短編小説2
□遅れてきた招待状
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10月上旬。
暑いのか寒いのか分からない妙な天気が続く、ある日のこと。
定職に就き、社会人として自立出来るにも関わらずまだ実家を出ていない私のもとに一通の封筒が届いた。
実家の古びたポストに似合わない、豪勢な装飾がされた綺麗な封筒。
訝しみながら宛名を確認した私は、思わず自分の目を疑わずにはいられなかった。
なぜならば。
そこには、高校時代……幼きあの日々の思い出と共に封じ込めたはずの、あの人の名前が記されていたのだから。
『遅れてきた招待状』
どくん、どくん。
痛いほどに心臓が跳ねて、口のなかの水分が一気に枯れて行く。
私はもう一度、宛名を確認した。
伊藤徹也。
笹原朱美。
片方の名前は、知りもしない男の名前。
だけど。
「ささはら、あけみ……」
その名前を口に出せば、じんわりと、頭の片隅に追いやられた記憶に色が付く。
あの日のあたたかさを私は忘れてはいない。
笹原朱美。
会いたくて堪らなかったひと。
だけど、会いたくないひと。
会うわけにはいかなかったひと。
呆然と立ち尽くしたままの私だったけれど、いつまでも家の前で佇んではいられない。
それでなくとも、20代半ばにもなって実家住まいでオトコっ気のさらさら無い女として近所で噂されているのに。
頭にまで響く心臓の音を聞きながら、私は玄関のドアを開けた。
「お母さん!新聞、ここに置いとくからね!」
リビングには戻らず、玄関に朝刊を置きながらそう叫ぶ。
心臓がこんな状態なんだ、きっと酷い顔をしているに決まってる。
家族になんて会えるわけない。
私は逸る気持ちを抑え付け、部屋へと続く階段を上がる。
怪しまれないよう、殊更にゆっくりと。
「…………はぁ、」
部屋に入り、ドアを閉めた瞬間に溜め息にも似た呼吸が漏れた。
無意識に息を止めていたらしい。
相も変わらず狂ったように暴れる心臓をそのままに、私は手に持った綺麗な封筒を見下ろす。
「…………、」
からからに渇いた口のなかに唾液なんて少しもないのに、なにかを嚥下するように動く喉。
ちり、と痛んだのは喉だったのか、それとも……。
震える指で封筒の封を切る。
ぺり、と、その豪勢な見た目にそぐわない、安っぽい音がした。
恐る恐る、中から出て来た紙切れをつまんで開く。
「拝啓……仲秋の候、皆様にはご機嫌うるわしくお過ごしのことと存じ、ます」
仕事の書類でしか見ないような文章。
それを読み上げる声はぶるぶると震えていた。
「この度、私達は結婚式を挙げることになりました……。つきましては、ご報告かたがた、末長いお付き合いをお願いしたく、心ばかりの祝宴を催したく存じます……、」
その先にはまだ文章が続いていたけれど、私には読み上げることが出来なかった。
敬具、で締め括られた文章の下には、封筒に書いてあったものと同じ名前。
伊藤徹也。笹原朱美。
仲良く並んだ、二つの名前。
「結婚……します、」
読み上げた文章は、届いた封筒を一目見た時から分かり切った内容だったはずなのに、酷く私は動揺していた。
結婚、する。
笹原さん、が。
「結婚とか、するんだ、あの人……」
酷いめまいを感じて、私は背中からベッドに倒れ込んだ。
「……どうして」
どうして、こんなものを私に送って来たんですか、笹原さん。
あの日から今まで、手紙どころか音沙汰すら無かったくせに。
とてもじゃないけど、結婚式になんて行ける気がしなかった。
それくらいに、あの人は私に大きなものを残して行った。
私はずるずるとベッドからずり落ちると、昨日の夜から充電しっぱなしにしていた携帯電話で見知った番号にコールする。
プルルル、プルルル。
いまどき逆に珍しい耳馴染んだ着信音の後、ぷつりと電波は相手へと繋がった。
『もしもーし』
「おはよう仁科さん。休みの日に朝からごめんなさい、三木です」
『んー、良いよ良いよ。それにしても、何回聞いても友達相手に真面目な挨拶よね』
「ぇ、あ、ごめん……」
『はは、怒ってるわけじゃないって』
電話の相手は仁科みづき。
私やあの人と同じ高校に通っていた、高校時代からの友人である。
「あのさ、いま時間大丈夫?」
『うん?大丈夫だけど?なんか焦ってる?大丈夫?』
向こうから聞こえたそれに『大丈夫』と返事をしながら、私は小さく息を吐く。
感づかれないように。
何気ない世間話をするような声で、私は話さなければならない。
「あのさ、笹原さん結婚するって仁科さん知ってた?」
招待状もう来てる?
私のとこ今朝来てさ、びっくりしちゃった。
そう、私は彼女達とツルんでいた昔より幾分か明るくなった声でそう言った。
まるで、友人の結婚を冷やかすかのようなニュアンスで。
心臓は壊れそうになっているのに。
「仁科さん出席する?私、この日ちょっと用事あってさー、」
『…………』
「……仁科さん?」
電話の向こうがあまりに静かで、携帯を握る手にじんわりと汗が浮かぶ。
変に思われた?
そうかもしれない。
だって、私と笹原さんは人目にはそんなに仲良く見えてなかったはずだから。
だけど。
その心配は、仁科さん本人の言葉によって打ち砕かれることになる。
『ぇ、三木ちゃん、それ……その招待状、今日来たの?』
「ぇ、うん……、そうだけど……、」
『おかしいなぁ……私とか他の子には、ずっと前に来たんだけど』
「…………ぇ?」
か細く漏れた声。
電話の向こうでは、郵便の遅れた理由を純粋に模索する仁科さんの言葉が響いている。