短編小説2

□女神は誰が為に微笑むか
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「話すと長くなるんですが」
「道のりも長いから調度良いよ」

そもそもなんで東京に私の車で向かってるかが分からない。

助手席に座ってるの仮にもスーパーバンタム級の日本チャンピオンだよね?
普通は新幹線とか飛行機使うよね?車なら車で普段はリムジンに乗せられてるような社長子息ですよ?

なんでボロい1500ccのマーチで夜中の高速道路走ってんでしょうね?

そりゃまぁ私の隣で眼鏡のブリッジいじってる日本チャンプが希望したからに決まってますよ。

「僕、名前が“スナオ”っていうじゃないですかー」
「うん」
「家もそこそこ裕福なんですよ」
「うん、知ってる」

ジムの前に馬鹿みたいに長いリムジン停まってた時は引いたもん。

「そしたら必然的にあだ名が“スネオ”になりましてですね」
「……ほう?」
「なのに眼鏡掛けてるじゃないですか」
「うん」
「ノビタじゃねーのに眼鏡掛けてんじゃねーぞスネオ、とか言ってイジメられるようになっちゃって」
「……それでボクシング?」
「はい」

……納得出来るような、出来ないような。

まぁうちは良い素材が入って万々歳なんですけれどね。
不謹慎だけど、いじめっ子君達ありがとう。

「そもそもなんで眼鏡かけてんの?目は悪くないでしょ?」
「慢性的な花粉症なんです」

眼鏡かけてないと痒いわ真っ赤になるわで大変なんですよー。
そう言って、スナオは眼鏡を外してダッシュボードへとしまい込む。

まぁ花粉症対策なら車内で掛けてる必要も無いもんね。

「…………」
「…………」

やわらかい沈黙。

耳に入ってくるのは僅かなエンジン音とタイヤの音。
それから、たまに走ってる他の車の走る音。

それくらいしか聞こえないのに、ちっとも苦しくない。

5年という時間は伊達じゃないね。

「……ういなさん、は」

そのまま溶けてしまいそうなくらい微睡んだ声で彼は話す。

「なぁに」
「憂奈さんは、どうして、ボクシング、」
「……寝れば?」
「ぅ、……いや、寝ま、せん」

いっそ眠ってしまえば良いのに。
サイドミラーに映った自分の口元が緩んでいるのを見て、さらに笑ってしまった。

「私は家がジムだもん。兄弟みんなで小さい時から毎日ボクシングばっかり」
「なるほど」
「名前だってそうじゃない。兄貴の“トオル”なんてそのまま力石徹だし、姉さんの“亜里”はモハメド・アリからよ」
「憂奈さんは?」

この話はずいぶんと彼の興味をくすぐるものだったらしい。
眠気の全く無くなった声を左耳に感じながら、私は緩やかにアクセルを踏み続けた。

「私はね、ウィナー」
「……うぃなー?」
「そう、勝者。ウィナーで憂奈。なんか、ずっとアマで負け続きだった兄貴が久々に勝った日に産まれたんだってさ、私」
「……素敵なお話ですね」
「まぁね」

まぁただ、それで兄貴が有名ボクサーになったならまだしも、兄貴は芽が出ないまま辞めちゃったしね。

「才能が無いんだよね、うちの兄弟には」
「そんなことないですよ」
「あるんだな、これが」

だって兄貴はアマでチャンピオンに手も掠らなかったし、姉さんはプロテストに合格してからすぐに辞めちゃったし。

「憂奈さんは?」
「私はねー、ピン級でやってたんだけど強い人が居てねー、結局ジムに入ることにしたんだよー」

見切りをつけるのも大事だ、ということが分かった時に。

そりゃあ努力は大事である。

だけど、上に上がって行けば上がって行くほど、センスや体格というものがいかに必要とされるかが分かってしまう。

私にはボクシングのセンスも、ボクシングに向いた体型も持ち合わせて無かった。

だけど。

この男は、違う。

「だから躍起になってるんだよね、うちの親父も兄弟も。ごめんね、世界タイトル世界タイトル言って。重荷でしょう?でもそれだけスナオは良いもの持ってるってことなのよ。みんなが期待せずにはいられないくらいにね」
「期待されるのには慣れてますし、僕はいつだってそれに応えて来ましたよ」
「…………私の言ったことにちゃんと受け答えしてるだけなのに、実際そう言われてみるとなかなか腹立つわね」

なんででしょうね、とイヤミっぽく言ってやったというのに当の本人はどこ吹く風で小首を傾げている。

……なにそれ可愛いつもりですか?

「いえ。おかしいなぁと思って」
「なにが?」
「仮にもタイトル持ってる僕と、ただのアマチュアボクサーズの憂奈さん一家。僕の方に勝機はあるはずですよね?」
「スナオ君キミは喧嘩を売ってるの?」
「いえ。ただ単純に、なんで僕は皆さんに勝てないのかなぁと思いまして」

……確かに。

確かにスナオは兄貴に勝てない。
姉さんにも勝てない。
元々はプロで良いとこまで行ってたとはいえ、引退してウン十年経つコーチの親父にも勝てない。

そして、一番軽量のピン級でやってた私にすら未だ勝ててない。

そういや、なんで?


 
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