか。


 
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