短編小説2

□弱虫の言い分
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調子に乗ってはいけない。

……分かってる。






















『弱虫の言い分』






















昔っから私はそうだった。

見てると苛々する。
うっとうしい。

そう言われては、クラスメートや先輩達から理不尽な扱いを受けて来た。
酷い言葉を振り下ろされることもあれば、ぶたれることだってあった。

いわゆる、いじめられっ子。

それが、私。

それは社会人になっても変わることはなく、同僚や研修中に面倒をみてもらった先輩にも、暴力こそ振るわれなかったが良い顔はされなかった。

ここまで来れば分かる。

悪いのは私だ。

ならば、私に出来ることは一つ。
目立たないように、ひっそりと生きて行くことだけ。

悲しいことに、昔から目立たないよう生きて来た私にはそれは決して難しいことではなかった。

目立たないように。
可も不可もなく。

そうやって私は生きて来た。

だけど。

そんな私に、産まれて初めて好きな人が出来た。

海外事業部の榎本さん。

事務職の私には、到底手の届かないひと。

彼は別の会社からヘッドハンティングされてこの会社へと来たらしい。
それくらいの人材だ、彼はすぐこの会社の有望株になった。

顔も良くて、仕事も出来て、背も高くて、若くて。
そんな彼がモテて来なかったはずもなく、女性の扱いにも慣れている。

そんな彼を、女性社員がほうっておくはずがなかった。

秘書課の佐々木さんに、受付の三宅さんに……たくさんの女性が彼へと想いを寄せているのは有名な話。
私の働く事務の人間だって、こぞって海外事業部への仕事を取り合っていた。

だけど。

私には、そんなこと出来るはずもない。

まず同じ事務の同僚達と話をすることだって出来ないし、そもそも私にそんな仕事が出来るはずがない。

私は鈍臭いから。

それに、もし奇跡が起こって海外事業部への届け物等を預かったとしても、鈍臭くて臆病な私には、他の子達のように彼に話し掛ける勇気なんてない。

弱虫な私。

だったら、チャンスは叶えられるべき人間に与えられるのが真っ当だと思う。

だから。

私は見ているだけで良い。

朝の入口で。
自販機のある休憩室で。

一目でも彼を見られれば、それだけで満足だったんだ。

調子に乗ってはいけない。

昔からみんなに言われて来た言葉は、いつだって正しくて、いつだって私を救ってくれるんだ。

そんな、ある日のこと。

事件は起こった。

その日、私は他の部署の人に頼まれた資料作りのため、夜遅くまで会社に残っていた。

事務の私なんかより他の部署の人は何倍だって忙しい。
だから、少しでもお手伝い出来たらって、誰にでも出来る程度の簡単な仕事を請け負ったんだ。

でも。

誰にでも出来るそれにさえ、鈍臭い私は手間取って。
気付けば、窓の外は真っ暗で。

あぁ、今から帰るのは危ないな。
ほんとはタクシーで帰った方が良いんだけど、お給料のあまり多くない私には無理だから、だから、走って帰らなきゃって、そう思いながら。

私はその簡単なはずの仕事を片付ける。

そして、やっとこさ全ての仕事を終えた私は、誰も居なくなった印刷室にて。

出会ったのだ。

彼、榎本貴一さんに。

二人きりの部屋に入るのは初めてだった。
それどころか、顔を合わせるのも初めてだった。

いつもはその後ろ姿を見つめるだけ。

心臓がばくばくして、頬が熱くなって。
取り乱しそうになったけれど、私はぐっと我慢する。

昔から、取り乱すと笑われた。

小さな声を笑われた。
挙動不審だと笑われた。
気持ち悪いと、笑われた。

だから。

私はぺこりと頭を下げて、急いでこの部屋から逃げ出そうとしたんだ。

私の馬鹿。

弱虫。

なんで、なんで。

なんで、『おつかれさまです』って。
『いつも遅くまで大変ですね』って、それくらい言えないの。

そう、泣き出しそうになりながら。

私は夢にまでみた榎本さんと二人きりの部屋を……その狭くて埃っぽい印刷室を出るべく、彼の横をすり抜けた。

いや、すり抜けようとした。

できなかった。

どうして。

……彼が。
夢にまでみた彼が、私の腕を掴んで引き止めたから。

夢だと思った。

制服ごしに、彼の体温を感じて。

夢だと思った。

突然、乱暴とも言える仕種で抱きしめられて、キスされて。

夢だと思った。

夢なら覚めないでと、思った。

その時、だけは。

「…………ぇ?」
「大声出すなよ」
「……な、に……っ、」
「お前見てると苛々すんだよ」

お前を見てると苛々する。

昔から言われてきた言葉。
それを言われた瞬間、頭が真っ白になった。

……あぁ、私は。

榎本さんまでもイラつかせてしまったのか。


 
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