短編小説2
□Drizella
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「身の程知らずは痛いメをみるんだよ」
幼い日の記憶。
絵本を卒業して、児童文庫を読み始めた頃のことだったと思う。
近所にある不気味なお家、母から「近付いてはいけない」と言われていたその場所に近付いてしまった私は、その家に住む少し不気味なおばさんから話を聞いたのだ。
シンデレラの本当のお話を。
シンデレラを虐め続けた姉達が、シンデレラに成り代わってガラスの靴を履くために、足の指や踵を切り落とす、という恐ろしいお話を。
「身の程知らずは痛いメをみるんだよ」
今でも夢に出て来る、おばさんの言葉。
分かっている。
身の程知らずは痛いメをみる、だから、シンデレラの姉達も履けやしない靴を無理して履いてはいけなかったのだ。
分かっている。
ガラスの靴は、私には似合わない。
『Drizella』
「…………ぇ?」
昼休みの、第三会議室。
私達以外は誰も居ないその場所で、私は自分に掛けられた言葉に耳を疑った。
「いま、なんて……?」
「……だから、今晩メシ食いに行くぞ、つってんだよ」
話くらいちゃんと聞いとけよな、グズ。
苛立ちを隠そうともせず吐き捨てるようにそう言ったのは、私の働くこの会社の有望株と噂される海外事業部の榎本貴一さん。
つい先日オーストラリアから帰って来たばかりのその人は、会議室の床に散乱した衣服の真ん中で座り込む私を見ないままに、まくし立てる。
「事務なんざ定時で終わんだろ?」
「ぇ、……あの、」
「5時半にロビーのブロンズ像前な。さっさと着替えて出て来いよ」
「ぁの、ぇ、えっと……、」
なにが起こったのか理解出来ない。
なにが起こった?
今日は普通に起きて、会社に来て、お仕事して、お昼休みになって、ごはんを食べるために事務室を出た。
ここまでは普段となんら変わらない。
ここからが、少し変則。
事務室を出た所に、日本に帰って来たばかりの榎本さんが立っていて、腕を掴まれて、この第三会議室まで連れて来られて、現在、私は服の散乱する会議室の床に素っ裸で座り込んでいる。
少し変則的だけど、べつに驚くことじゃない。
驚くのは、ここからだ。
「……5時半に、ブロンズ像、前、」
「お前、べつに大した着替えも化粧直しもしねぇだろ?5時半だからな、遅れんなよ」
そう言って、私を見下したように鼻で笑う、その人。
十数分前まで私のなかに居たその人に、私は、どうやら。
食事に誘われたようなのだ。
…………この人と体の関係を持つようになって、一年半。
初めての、ことだった。
「じゃあ後でな」
「ぇ、ぁっ……ま、待って!」
「……なんだよ?」
食事に誘われた?
なんで?どうして?
どうして私なんかを?
パニックを起こす頭の中、色々な感情がひしめき合う。
どうして?なんで?
でも。
嬉しい。
一緒に居ても良いの?
仕事以外でも一緒に居させてくれるの?
一緒にごはん食べてくれるの?
嬉しい、嬉しい、嬉しい。
身の程知らずで愚かな私は、目の前の餌に食いつこうとしてしまう。
でも……だめ、だ。
「……だめ、です、」
「…………なんだよ」
不機嫌な声。
当たり前よね、私なんかが榎本さんに誘ってもらえるだけで奇跡なのに、身の程知らずなのに、それを断ったんだから。
「なんか用事でもあんのか」
「……ごめん、なさい」
薄暗い会議室の中、篭ったような重苦しい空気が、更に重くなる。
「用事?お前に?」
お前、友達居んの?
へえ、物好きが居んのな。
いつも以上にキツく響くように感じる榎本さんの言葉を聞きながら、私はぎゅうっと手の平を握り締めた。
ほんとは、行きたい。
榎本さんと一緒に居たい。
……だけど、それは身の程知らずな欲望だから、だから、珍しく先約があったことを残念に思いながらも、少しホッとしている。
「……約束が、あって、」
「…………へえ、」
「友達に、頼まれてて……あの、……だから、……すいません、」
ほんとなら友達の用事なんて断っちゃいたい。
だけど、先約は先約だから。
…………うそ。
これは、自分を納得させるための言い訳。
身の程知らずは痛いメをみる。
だから、私は、いいんだ。
「……ごめんなさい」
断ってしまったことへの後ろめたさと、今にも「行きたい」と言ってしまいそうな自分の感情をごまかすため、私は急いで衣服を身につける。
これ以上榎本さんの姿を見たら、声を、言葉を、聞いたら。
私はまた自分に流されてしまうから。
「……じゃあ、また、」
制服を身につけ、数十分前の、この会議室に入る前の姿へと戻った私は、何事も無かったかのようにこの部屋を出ようとした。