短編小説2
□ただいま[上]
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「……いや、お前の父親は良い父親なんだろうなと思ってな」
そう、呟いた道行が。
見たことないくらい、どこか、寂しそうで。
「お前は帰ってやれ、馨」
この時のあたしは知らなかったんだ。
「…………うん」
そんな顔をする道行の気持ちも。
そんな道行のそばに、意地でも居るべきだったんだってことも。
◇◇◇
8月中旬。
夏休みに入ってしばらく経った。
夏休み前こそ苛立っていた道行だけど、あたしが実家に帰る日にはすっかり元通りの何様俺様道行様に戻ってらっしゃった。
道行が寮に残るということは、寮長の御神楽さんも残らなきゃいけないということで。
そんな道行のせいで、御神楽さんとあんまりデート出来ない、と怒る蓮見ちゃんの鼻をつまんで泣かせている道行にホッとしながら、あたしは実家への帰路へと着いたのだ。
実家での生活も、早数週間。
「…………ハッ!」
それでも生活習慣とは恐ろしいもので、あたしは今日も今日とて、目覚まし時計無しの5時半起床を繰り返していた。
さすがは、夏。
冬ならばまだまだ薄暗く寒い空気の漂う時間だろうに、カーテンの隙間からは薄く光が差し込み、エアコンを切って眠った室温は既に生温い。
「…………あぁ、」
無意識に息を殺し、そぅっと伸びをしている自分に笑ってしまった。
隣を見ても、普段なら眠っているはずの美少女風の男は居ない。
それが開放的なはずなのに、あたしにはその道行の熱を感じない半身がどこか肌寒く感じてしまう。
今は夏だというのにね。
「おはよ、道行」
おかしな話じゃないか。
寮では起きてすぐ挨拶なんてしないのに、道行の居ない実家では声をかけるなんて。
それがなんだか妙におかしくて、一人でくすくすと笑いながら寝間着から部屋着へと着替える。
今日は父さんのお付きで会社に行くこともないから、Tシャツとカーゴパンツで十分でしょ。
それから、窓を開ける。
普段なら浴びられない、朝一番の日光は気持ちの良いもののはずなのに、どうにも満たされない。
こりゃずいぶん道行に毒されたなぁ、なんて苦笑いがもれるのも仕方がない話じゃないか。
そんな風に思っていると、ガレージの方から、ガラガラとシャッターを開ける音がした。
この家の住人は、あたし以外に父とお手伝いさんが二人。
ガレージに行くのは父さんくらいのものだから、あたしは窓からぐっと身を乗り出して無理矢理に父の姿を捉えた。
「おはよう!」
「ぁ、おはよう。今日も早いねぇ、馨ちゃんは」
「父さんこそ!仕事?」
「ううん、今日はゴルフ」
「良いねぇ良いねぇ、接待ゴルフ?」
「羨ましかったらいつでも僕の席を譲ってあげるよ?まぁお婿さん連れて来れたらの話だけど!」
「うるさい!早く行きなよ!!」
「はいはい、行ってきます」
窓から身を乗り出したままに父の車を見送り、あたしは窓を編み戸だけ閉めて自室を後にする。
無駄に長い吹き抜けの螺旋階段を下りながら、あたしは苦笑いを零した。
父さんはやっぱりあたしに会社を継いでほしいと思ってんだなぁ、と。
まぁ継ぐのは良いんだけどね。
父さんも早く隠居したがってるし。
ただなぁ、条件がなぁ……などと考えながら、あたしはテーブルに用意された朝食を見下ろす。
スクランブルエッグに、サラダに、食パン。
メニューから見るに、どうやら父さんが用意してくれたらしい。
そう言えばお手伝いさん見ないもんな。
「ぁ、やっぱり休みか」
お手伝いさん達のシフトボードを見ながらパンをトースターに入れ、ジッとレバーを下ろす。
パンが機械のなかにセットされる感じは嫌いじゃない。