短編小説2
□烏宿梅
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「水月が稽古しているのを聞きました」
「そう……よく覚えてたね」
「はい、これは……遊女の唄だから、覚えとくと良いって、水月が教えてくれて」
水月、というと、確か萌葱が面倒を見る予定になっている盲目の禿だっただろうか。
本当によく働く子だ、この子は。
「春雨に、しっぽり濡るヾ鶯の、羽風に匂う梅が香や、花に戯れしおらしや、小鳥でさえも一筋に、ねぐら定めぬ気は一つ、わたしゃ鶯、主は梅、やがて身まま気侭になるならば、サア鶯宿梅じゃないかいな、サアサなんでも良いわいな」
無意識に紡いだ、春の唄。
春雨に濡れる梅。
今は見ぬ鶯。
春雨。
それは、遊女の悲しい唄。
「唄の意味をね、ずっと考えていたの」
「唄の、意味……?」
「わたしゃ鶯、主は梅……、」
私は遊女、あなたは客。
あの鶯でさえ梅へと帰るのに。
私はねぐらを定められない。
嗚呼、いつになれば私はあなたの元へと帰れるのでしょうね。
もし、この身か自由になった、その時は。
あなたの元へとねぐらを定め。
鶯の私と梅のあなたはお似合いの夫婦になれるのに。
なぁんて、深く考えるのはやめましょう。
「……って意味だったと思うのよ」
「ふぇー、朝霧さまはなんでも知ってらっしゃるんですねー!」
「ふふっ、まさか」
きらきらとした目で私を見上げる萌葱。
かしこくて、かわいい子。
灯籠が熱を上げるのも伺えるわ。
でもね、萌葱。
「違うのよ」
分からないから、悩んでいたの。
「わたしゃ鶯、主は梅」
「…………はい、」
「主は、梅」
主は、白梅。
誰にも素顔を見せないあの人。
美しい花は誰をも惑わせ、香りは全てを引き寄せる。
誰をも拒まず……、いや、口を持たない花は誰をも拒むことを許されず、時に青梅は口にした者の命を奪う。
……そう、あの人が。
あの人が、もしも梅なら。
私は鶯になんて、なれやしない。
「あさぎりさま?」
「ッ、……ぁ、あぁ、ごめんね」
「どうかなさいましたか?」
心配そうに私を見上げる少女。
まるで“外の世界”の男のように髪を結い上げ、本来なら女子の着ることのない喜助装束に身を包む。
そう、私達はただの喜助。
遊女に手を出すことは、最大の禁忌。
……そうよ、梅にとまれるのは鶯だけだと昔から相場が決まっているの。
烏がどんなに嘘を吐いたって、着飾ったって、梅にとまることなど許されない。
「ごめんね、萌葱……」
「……朝霧さま?」
「ごめんね……」
もしかしたら、この少女は私と同じ道を辿るのかもしれない。
白露太夫の禿、灯籠はきっと太夫になる。
そうなれば。
この少女は……萌葱は私と同じになるのだろうか?
梅にとまる鶯を羨み、自らの毒に怯える梅を見つめて。
私のように、こんな気持ちで春の雨を恨むのだろうか。
……なんて、考えたって仕方ないことは分かっているのだけれど。
「ねぇ、萌葱……」
「はい?」
「春雨の歌詞で言うとね、灯籠は梅の木になるのよね」
「……あいつが梅ですかぁ?しっくり来ないなぁ……って言うか、唄の通りに行けば鶯が遊女なんじゃないですか?」
「鶯の灯籠って想像つく?」
「………………ねぇわ!」
「でしょう?そう言うと思ったから梅に例えたの」
それに、鶯のように自由に羽ばたく羽を乙原の女郎達は持っていない。
……これは、言わない方が良いけど。
「だからね、もし灯籠が梅なら……萌葱は鶯になりたいと思う?」
そう、萌葱に尋ねながら。
ぼんやりと思う。
こんなことをこの子に聞いて、私はどうしたいのだろうかと。
自らと同じ答えを聞きたいのだろうか。
そうして、少しでも同じ人間を見て安心したいのだろうか。
……わからない。
そんな私の問いに、少女は少しぽかんとした後、やけに真剣に思い悩み始めた。
それはもう、真剣に。
眉間にシワを寄せたまま庭の梅を睨みつける姿に、少し気分が和ぐのを感じる。
ねぇ灯籠、あなたは本当に良い喜助を貰ったのね。
「私は……、」
耳に響いた、小さな声。
柔らかな春雨にさえ掻き消されそうなそれを辿れば、庭を見つめたままの幼い横顔。
「私は、土になりたいです」
萌葱は、きっぱりとそう言った。
…………土?
「ええ、土です」
「……どうして、また」
「土になり、梅に根を生らせて美しく育ててやります。倒れないように、支えてやって……そこから鶯を眺めたい」
「…………自分の育てた花を鶯に啄まれて、嫌じゃないの?」
「良いんです。花を啄まれたら、また綺麗に咲かせられるように栄養を送ってやりますから」
そう、少し恥ずかしそうに呟く姿。
嗚呼、嗚呼、嗚呼。
この子は私とは違う。
鶯を恨む私、啄まれた花を心配する萌葱。
この子ならば、醜い私と同じ道を辿ることはない。
……この子なら、大丈夫。