短編小説2

□Drizella
2ページ/6ページ


なのに。

「おい、」

私はそれを阻まれた。

腕に感じた温かさ。
それを辿れば、不機嫌そうな顔を背けたままの、私の愛しい人。

「…………は、い、」
「用事ってなんだ」
「ぇ……?」
「友達に頼まれた用事ってなんだ、って聞いてんだよ」

そう、低い声で呟いた榎本さんの声にはなにか含みがあるような気がした。

つまり、こう……なにか言ってはいけない“NGワード”があるような、そんな気がしたのである。

ぴり、と震える空気。

今の榎本さんに言ってはいけない言葉。

だけどそれが、あまり頭の良くない私には分からなくて。
私は恐る恐る、言葉を紡ぐ。

「あの……じ、事務の、三村さんが、」
「……茶髪のおかっぱか」
「ぅ、うん、ショートボブのひと、」
「……で?その三村がどうした」
「えと、あの、三村さんが、ごはん食べに行くからって、誘ってくれて」
「…………そうか」
「だから、ごめんなさい」
「いや……、じゃあしゃーねぇわな」

腕を掴んだままだった榎本さんの手から、力が抜けた。

するりと解放された腕に安堵の息を吐きながら見上げた榎本さんは、いつもより少し柔らかい表情をしていて。

私は少し嬉しくなる。

「…………良かった」
「……なにがだよ」
「ぇ……、と、」

榎本さんを怒らせなくて良かった、なんて言えるわけのない私は、それをごまかすべく、似合いもしない笑顔を浮かべた。

「ち、ちがうくて……」
「なにが」
「えと、今日は、男の子と人数が合わないからって無理矢理頼まれたんだけど、」

とにかく違う話をしなければ。

そう思っててきとうに選んだ話題、それを口にした途端、腕を襲った圧力。

がし!だなんて音がしそうなくらいに強く掴まれた二の腕。
さっきまでとは比べものにならない力で掴まれた腕の痛みに顔をしかめつつ、腕を掴んだその人を見上げれば。

私以上に顔をしかめた、榎本さん。

……ぇ、どうして?

「人数って、お前、それ……明らかに合コンだろ」
「ぇ、……あ、ぅ、うん?」
「分かってて行くなよ!馬鹿かお前!」

きん、と耳に響いた怒鳴り声。

冷たい目で見られたり睨まれたりすることには慣れているけれど、榎本さんはそうそう声を荒げたりしない。
慣れない大声に肩を竦めながら、私は不思議に思う。

どうして榎本さんが怒るんだろう。

それは私が悪いからに決まってるんだけど、さっきまでは怒ってなかったのに。
なのに、どうして。

「……なに、お前でもいっちょ前に、彼氏欲しかったりするわけ?」
「ぇ、なんで……?」
「合コンってそういう場所だろ。くっだらねえ」
「ち、違うよ」
「……なにが違うんだよ」
「違い、ますよ」

基本的に、同僚が私をごはんに誘ってくれる理由は一つしかない。

人数合わせ。

私みたいな人間を好きになる人なんてそうそう居やしない。
だから、私はよく駆り出される。

ただ、それだけ。

「ほら、私、こんなだから……、引立て役しに行くだけ」
「…………」
「一人でごはん食べるのも飽きちゃうし、だから、お邪魔してるだけで……ほんとに、ただの人数合わせで……」
「…………」
「私なら存在感も無いし、邪魔にならないからって誘ってもらえるだけで、」
「…………おい、午後、有休取るぞ」
「だから…………ぇ?」

ふいに聞こえた言葉。

午後。
有休。

有休?有給休暇?

言葉の意味を理解出来ないままの私の前で、榎本さんは先程とはまた違った苛立ちの表情を浮かべている。

……なんで怒ってるの?

そんな、目を白黒させる私をよそに、榎本さんは電話で私と自分が午後から休みを取るとの連絡を済ませていて。

腕を引かれて会議室を出る瞬間に聞こえた、榎本さんの小さな声。

「おかっぱオンナ、見返してやろうぜ」
「ぇ……?」
「任しとけ、見れる姿にはしてやるよ」

その目には、どこか熱が篭っていた。




◇◇◇




がやがやがや。
がちゃ、かちゃ、かちゃ。

耳に入ってくる、人の話し声。
食器やグラスのぶつかる音。
煌びやかな光。

慣れないオシャレなお店で、慣れない格好をした私。

そんな私を、満足げに見つめる榎本さん。

「ぇ……うそ、七瀬さん……?」
「え!?うそ!七瀬さんなの!?」
「七瀬って誰……?は?あの事務の人!?いつも二つくくりしてる!?」

目の前では、普段とは違い過ぎる私の姿に驚く同僚や、初めて会った男の人。

榎本さんに腕を引かれて会議室を出てから、約6時間後。
私は予定通り、三村さんに言われていたお店へと訪れていた。

予定通りじゃないのは、格好だけ。

綺麗にセットされた髪型。
自分じゃ到底出来ない、完璧なお化粧。
着たこともないような綺麗なドレス。
初めて履いた、ピンヒール。

約、6時間前。


 
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ