短編小説2
□春は恋の季節です
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「悪ぃ、気分悪いし帰るわ」
「ぇ、……え?リク?」
「じゃあな、おねーちゃん」
突然の俺の豹変に戸惑ったらしいアメリカンショートヘアーは、それでも俺に媚びたような笑顔を向けてくる。
それをも無視して、俺はあいつの待つ自宅へと足を進めた。
「わ、悪かったわよ!ねぇ、リク、ごめんなさい、ねぇ、もう言わないから……ねぇっ、」
あーもー、うっせえなぁ……。
元々、あいつ以外の猫と関わるのは嫌いなんだ。
雌は特に、だ。
べたべたべたべた触ってくるし、あのむせかえるような色気は好きになれない。
「ねぇってば!リク!」
あぁ、うるさい……って、ぁ、そうだ。
ふと浮かんだ疑問を打ち消すべく、俺は後ろで騒ぎ立てるアメリカンショートヘアーを振り返った。
それをなにかと勘違いしたらしいそいつは、嬉しそうな表情を浮かべていて。
「ごめんなさい、私ったらつい嫉妬して……っ!悪気は無かったんだけど、あの、」
「……一つ聞きたいことあんだけど」
「っ、リク!許してくれるのね!?なになに、なんでも聞いてっ!?」
「…………あのさぁ、」
あんた、誰だっけ?
ぱぁんッ!
春もうららな5月某日。
公園前にそんな平手打ちの音が響いたのは、初めてのことだったとか。
◇◇◇
「ただいまー」
アメリカンショートヘアーと別れ、痛む頬を庇いながら歩くこと十数分。
俺はやっと、啓介と美樹の家である自宅のドアを潜ることに成功した。
あれから……アメリカンショートヘアーにぶん殴られてからも、数匹の雌猫に声をかけられた。
『ねぇねぇ、リク』
『これから暇?』
『リク、最近冷たいよ?』
『あなたの子供が欲しいの』
みんなして同じような色気をまとい、なぁごなぁごと喉を鳴らす。
……あそこまであからさまに誘われると、色気が無さ過ぎると思っていた同居猫が恋しくさえなるね。
まぁそういう時期だから仕方ねぇってのは分かってんだけどな。
……それにしても。
「ただいまー?」
ただいま、と二度目の声を上げるも、真っ暗な部屋からは物音一つしない。
部屋が暗いのは啓介達が旅行中だからなんだけど……おかしいな。
普段ならば、警戒しながらもぱたぱたと駆けてくる三毛猫の出迎えがあるはずなのだが。
寝てんのか?
訝しみながら廊下を抜け、ゲージのあるリビングへと進む。
「……おい、まだら?生きてっかー?」
普段ならば声を荒げて怒る『まだら』呼びにもなんの反応も返って来ない。
さすがに変だ、おかしい。
あいつが挨拶に返事をしないことだって相当珍しいことなんだ。
めったに外に出るオンナじゃねぇし、居ねぇわけもねぇしな。
「おい?まだら……?」
嫌な焦りを感じつつ、リビングのなか、あいつの生活スペースであるゲージを見上げるも、中には誰も居ない。
あいつ気に入りの毛布も無くなっていた。
いったいどこに……。
そう、らしくもなく跳ね上がる心臓を持て余す俺はすげぇ格好悪いと思う。
でもそれどころじゃねぇだろ。
「居るなら返事しろよ、まだら!……っ、くそ、どこ行ッ、」
「……騒がしいです、リクさま、」
「…………っ!?」
突然、背後から聞こえた声。
聞き慣れたそれに振り返れば。
リビングのソファーに横たわる、探し猫の三毛猫が一匹。
…………くそ!居るなら居るって言えよ!
「おまえ、居るんなら返事くらいしろよな。鈍くせぇ上にまともに返事も出来ねぇのか、このダメ猫が」
「……すいま、せん、」
「…………おまえ、体調でも悪ぃの?」
「……いえ、大丈夫、です、」
そう言いつつも、ソファーに横たわる三毛猫には普段の覇気が無い。
いつもなら、きゃんきゃん犬みたいに吠えて突っかかってくるってのに。
「大丈夫ってツラしてねぇぞ……?」
「……すこし、だるくて。なんでもありませんわ、眠れば治ります、から」
とろんとした瞼に、熱に浮かされたような瞳の色。
髪も普段より乱れている気がする。
……大丈夫か、こいつ。
「おまえ、どうすんだよ……。啓介達、明日まで帰って来ねぇぞ」
「子供扱いは……やめて、ください、まし。もう、ほうっておいて、くださ……、」
「水とか何か、……要るもんとか、」
「……い、りません、」
気に入りの毛布にくるまったまま、ぐったりと頬をソファーにつける姿。
普段のこいつからは考えられないほど無愛想な返答。
猫のくせに、ちょっと優しくされて嬉しかったらしっぽ振り出しそうな普段のこいつとは大違いだ。