短編小説2

□うつるんです
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「悪いが実験室まで連れて行ってくれるか」
「…………えー、」
「誰のせいでこうなった」
「さ、行くか!」

そうして、部下に支えられながら。
わたしは薬を作るために、実験室へと向かう。

またあいつと戦うために、薬を作るんだ。

助けるためなんかじゃ、ない。

助けるためなんか、じゃ、ない。




◇◇◇




そして、二日後。

わたしは約十日振りに、あの憎きエセヒーローが守るこの街へと足を踏み入れている。

さすが、わたし。

熱を抱え、嘔吐を繰り返し、部下にやいやいとヤジを飛ばされながらも謎の風邪菌を治す特効薬を開発してしまった。
飲めば一瞬にして全ての菌を体内から排除出来る、小さな錠剤。

若干、吐瀉物っぽい臭いがするのは我慢してくれ。

わたしの血と涙と嘔吐の結晶。
それを握り締めたまま、わたしはとある一軒のアパートの前で立ち尽くしている。

「……どうしたものか」

目の前には、小綺麗なアパート。

一階に小さなパン屋のあるこのアパートの2階に、あのエセヒーローが住んでいることは昔から知っていた。

203号室、見上げた部屋のカーテンはしっかりと閉まりきっていて、中の様子を伺うことは出来ない。

……どうしたものか。

手の平には特効薬。
奴の部屋はサーチ済み。

それで完璧だと、意気軒昂と街に乗り込んだのは良いものの、どうやってこれを奴に渡すかまでは考えていなかった。

『君はツメが甘いんだよ』

約十日前のエセヒーローの言葉がふと頭に浮かぶ。

……胸糞悪い。

頭をフル回転させるも、全くと言って良いほど良い案は浮かばず、わたしはただただ、小綺麗なアパートを見上げることしか出来なくて。

その時。

「おや?どうしたのかな?」

ガラララ、と、アパートの一階にあるパン屋の窓が開いた。
そして、そこから顔を出したのは憎きエセヒーローの仲間の一人、特徴的な頬をしたパン焼きおじさんである。

わたしは焦った。

ここでわたしの正体がバレてしまっては計画が台なしだ。
悪役のわたしが街に来たともなれば、計画の遂行は難しくなるであろうからな。

ふっ、ただな!

こんなこともあろうかと、今日はいつもの衣装は脱いで来たのだ!

これほど完璧な変装を、パンを焼くしか能の無いこんなパン焼きジジイに見破られるはずが無い!

ふはははっ!だから大丈夫だ!

「こんにちは、私服で珍しいね。今日は悪いことしないの?」

いきなりバレた!

「あんパン食べて行くかい?ぁ、なんだったらこれから昼食なんだけど一緒にどうかな?」

しかもナチュラルにご飯に誘われた!

でもそう言えば、この間は街の小学生達にもリッツパーティーに誘われたっけ……わたしの悪役としてのアイデンティティが失われる前に黙らせないと……!

「あいつはどこだ!隠すと容赦しないぞ!」
「あぁ、あの子に用事だったのかい?……あー、でも今日は駄目かなぁ……ずっと寝込んだままでねぇ、あの子」
「ぇ…………?」
「十日くらい前からかなぁ、ずっと部屋から出て来なくてね……」

……やっぱり。

「『部屋入ってくんじゃねぇぞ耄碌ジジィが!パンに欲情してろ!』って言って部屋にも入れてくれないから、どうしてるのかも分からなくてねぇ……」
「…………あいつ、そんなこと言うのか」
「私にだけはね。甘えてるのかな。可愛い反抗期さ」

もう反抗期は終わってるだろ。

その言葉を飲み込みつつ、わたしはパン屋の亭主の言葉を待つ。

「暫くはたまに外に出たり窓を開けたりしてたみたいなんだけどね、三日くらい前から音すらしなくなってねぇ」

…………はいっ?

「水を使ってる音もしないからねぇ……はは!もしかしたらベッドで冷たくなっ、」
「悪いが邪魔するぞ!」

そんな、縁起でもないことを笑顔のままで言う初老のパン屋を残し、わたしはアパートの階段を駆け上がる。

いや、あんな根性悪がそんなにすぐくたばるはずが無いと思いつつも、背中には嫌な汗。

203号室。

ドアを捻れば、無用心にもドアはすんなりとその口を開いた。
……まぁ、治安が良い街だからな。

わたしの国とは文化が違うのやもしれん。

「邪魔するぞ!」

とりあえずは声を掛け、履き慣れないブーツを脱ぐ。
……指が震えて、紐が上手く解けない。

なに震えてんだ、わたし。

乱暴とも言える仕種で靴を脱ぎ捨て、寝室らしき部屋へと足を踏み入れた。

そんなわたしを迎えてくれたのは。

普段は高慢ちきな笑顔を浮かべる、わたしのライバル。
憎きエセヒーローの、弱々しい……しかし、敵意を剥き出しにした視線だった。

「……なに、騒がしいんだけど」
「…………悪い」

薄暗い部屋の中、ベッドに横たわったままわたしを見つめる、エセヒーロー。
床にはミネラルウォーターのペットボトルが大量に転がっている。


 
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