短編小説1

□午前00時00分
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私に難しいことは分からないけど、おじさんが何も言わないんだから、完璧なんだと思う。
おじさん、仕事のことに関しては修ちゃんにすごく厳しいから。

「……ねぇ、修ちゃん」

小さな声で呼び掛けたって、ネギを刻む修ちゃんには聞こえちゃいない。

……ぁ、なんか虚しくなって来た。

そんな私をよそに、晩御飯時を迎えた店はついに目の回るような忙しさを発揮する。
出前のためにこの日だけ雇っているアルバイトさん達の姿も見えなくなってきた。

さっすが大晦日。

年越しそばは外せませんものね。

「……ねぇ、修ちゃん、」

厨房の端に縮こまったまま、蕎麦を茹でる修ちゃんに再び話し掛ける。
今度は聞こえたらしい、修ちゃんは菜箸片手に私を振り返った。

「なんだよ、忙しいんスけど」
「私のこと好き?」
「あー、うん、好き好き。大好きだ」

蕎麦の茹で上がり確認しながら言わないで下さいよ、馬鹿。

「つーか、んなこと言ってる暇あったら器洗ってくんない?」
「えぇー……無理ですよぅ」
「なんでだよ」
「えぇー……ほら、あれ、……あれですよ、あれ。ほら……私、蕎麦アレルギーだから。これ以上厨房の真ん中に行けないの」
「昼間に鴨なんばんの汁まで飲み尽くしたのはどこのどいつだよ!」

ばーか、だなんて柔らかい声で罵倒されたって怖くなんてない。
むしろ可愛いとか思っちゃうじゃないか。

「…………修ちゃんのばか」

小さく呟いた声は、厨房の喧騒に掻き消されてしまった。

でも、それで良い。

「……はーぁ、」

ぼんやりと見つめた先には、冬だというのに長袖を腕捲りした修ちゃん。

うわぁ、汗までかいてるよ。
まぁ、あれだけ動けば暑いわよね。

ぼんやり見つめた私の恋人。

頭に巻いたタオル。
昔ながらの割烹着。

マヌケな姿のはずなのに、輝いて見えるのは恋人の欲目か。
ううん、きっと違う。

お仕事してる時の修ちゃんは輝いてるもの。

ぼんやり見上げた時計の針。

時刻は9時を過ぎていた。

どうりで熱燗やらおつまみの注文が入るわけだわ。
もうこんな時間だったなんて。

……やっぱり、無理かな。

年が明ける瞬間を修ちゃんと二人で迎えたい、って思ったけど。

やっぱり、無理だよね。

修ちゃんはお蕎麦屋さんなんだもん。
大晦日が稼ぎ時だものね。

これは、私のわがままだ。

だから。

絶対に、言えっこない。

・午後10時30分。

そろそろ厨房に居座るのも申し訳無くなって来た。
接客をお手伝いすることにする。

・午後11時15分。

酔っ払ったお客さんにセクハラを受ける。
修ちゃんに厨房に引き戻された。

かまってくれないくせにヤキモチか貴様。

憎い。
でも嬉しい。

・午後11時25分。

厨房の端っこにて年越し予定そばを無銭で食らう。

美味。

やっぱりここに嫁ごうと決意。

・午後11時55分。

まだ修ちゃんの仕事は終わりそうにない。

その背中を見つめながらそろそろ本気で『恋人のハッピーニューイヤー』を諦め始める。

うん、やっぱり無理ですよね。

「てゆーか私が欲張り過ぎなんだよね。バレンタインもクリスマスも誕生日も、あまつさえ七夕も月見も節分も桃の節句も一緒に祝ってくれる彼氏ってすごいよね。普通にすごい良い彼氏だよ。だから大晦日くらい良いじゃん?まぁこれからも大晦日は絶対に一生一緒に居られないけどね!」
「葉月なにお前隅っこでブツブツ言ってんの?大丈夫か?」
「修ちゃんは本当に良い彼氏だなぁ私には勿体無いなぁって痛感してたの、今まさに」
「嘘吐け」

もっと上手く嘘を吐け、と。
修ちゃんは呆れたように私を見下ろす。

あながち嘘でも無いんだけどなぁ。

「……悪いと思ってるよ」

不意に。

修ちゃんの真面目な声が聞こえたと思って振り向いたら、修ちゃんが仕事の手を止めて私を見つめていた。

「……お蕎麦、のびるよ?」
「毎年毎年、大晦日はこうだもんなぁ……お前だってどっか行きたいとか何かしたいとかあんだろ?」
「…………べつに」

うそ。

ほんとは除夜のかねとか聞きに行きたい。
修ちゃんに車出してもらって、ちょっと遠くまで初日の出見に行ったりしたい。

……でも、それは私の我が儘だもん。

「悪いな、ほんと」
「謝んないで。私が悪者みたい」
「ははっ、心配事はそっちか」

良いの。

ほんとは、別にどこかに行きたいわけじゃない。
なにかをしたいわけじゃない、から。

ほんとは。

ほんとはね。

「年明けに、一緒に居たいだけだから」

だから。

「場所なんてどこでも良いの」

……やばい、なに言った私。
言ってから猛烈に恥ずかしくなってきたよこれどうしたら良いの。

普段こんな素直に喋らないからな……。


 
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