短編小説2

□烏宿梅
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「はい、私の勝ち」
「…………ちょっと待て、もう一回、」
「さすがにもう支度をしないと、灯籠。夜見世が始まってしまう」

ぼんやりしたまま白露さまを見つめる私をよそに、二人の羽子板勝負にも決着がついたらしい。

結果はやはり、兄女郎の勝ち。

白露さまの言うように、そもそも腕の長さや体格の違いに問題があるのだろう。

それでも。

「まだだ!」
「分かった分かった、続きはまた明日」
「明日だな!?約束だからな!」
「はいはい」

何度も何度も立ち向かうのは、兄女郎である白露さまへの対抗意識からだろうか。

……いや、違う。

灯籠がここまでムキになるのは、きっと。

今はこの場に居ない、あの幼い喜助が原因に違いない。

「白露さま!灯籠!いいかげん夜見世の支度を……ってまだ羽子板やってたんですかッ!?」

噂をすれば影。

この部屋まで走って来たらしい喜助見習いの萌葱は、息を切らせながら二人の女郎へと声を掛けた。

「もう、白露さま!さっさと湯浴みに行ってらしてくださいよ!三助には言っておきましたから!」
「はいはい、萌葱はあさぎりと違って口煩いねぇ」
「白露さま!」
「ふふ、そんな顔をしないでくれよ。お前みたいな喜助なら、安心して灯籠を任せられそうだ……って意味さ」

そう言って、白露さまは何気なく萌葱の頬を撫でる。

途端、萌葱の頬が真っ赤に染まった。

……罪なお方だわ、まったく。

「あ、ありっ、ありがとう存じます!」
「おやまぁ、茹蛸のようだねぇ」
「気持ち悪ィんだよてめェは!萌葱もへらへらしてんじゃねェよ!」

そして、そんな白露さまと萌葱が気に食わないんだろう。
灯籠は二人の間に割って入る。

素直に自分の喜助に手を出すな、と言えば良いものを……。

「へっ、へらへらなんてしてねぇよ!」
「仕事もまともに出来ねェくせに色気付いてんじゃねェよ駄目喜助!」
「なん、っだと!?この種馬灯籠!」
「だァれが種馬だ!」
「やんのか!?」
「あァ!上等だ!表出やがれ!」

そしたらこんなにややこしいことになんてならないのに。
羽子板勝負だなんて、遠回しなことをしなくとも。

でもまぁ、そこが灯籠と萌葱の良いところなのかもしれないけれど。

「はいはい、おチビちゃん達落ち着いて。表出るのは良いけど、外は生憎の春雨だよ」

二人の口喧嘩を見兼ねたらしい白露さまは、二人の間に入って宥めるようにそう言われた。

……自分が原因だってこと分かってます?

恐らく……いや、絶対に分かっていないであろう私の主は、遠目から見れば兄らしい言葉を並べる。

「じゃあ私は湯浴みに行くから……灯籠、付いて着てくれるかい?」
「だっれがてめェの湯浴みなんて、」
「じゃあ最後の羽子板勝負、負けの分は後日また尻文字ということで、」
「さァ行こうぜ白露!」
「物分かりが良くて助かるよ、灯籠。じゃ、私と灯籠は湯浴みに行くから、萌葱」

少し、あさぎりの相手をしてやってくれないか。

紡がれた言葉。
ぶつかった視線。

白露さまは私へと柔らかに微笑まれた後、灯籠を連れて湯屋の方へと消えて行った。

……さすが、と言うか、なんと言うか。

乙原の雄狐に隠し事は出来ませんね。

「どうかなさったんですか、朝霧さま」
「うん……少し、だけ」
「少しだけ?」

私を任されてしまった萌葱は、縁側で庭を見つめたままの私の隣へと腰を下ろす。

横目でその姿を伺えば、私よりも低い位置にあるまぁるい頭にはたくさんの灰が付いていた。

「……灰?火でも起こしたの?」
「ぇ、……ぁ、あぁ、はい、あの……今日は少し冷えますから、湯を少し熱めにしようと思って」
「……萌葱はきっと良い喜助になるよ」
「そ、そんなっ!私なんてまだ駄目です、灯籠に馬鹿にされてるようじゃ……っ、まだ、」

そう言って、まだ十一になったばかりの少女は意気込むように息を吐く。
そして、それをごまかすかのように慌てて私へと笑顔を向けた。

「す、すいません、一人で熱くっ、」
「ううん、感心しました」
「ぁ、ありがとうございます……!ぁ、そ、そんなことより、朝霧さま!」
「ふん?」
「なにを見てらしたんですか?白露さまが少しご心配なさってました」
「うん……そうだね、梅を見てたの」
「梅、ですか……?」

不思議そうな声。

萌葱は私の視線を追って、春雨の滴る屋根の下、私と同じように庭を見つめる。

「…………」
「…………」

さぁあぁぁぁぁ。

黙ったままの私達。
春の雨は柔らかく梅を濡らす。

「春雨に、しっぽり濡るヾ鶯の……」
「ぇ……?」
「知らないかな?春雨、って唄なんだけど……長唄かなぁ」
「……はるさめに、しっぽりぬるる、うぐいすの、はかぜににおう、うめがかや、」

ゆっくりと。

でも、確かにその春の唄を紡ぐ幼い唇に、少し驚いて横を向けば。
十一を迎えたばかりの幼い少女が、どこか得意げに微笑んでいた。


 
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