短編小説2

□狐七化け、
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色気違い。
色狂い。
色悪。

浮き世の雄狐。
乙原の白露。

そう呼ばれて崇められ、蔑まれ、好奇の目に晒されて。
それでも高貴を失わぬ、誰もが認める乙原女郎。

見つめゆるは浮き世か彼の世か。
紡ぐは戯言、濡らすは渇愛。

白露太夫と名を連ねる、その男の。

誠と偽。

愁いの理なぞ、誰も知らない。


















『狐七化け、』


















乙原、という色街がございます。

知る人ぞ知る小さな街で、その場所を知る者は本当に僅かのみ。
その存在さえ定かではありません。

しかし、確かに乙原は存在するのです。

漆塗りの真っ赤な格子戸や。
差し出される吸い付け煙草の粋なこと。

ただ。

その場に色を買いに来るのは皆そろって女で。
買われる女郎は男なのでございます。

六つで親に売られ。
数えの二十七まで街から出ることも許されない、哀れな乙原女郎達。

そして、それは。

そんな女郎達を世話する我々喜助とて、何一つ変わりはいたしません。

「…………ただいま」

突然背後から聞こえた低い声に、びくりと肩が跳ね上がった。
嫌にざわつく首筋をそのままに、勢いよく振り返れば。

「なんだい、あさぎり。私じゃないか……そんなに怯えないでくれよ」

そう言って薄く笑う、乙原女郎。

浮き世の雄狐、と噂される白露太夫は音もなく、滑り込むようにして部屋へと入って来た。

「どうしたんだい、あさぎり」
「…………いいえ。お帰りなさいませ、白露さま」

着崩れた着物や。
掻き乱された崩し島田。

“女郎”としての仕事を終えた、情事を思わせるそんな姿にももう慣れてしまった。

「白湯をくれないか?」

そう言って、気だるげに崩れた髪を掻き上げる男と出会ったのは、二年前。
当時八つになったばかりだった私は、乙原に売られて二年目のある日、この男と出会ったのだ。

今でも鮮明に思い出せる。

未練を捨てきれずに屋形から逃げ出した私は、大門手前のおはぐろどぶにて。
そこをじっと見つめていた白露太夫に見つかったのだ。

今でも鮮明に、思い出せる。

今より少しばかり華奢だった白露さま。

その、口元が。

少し悲しげに孤を描いた、その瞬間を。

「お待たせいたしました」
「ああ……悪いね、あさぎり」
「……いいえ」

丸盆に乗せた白湯を差し出せば、目の前の男はどこか優雅な仕草でそれを口に運ぶ。

「……ん、おいしい」
「よろしゅうございました」

二年前、私はこの男に出会い。

なんの縁があったのか、出会ったその日から今日までの二年間、この男の喜助として彼の世話係を仰せつかっている。

当時八つを迎えたばかりだった私は、まだまだ喜助としての仕事も満足に出来ず、周りも私に太夫の喜助役など荷が重すぎると意義を申し立てた。

しかし。

「お前、眠たいのかい?」
「…………いいえ?」
「それにしては目の下に立派な熊を飼っているのだね……ふふ、狸みたいだ」

そう言って私の瞼に触れる男が、私を喜助に、と強く所望したのだとか。

「申し訳ありません、お見苦しいところを……。すぐに白粉で、」
「いや、いい、あさぎり」

……あの日から、もう二年も経つのか。

私も今月で十を迎えた。

でも。

今の私にだって、太夫の喜助役なんて荷が重すぎる。
よく二年間やってこれたものだ。

だって。

彼と私は十一も年が離れているし……。

……だから、だろうか?

「なぜ……、」
「良いんだ、あさぎり。狸みたいで可愛いよ」
「…………」

私には、この男の考えがよくわからない。

「……ねぇ、あさぎり」
「はい、白露さま」
「灯籠はもう眠ったのかい?」
「ええ、少し前に。お隣で眠っておられますよ」

灯籠、というのは二年程前……丁度、私が白露さまの喜助となった頃に売られてきた少年で、外見の美しさを買われて引っ込み禿に選ばれた。

そして、その兄役を白露さまが担われたのだ。

「今日は萌葱ともめていなかった?」
「いえ、今日もいつものように」

萌葱、というのは灯籠と同じ時期に売られてきた喜助見習いの少女。
どうにもこの二人、馬が合わないらしく、いつも喧嘩ばかりしている。

二人の喧嘩を思い出して、思わず顔がほころんだ。

「……どうしたんだい、あさぎり」
「いえ、だって、あの子達ったら……ふふ、すごく可愛いんですよ」
「お前は十にしては本当に大人びているねぇ、あさぎり」

そう言って、薄く笑う白露さま。

周りは彼を“浮き世の雄狐”と呼ぶ。

そして、私はそれが酷く的を射ているように思えて仕方がないのだ。

だって。

狐は七化け、というじゃないか。

この人は正しくその言葉通り、いくつもの顔を持っている。


 
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