短編小説4

□月の鱗
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檻の中から外を見る。

大勢の人間が、私を見ている。

目と口を醜く歪めて笑いながら。
酷く醜くいバケモノを見るような目で私を蔑みながら。

たくさんのぎらつく闇色の目が、私を見て笑っている。

はした金を私に投げつける。

そんな目を、金を、見るたびに、思うのだ。

こんな世界しか見せてくれない、こんな目なら。
人々に蔑まれる、こんな目なら。

いっそ潰してしまった方が、楽になれるんじゃ、ないかって。























『月の鱗』






















「ひい……ッ!」

ほっかむりを外した私の姿を見た瞬間、花車の嫁はまるで寺子屋で習うかのように正しい反応を示した。

そう、異常なものを見た時の正しい人間の反応。

こちらからすれば、お前らの住むこの街の方がよっぽど異常だよ、なんて。
そんな言葉は飲み込んでおくことにする。

いや、声なんか出やしないか。

今までの人生、見世物小屋に売られてからは誰とも話さず檻の中でずっと生活してたもんだから。

言葉だって忘れそうだぜ。

まぁなんにせよ、さるぐつわを外してもらにゃ声なんざ出やしねえんだがな。

「なんだい、これ……ッ」
「江戸の見世物小屋でえらい人気だった娘ですよ。お安くしときますが」
「勘弁しとくれ!こんなっ……得体も知れない……病を持ち込まれちゃ、こちとら商売上がったりだよ!」

うるせえ、ばばあ。
歯を黒く染めた花車の嫁はきぃきぃと喚いているが、その隣に座る花車らしき男は穏やかな目で私を見下ろしていた。

……綺麗な男だ。

さすが、元は乙原女郎と言ったところか。

噂は間違いじゃあなかったらしい。

乙原っていうちいせえ色街があるって噂は、見世物小屋に住む私も聞いていた。
いや、見世物小屋だからこそ、そんな噂がたどり着いたのだろう。

お互いイロモンだからな、仕方ねえさ。

多くの規制をくらってる島原や吉原と違い、唯一、御上が好きにやらせている色街だとかで。
私達を飼ってた小屋の主人も羨ましがってたのを覚えてる。

乙原の女郎は役者みたいな男で、花車も男だとは聞いてたが。

本当だったとはねえ。

「とにかく、うちでは使えないよ!よそを当たっとくれ!」
「おかみさん、そんなこと言わずに」
「うちの大事な稼ぎ手をこんな喜助に面倒見させられるもんか。吉原の河岸長屋にでも売っちまいな」
「いやあ、それがこの目と髪でしょう?こんなのを抱いたら病にかかるってんで、どこも駄目だったんでさあ」
「そもそも、こんな娘をなんで見世物小屋から出したんだい!」

そりゃあ、御上からの規制が厳しくなったからでさあ、おかみさん。
こいつはこんな見た目ですけど、病なんか持っちゃいないんです、どうか、どうか。

とにかく、うちでは無理だ!
うちは長く続く大見世なんだから!

そんな、はした金でも得て私を放り出したい女衒と、どうしたって私を見世に入れたくない花車の嫁は言い合いを続けていたが。

パチン、と。

それまで静かに座っていた花車が扇子を閉じた音で、二人は言葉を止めた。

「その値なら買おう」
「っ、旦那!ありがとうございます!」
「三雲さま!?本気ですか!?」
「ああ、強気な目をした子だ。しっかり働いてくれるだろう」

そう言って、三雲と呼ばれた花車は私のさるぐつわを外す。

す、と吸い込んだ空気。

やっと息苦しさから解放され、私は打ち上げられた魚のように惨めったらしく、はくはくと口を開けた。

「長旅で疲れたろう?今日は飯を食ってお休み。明日から忙しくなる」

……さすが、元・乙原女郎と言うべきか。

花車は柔らかく微笑んだかと思えば、くしゃ、と私の髪を撫でる。
ひっ、と花車の後ろで嫁が息を飲むのが聞こえた。

「金色の髪に、藍色の目……よく見れば、綺麗じゃないか」

母親以外の人間が、怯えずに私に触れるのは初めてだった。

「名前をあげなければいけないね。そうだな……月色の髪と夜空色の目だから、夜月。やづきはどうだい?」

そんな綺麗な名前、私には勿体ない。
そう思ったけれど、声を出すことも出来ずに俯けば。

今度は頬を撫でられる。

「白くて綺麗な肌だ。顔を上げなさい」
「……あんま、触らない方が良いよ」

私も、自分が病を持ってないとは言い切れないんですよ。
だって、こんな私に触れてくれた人間は、あなたが初めてだもの。

そう、あたたかな手の温度に涙がにじみそうになるのを堪えて、見上げれば。

花車はもうひとつ柔らかく微笑んで、言った。

「なんだ、可愛い声じゃないか」

そうして私は、その日から。
乙原の喜助として、この大見世の住人となったのだ。


◇◇◇


乙原に着いたその日、私は花車に言われた通り、夕餉を食べてすぐに布団に入った。

白いごはんに、いもと汁。

それは朝餉の残りだったそうだけど、私には十分ご馳走だった。

だって、白いごはんなんて初めてだったし。

布団で眠ったのも、おっかあに売られて以来初めてで。

ぐっすりと眠り、朝寝した私を花車の嫁は酷く叱り付けたけれど、花車と遣り手は「肝が座ってて良い」と言って笑った。

そうして私は『喜助』と呼ばれる、女郎の世話係になるべく、今働いている喜助に付いて見習いをするはずだったのだけれど……。

「その子、なんなんですか!?」
「っ、入って来ないで!」
「それ、獣の子なの?」
「面倒?いやですよ、気味の悪い!」

喜助の部屋に行くたび、断られる断られる。

そりゃあ、こんな髪と目をした人間なんて気持ち悪いから仕方ないとは言え。
酷く怯える男装束の少女達に、こっちが申し訳なくなってくる。

やはり男の格好をしていても、女子は女子か。

私にはお前らのその前掛け褌姿の方がよっぽど怖いわ。
見世物小屋だって、汚らしい着物とは言え、女ものを着せてくれたぞ。


 
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