短編小説1

□逮捕しちゃうぞ
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……今のは会釈か?

まぁ、なんでも良い。
気付かれたのなら、出て行くまでだ。

「こんばんは、Blue Roseへようこそ」
「……こんばんは」

にっこりと、顔面に仕事用の笑顔を貼り付けてボックスに足を踏み入れれば、少女は眉を下げて不安そうな顔をしながら返事をする。

……くそ、調子狂うな。

普段なら黄色い声が迎え入れてくれる。
それをいつもウルサいと思ってたけど……無かったら無かったでどこか寂しいもんがあった。

「そんな緊張しないでよ?」
「ご、ごめんなさい、」
「謝んなくて良いって。……はじめまして、ユウヤと申します」
「はっ、はじめまして!鮎川です!」
「あゆかわ……?」

アユカワって、……鮎川?

ミユキでもサオリでもなく?
アユミでも、アユムでも、アユでもなく?

あゆかわ?

「…………?はい、鮎川ですが?」
「……鮎川って名字だよな?」
「…………?それが、なにか?」
「ぶッ、……ッ、ふはッ」

俺は思わず吹き出した。

だって。

ほぼ100%の確率で、客は自己紹介で自分の“名前”を名乗る。
“名字”じゃなく、“名前”を。

名前呼びを強要してくるヤツも居るってのに……この女、オモシロい。

「ッ、くくッ、く、ははッ」
「ど、どうして笑うんですか……?」
「ははッ、……はー、ふ、くくッ、」
「……私、もしかして、なにか失礼なこととか、」

やべぇ、ツボ入っちまった。

涙を浮かべて笑う俺を、少女は……鮎川サンは怒るでもなく不安そうに見つめている。
根っから気が弱いんだろうな。

「ご、ごめんなさい、わたし、そんなつもりじゃなくって、あの……、」

笑い続ける俺に不安になったらしい鮎川サンは、ついにそのでっかい目に涙を浮かべ始めた。

あぁ、やべ。
そろそろ仕事しねぇと。

「ふはッ……はぁーあ、ごめんね、笑ったりして」
「わ、わたし、なにか失礼なこと、」
「いーや、全ッ然。ただ名字名乗られたのが面白くて。普通はみんな名前で呼ばれたがるからさぁ」
「……そうなんですか」

俺の言葉に安心したんだろう。
目の前の少女はその柔らかそうな頬を緩めてふんわりと笑う。

……かわいいな、純粋に。

「名前、なんていうの?」

少女の笑顔を見た瞬間、自然と口をついて出たその言葉。
その言葉に鮎川サンはびっくりしたように目を丸くしてるが、正直、俺はもっとびっくりしてる。

初めてだ。

私情で名前を聞くなんて。

今まで、仕事の一環として名前を聞くことしかして来なかった。
俺が名前を聞けば、オンナは『この人は自分に興味を持っている』と思って気を許してくれることが多い。

だから、俺はその方法をよく使うんだ。

でも、今は。

ただ純粋に、目の前の少女に興味があった。

恋だの愛だのって問題じゃねぇよ。
純粋な興味な、純粋な。

「……名前、ですか?」
「そう、名前。教えてよ」
「…………いや、です」
「ぇ、なんでっ?」

よもや断られるとは思ってなかった。
断られるわけねぇとさえ思っていた俺は、少女の言葉に思わず食い付いてしまう。

……格好悪ぃ。
必死とか思われたか?

そんな俺の焦りをよそに少女は少し嫌そうな顔をして、小さく呟いた。

「……男の子みたいなんです」
「…………名前が?」
「……はい」

なんだ、そんなことか。
普通に否定されたかと思って焦った。

まぁ、嫌われてねぇなら話は早ぇ。

俺はやるぜ。

「鮎川サン、一つ相談なんだけど」
「はい?」
「俺の本名ね、梓川裕哉っつーのよ」
「……はい、」
「鮎川と梓川……ちょっとややこしいしさ、名前教えてくんないかな?」
「…………はぁ、」

意味の分かんねぇ理屈を並べて、俺は鮎川サンに笑いかける。
その目線をこっそりと下げてテーブルを見れば、首の長いグラスにカクテルらしき飲み物が入っていた。

……酔ってりゃ、今の会話くらい絆されてくれんだけど。

どうでしょうね?

「……ひびき、です」
「ぇ……?」
「“響く”と書いて、ひびき、です」
「……へぇ、響ちゃんねぇ」

鮎川、響。

……かわいいじゃん。

「かわいいよ」
「……気を使って下さらなくても良いですよ、べつに」
「気を使うのが俺の仕事だかんね」
「…………」
「うそうそ、普通に可愛いって」

そう言って少し近付けば、少女……響ちゃんは俺から逃げるように移動してしまう。

……手強いな。

だけど、あのマサヤが逃げ出すほどの違和感があるかと聞かれれば、答えはノーだ。

確かに気が弱くて挙動不審で、周りをきょろきょろ見渡してる様子は妙だけど、…………いや、ほんとに妙だな。

なにをそんなに気にする必要がある?

なにを見てる?


 
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