短編小説1

□SとMの序章
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私でもゾッとするような、残虐な色を含んだ目をしていた。

「……答えないんですか?」
「う、うぅ、ッ、すいま、せッ」
「謝罪の言葉なんていらないんですよ。俺が聞いていること、分かってます?」

だめだ。

本能的に、そう思った。

「もう一度だけ、聞きましょう」

セツ兄ちゃんを止めなきゃ、駄目だ。

じゃないきゃ、きっと。

セツ兄ちゃんは、この人の腕の一本や二本、簡単に折ってしまう。

「いま、あなたは、なにを、なさっていたんです?」

セツ兄ちゃんが途切れ途切れ言葉を発する度に、痴漢のおじさんの腕がミシミシと音を立てる。
骨の軋む音がする。

だめだ。
とめなきゃ。

「……答えないんですね、分かりました」

とめなきゃッ!!

「ッ、セツ、にちゃ、ん」

振り絞った声はみっともなく震えていて、セツ兄ちゃんに届くか不安なくらいだったけれど、それは杞憂で終わったみたいだった。

だって、セツ兄ちゃんはゆっくりとした動作で私の方を向いてくれたから。

でも。

「ぁ…………ッ、」

その、目が。
その、笑顔が。

見たこともないくらいに、冷たくて。

私は何も言えなくなってしまう。

今までずっと、セツ兄ちゃんの笑顔を怖いと思っていたけど。
今までずっと、セツ兄ちゃんの目が怖いと思って、いた、けれど。

そんなものじゃない。

私へと向けてくれてる笑顔は笑ってた。
私へと向けてくれてる目は温かかった。

そんなものじゃない。

「ッ……、」

本当に、怖い。
息が詰まる。

「…………っ、ッ」

冷たい笑顔。
残虐な目。

「セツ、」

こわい。

「ッ、……セツ、にぃ」

ぼろり、と無意識に涙が零れた。

「ひッ、く、……せッ、セツにぃ、ッ」

溢れ出した涙は止まらなくて、ダムが決壊したかのように溢れ出す。

「…………ッ、」

そんな私のマジ泣きにビックリしたのか、セツ兄ちゃんがハッとしたように息を呑んだのを、滲んだ視界でとらえた。

「ッ、くそ……」

セツ兄ちゃんが、らしくない悪態を吐いて、痴漢おじさんの腕を放す。

そして、さっきまでとは違う、いつもの、本当のセツ兄ちゃんの笑顔で、にっこりと笑った。

「今回はこの子に免じて逃がして差し上げます。……ですが、」

次、同じ過ちを犯したら。

「その右腕、いただきますから」

もう悪さ出来ないように、ね。
と、セツ兄ちゃんはとても良い笑顔でそう言った。

その笑顔の方がある意味で更に怖かったのだろう(それはどこか共感出来る)、おじさんは電車のドアが開いた瞬間、転げ落ちるように出て行ってしまう。

そんなおじさんが電車から出て行き、ドアが閉まった途端、私の周りの乗客がざわつきだした。

「ぇ、なに、痴漢?」
「ほら、あのセーラー服の子」
「止めに入った男の子、彼氏かなー」
「痴漢?痴漢出たの?」
「駅員は?」
「えー、今度から車両変えようかなぁ」
「痴漢?どの子が?」
「あぁ、セーラー服のねー」
「こわぁい、痴漢ー?」

ばらばらと耳に入ってくる、ざわついた声々。

「ッ……」

恥ずかしくて。
情けなくて。
恥ずかしくて。

泣きたくなった。

「…………ふッ、ぇ、」

じんわりと、涙が滲む。

泣いちゃ駄目だ。
余計に目立つ。

でも。

悲しくて。
なによりやっぱり、恥ずかしくて。

「ぅ、え……ッ、ふッ、く」

誰にも顔を見られたくない、そんなことを思い始めた時、ふんわりとした何かに包み込まれて、視界が真っ暗になった。

意味が分からなくて、真っ暗な視界から漏れる光を辿れば、どうやらセツ兄ちゃんが自分のロングベストの中に私を隠してくれているようで。
ベスト生地の上から、ぎゅうっと抱き締められる。

額の辺りに触れた、男の人独特の胸板の感触に安心して、また涙が溢れた。

「めーちゃん」
「……ッ、な、に?」
「次、降りるよ」

学校はまだまだ先だけど。

だけど。

今はまだヒーローだと信じていたセツ兄ちゃんを、私は簡単に信じてしまっていたから。

だから。

「……うん」

酷く素直に、頷いてしまったんだ。


◇◇◇


「セツ兄ちゃん、ここ男子トイレっ!!」

先程の宣言通り降りた、次の駅にて。

なぜか私はセツ兄ちゃんに抱え上げられ、男子トイレに連れ込まれていた。

駅の汚い公衆トイレだ。
女子が男子トイレに入ろうが、騒ごうが、目立たないし、助けなんてこない。

あれぇ、私はセツ兄ちゃんに助けてもらったはずなのにおかしいなぁ。
もう違う人に助けを求めている。

でも。

助けを求めたくもなる。

だって、セツ兄ちゃんはさっきから。

何も言わないし。
私を見もしない。

ただ、ただ、真っ直ぐ前を見つめたまま笑っているのだから。


 
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