短編小説1

□闇夜に烏、雪に鷺
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お労しや、我が主。

お可哀想な奥方様。

故郷を奪われ。
言葉を奪われ。

信念さえも、奪われて。

それでも。

いつも笑っておられる、奥方様。

下女に無礼を働かれようと。
家臣に冷たく当たられようと。

あなたは、涙することもなく。

自分の境遇を嘆きもせず。

いつも、微笑んでおられる。

そんな、あなたを。

私、は……。

















『闇夜に烏、雪に鷺』
















満月の浮かぶ夜空。
喉を切り裂く冷たい風。

そんな冬空に背を預け、私は館の屋根を走り抜けていた。

我が主を、探すため。

我が主であるちよ様は……私の仕える館に嫁がれた奥方様は、一年ほど前に京より江戸へと参られた。

家臣も女中も、髪結いさえも連れ入れることを許されず。
着物も簪も、草履でさえ江戸のもの以外身に着けることを許されぬまま。

たった、独りきりで。

私とそう年も変わらぬであろう、その“少女”は江戸へと乗り込んだのだ。

……初めて会った日のことは、今でも鮮明に思い出せる。

甲賀の里で育った私は、一人の主に生涯仕えることをしきたりとして生きて来た。

だから。

当時は奥方様に仕えること自体が不本意だったのだ。
それは決して、私の意志ではなかった。

奥方様とはいえ、女に仕えるなんて。
どうせなら武将や侍に仕え、自分の力を戦に使って死にたいと。

それが忍の正しい姿だ、と。

そう思っていた。

でも。

その時、特定の主を持たない忍は私しか居らず、私も元服したてで大した発言権も持っていなかったから。

だから。

極自然的に、私は奥方様付きの忍に任命されたのだ。

……まぁ、今思えば。

元服したばかりで、まだまだ実力も経験値も乏しい私を奥方付きの忍にするなんて、そこからしておかしいのだけれど。
きっと、その時から館の者は奥方様を疎ましく思っていたのだろう。

しかし、その時の私にはそんなことも分かっておらず。
不本意な決定を心の奥底で罵りながら、江戸に入られたばかりの奥方様にお会いしたんだ。

……今でも、覚えてる。

『本日より奥方様付きの忍となりました……某、霧矢と申します』

そう跪く私を、奥方様は信じられないものでも見るような目で見下ろしたかと思えば。
次の瞬間にはその表情を怒りのものへと変え、近くに居た家臣に詰め寄ったのだ。

『この館はこんな子供を忍に使わはるんどすかッ!?』

今でも覚えてる。

その言葉に酷く自尊心を傷付けられた私は、歯を食いしばって地面を見つめていたんだっけ?

馬鹿にするな。
お前と私は育ち方が違うんだ。
あんたみたいにぬくぬく育ったわけじゃない、だから。

仕事くらいちゃんと出来る。

よっぽどそう言ってやろうと思った私の言葉は、家臣に意義を申し立てる奥方様の声に遮られた。

『子供のうちは子供として育つんが普通どっしゃろ!?遊んだり、学んだりしてっ!なんで大事にしたげはらしまへんの!?』

つまり。

彼女は“自分に子供を仕えさせるのか?”と文句を言っているわけではなく、“子供は大事にしろ”と言っているのだ。

……へんなおんな。

気付けば、私の口元には笑みが浮かんでいた。

変な女だ。
こんな変な女なら。
もしかしたら。

武将以上に、この人に仕えるのは大変かもしれないな。

そう思ったのを、今でも覚えている。

結局。

当たり前だけど、奥方様の異議は無視され、私は奥方様付きの忍となった。
忍というよりかは、かしずき人の方が近かいのかもしれない。

だって。


 
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