短編小説1

□恋心は呼吸する
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「じゃあ、私、行くから」

今度は、引き留められなかった。
するりと抜け出した腕。
私は夕暮れの教室を後にする。

こつ、こつ、こつ。

自らの奏でる靴の音。

こつ、こつ、こつ。

遠くで聞こえる部活の掛け声。

こつ、こつ、こつ。

真っ赤な夕日。
差し込む光。

「…………きれい」

でも。

息が、苦しい。

「はやく」

はやく。

「はやく、はやく」

あなたに会いたい。


◇◇◇


がらり。

古びたドアは建て付けが悪くて、開けるのにも一苦労。

古びたドアに、古びた部屋。
古びた机、古びた本棚。

校舎裏、いつもの図書室。

校舎に光を遮られたこのプレハブハウスは、どこかカビ臭い。

古びたドア、古びた内装。
古びた机と、古びた本棚。

それでも。

ぴんと伸びた背筋。
ページを捲る細い指先。

本を読むあなたは輝いて見える。

「……とうどうくん」

震えた声。

あなたの目に私はどう映ってる?

私の声に気付いたあなたは、ゆっくりとその視線を私に向けた。

スローモーション。

その薄い唇が弓を描いた。

「また来たの?」
「……うん」
「おいでよ。今日も貸し切り」

手招きされて、その指先に目を奪われて。

私は蜜に誘われた蜂のように、ふらふらと机の間を通り抜ける。

「今日はなに読む?」
「……藤堂くんはなに読んでるの?」
「ん?これ?」

読みかけのページに指を挟んで、見せてくれた分厚い本の表紙。
表紙の題名さえ読めなかった。

「……おもしろい?」
「んー……興味深い、かな。あと2日もあれば読み終わるよ?次、読む?」
「よっ、読めるわけない!」

慌てて手を振ったら、肩を震わせて笑われた。

「冗談だよ。こんな頭の固い連中が書いた本、佐倉さんは読まない方が良い」

短い前髪が風に揺れる。

夕日に照らされた横顔。

……きれい。

世界はこんなにも綺麗だと、そう教えてくれたのはあなただった。

差し込む夕日。
風に揺れる髪

呼吸が楽に出来る。

「大人しく昨日の続き読んどくよ」
「賢明だね」
「冒険はしない方なの」

古びた本棚から取り出した、真新しい本。
私に読ませたい、と藤堂くんが図書委員に頼んで入荷してくれた、綺麗な本。

それを持って、あなたの元へと戻る。

あなたはもう、私を見てはいなかった。

ページを捲る細い指先。
文字の羅列を追う、レンズの奥の黒い瞳。

普段と違う、鋭い視線。

……いつかその目で私を見てほしい。

古びた本棚の並ぶ、古びた図書室。
あなたの座る椅子の隣、一つ席を空けたそこが、私の居場所。

風に揺れる前髪。
伏せられた薄い瞼。

「……藤堂くん」
「………………ん?」
「……なんでもないですよー」
「ん、」

差し込む夕日。
流れ込む風。

揺れる前髪、気の抜けた声。

嬉しくて、ぽかぽかして、でもなんだか恥ずかしくて。

顔が緩む。
綻ぶ、満たされる。

「おかしーの」

あなたはそこに居るけれど。

ただ、本を読んでいる。

あなたはそこに居るけれど。

私も、本を読んでいる。

あなたはそこに居るけれど。

ただ、そこに存在するだけ。

話さない。
触れない。

ただ、そこに居るだけ。

でも、不思議と。

淋しくないの。

満たされる。
満たされる。

私の存在が、許される。


 
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