十二国記:楽俊小説

□連理
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柳国首都芝草。
延台輔に視察を頼まれ、この地を訪れた雁の大学生楽俊は、殺気だった街の様子に怯んだ。
街のそこここで、人々が「殺刑」の単語を声高に論じ合っている。


「何故、狩獺はまだ殺刑にならないんだ。国府は何をやっているんだ!」
「あの豺虎が、何人殺したと思っている!一度の殺刑では釣り合いが取れないくらいだと言うのに。」
「どうせ、王にとっては、わしらも狩獺も同じ虫けら同士だ。興味などないのだろうさ。」

市井の空気は、すでに暴動寸前にまで張り詰めていた。
二十三人もの力無き人々を無造作に殺した豺虎に、いつまでも殺刑の判決を下さない司法。
民の不信感は募るばかりだった。
殺刑にすべきなのは、誰にでも分かる事。その決定を先延ばしにする司法は…ひいては王は、
よほど民に関心がないのだと思わざるを得ない、と。


「よくねえ空気だな。」
楽俊は、宿館の飯庁で人々の議論を聞きながら、茶を啜った。
そういう問題じゃねえんだと口を挟めば、袋叩きにされそうなほど熱が入っている。
視察の途中で行き倒れる訳にもいかず、楽俊としては黙って聞いているしかなかった。

この空気…楽俊は鼻をひつくかせて、ヒゲをそよがせた。
楽俊には悲しいほどに嗅ぎ分けることが出来る。柳は傾きかけているのだ。
柳は殺刑を禁じて久しい。それを守るのか、覆すのか。判断がいつまでも下されないのは、国の怠慢だ。
そしてそれが、民の不満、王への不信を招いている事に気付いていない。
気付かないのは、王が施政に興味を失いかけているという事で…結局、人々の言うとおりなのだ。


だが、「空気を感じ取りました」だけでは台輔に報告できない。
楽俊は宿館を出て、街を見て歩いた。街でも人が集まれば、そこで狩獺の裁判が始まる。
皆、まるで狩獺さえ殺刑になれば、街が平和になると信じているようだった。
背後から忍び寄る荒廃の足音に耳を塞いで、狩獺を責めている。

路地裏に、溢れるほどの花と果物が盛られていた。
通りかかった人に尋ねると、これが噂の殺人現場らしい。
皆、乏しい懐から犠牲になった子供を弔う為に果物を供えているのだ。
それは、そのまま狩獺への非難の表明でもあるのだろう。
楽俊がひょいと覗き込むと、三人の男女が泣きながら手を合わせていた。


(これも、なにかの巡り合わせかもしれねぇな。)
楽俊は三人の隣に立って、手を合わせた。
出会いは全て、天が、自分と相手を引き合わせようとして起こる。
雁に辿り着いてから、楽俊は「出会い」というものをそう考えるようになった。
どんな出会いも、決して偶然ではない。天が楽俊に何かを為せと与えたもの。
だとしたら、万に一つも取りこぼしがあってはならない。


男が、楽俊に頭を下げた。
「息子の為に、ありがとうございます。」
「……」
楽俊にしては珍しく、言葉に詰まって無言で拱手した。男の妻らしき女性が声を上げて泣き崩れる。
「すみません。おいら、雁から来て、ここに着いたばかりで…何か、大変な事があったのでしょうね。」
話すのも辛いと黙るだろうか。しかし、楽俊が見上げると夫婦は堰を切ったように話し始めた。
子供が手に握り締めた十二銭を奪う為だけに殺した。この時、狩獺は懐に大金を持っていたというのに。
…まるで天災のような殺人。妖魔が人の姿を借りて湧いて出たかのような。
夫婦は口々に、子供が銭を持っているのを他人に悟られた自分が悪いのだと言い募った。
楽俊は、やりきれない思いでそれを聞いた。
世の中には、どうしようもない理不尽は存在する。人はそれに理由を付けなければ、理不尽を受け入れられない。
他人を責め、自分を責めてようやく納得する。理不尽を理不尽のままにしておくのは、恐ろしい。
予測も予防も不可能な不幸の存在は、それ自体が恐怖だから。

夫婦の後ろに立つ貴夫人は清花…秋官司刑、瑛庚の妻と名乗った。
楽俊は愕然とした。司刑と言えば、今、まさに狩獺の刑を論断している官吏ではないか。
つまりは、民の不満を一身に受ける人物の妻。何故、この剣呑な時期に雲上から街に降りてくるのか。
「夫は、きっと狩獺を殺刑にしないつもりなんです。
 子を殺された親の気持ちも、次は自分の子かとおびえる親の気持ちも、全く理解していない。
 私が意見しても、お前は無知だからと耳を貸そうとしません。
 だから、被害に遭った家族の陳情を聞かせようと、夫に引き合わせたのですが…
 あの人は振り向きもせずに、この者達を追い払いました。
 つくづく思い知りました。あの人の傲慢と冷血を。机上の論議だけで、罪を裁こうとしているのです。
 私を無官の物知らずと馬鹿にして…!もう、屋敷には戻りません。
 ここで、彼らと狩獺の殺刑を求めて、運動を起こすつもりです。」

「なんという事を…」
楽俊は仰天して、口をぽかんと開けた。
「私は本気です。」
清花は昂然と胸を張った。己の正しさを誰かに主張したくて仕方が無いのだろう。
楽俊には黙って頷く事が出来なかった。
黙っていようとしても、すぐに説教癖が顔をのぞかせるのが楽俊の性分だった。
「残念ですが、あなたのした事は事態を悪くしただけです。」
「なんですって?あなたも私を馬鹿にするのですか!?」
「…司刑が直接被害者と面会する事は認められていません。司法の独立性が損なわれる事になる。
 畢竟、司刑はこの論断から外されるでしょう。更迭もありえます。」
「………」
清花は口をつぐんで、楽俊を見詰めた。
「そんな…私はそんなつもりで…」
清花はふと気付いた。秋官の妻でも知らない柳の法に精通する雁の半獣…?
「あなた、何者です。」
「ただの雁の学生ですよ。何者かと問われるほどの知識ではありません。」
言外に無知だと言われて、清花は真っ赤になった。
司刑の妻が知らぬのかという目で見られて、「馬鹿ではない」と胸を張って来た、根拠の無い自信が崩れる。
「…あ…私は…」
冷や汗と共に反論を試みる清花の喉元に、背後から棍を回された。
「…?」
背後に立つ男が清花の肩越しに左右の手で棍を掴み、清花の喉に押し当てる。
「あんた、この間から街を嗅ぎまわってるらしいな。秋官の奥方だって噂だぜ?本当か?」
「…!?」
「放せ!」
掴み掛かろうとした楽俊は、別の男に背後から棍で殴られて、昏倒した。
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