十二国記:楽俊小説

□少年王。2 巧新王朝暗雲編
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「楽俊殿こちらへ。主上が謁見をお許しになりました。」


巧国傲霜翠篁宮。
楽俊は緊張で顔を強張らせて立ち上がった。


雁に仕官して、四十年が経った。延王にこき使われて十二国中をくまなく回った。
各国の王宮に上がることもしばしばだったが、自分の生国・巧の王宮だけは何度来ても慣れなかった。
もちろん人型で訪れてはいるのだが、いつ衛士などに「小汚い鼠が入り込んだ」と襟首を掴んで放り出されるかと、気が気でなかった。
つまり、巧国はまだそういう国だった。新王登極から二十年。この国はまだ何も変わってはいない。官の入れ替えも、新しい法の制定もなく、ただ淡々と荒れ果てた国土の回復に努めている。
今はまだ、それでもいいのだろう。元々朝廷が腐敗していたわけでなく、民は圧政に苦しんでいたわけではないのだから。




楽俊は玉座の壇下に叩頭した。
「書状は読んだ。」
塙王は不機嫌そうに言った。まだ声変わりもしていない少年の声だ。十二歳で登極したのだから、今は三十二歳の筈だ。
しかし塙麒の話では、いまだに子ども扱いされているという。さぞ鬱憤が溜まっているだろう。
楽俊自身も獣型の時は、その背丈と甲高い声のせいで、まず正丁とは見てもらえない。
延麒のように開き直って子供姿を利用出来るようになるまでは、五百年はかかるのかもしれない。

塙王は後ろに控える年老いた太師に向かって、書状を放り投げた。
「まったく理解できん。説明せよ。」
おもてを上げよ、との言葉はない。楽俊は床を見つめたまま奏上した。
「延王は十二国の王・仮王と麒麟が定期的に集って、全ての国の民がより良く暮らせるよう話し合いをする場を持ちたい、との所存です。塙王にも是非ご出席を賜りたく。」
「確かに、そう書いてあったな。景王の発案で、蓬莱では『首脳会議』と呼ぶ、と。」
「是。」
「暇なことだな。大国気取りの雁が考えそうなことだ。」
「・・・蓬莱とは違い、我々の世界は他国から攻め込まれることはありません。ですが、荒民は日々流入してまいります。これまでは、それぞれの国がその場しのぎで荒民を保護し、隣国を援助してきました。しかし、それだけでは根本的な解決には至らない、というのが延王の考えです。援助を必要とする国に対して金や食糧だけでなく、農業や土木事業の技術を提供したい、と考えているのです。」
「巧のような、か。」
塙王は口を捻じ曲げた。
「どうか、お気を悪くなさらないで下さい。十二国の半数の国がそうなのです。もちろん慶も。むしろ慶の方から持ちかけられた話なのです。けちけちせずに教えろ、その方が安上がりだろう、と。十二国を一つの世界ととらえて、その格差をなくすべきだ、と。」

「フン、雁と慶か。胎果の王はよほど世の理を壊すのが好きと見えるな。十二国は互いに不干渉だ。これまでも、これからもな。巧は出席する気はない。延王に余計なお世話だと伝えろ。」
この返答は予測していた。むしろ初めから賛成する国は稀だった。
供王など「頭を下げて教えを請う者に対してならともかく、押し付けがましく誰彼構わず教えてやるなど、虫唾が走る」と、いまだに反対している。
「しかし、雁に流れ込んだ多くの巧の荒民は、一日も早く巧に戻りたいと願っています。巧の国土は順調に回復していますが、延の技師に指導させていただければ、荒民達を開拓民としてまとめて帰国させる事が可能になります。」

「ふん。国を捨てて逃げ出した者共などに興味はないな。」
塙王はつまらなそうに言い捨てた。平伏したまま、僅かに動揺を見せる楽俊を見下ろす。
「確か、貴様も巧の荒民であったな。生国を見捨てた貴様に、余に説教をたれる資格があると思っているのか。 そもそも雁の使者でなければ、貴様のような汚らしい半獣など王宮に一歩たりとも入れはせぬ。くどくど言わずにさっさと帰れ。」

楽俊は思わず目を閉じた。
大丈夫。こういう扱いは慣れている。
「私はこの国を捨てたつもりはありません。ただ、働きたかっただけなのです。」
「同じ事だ。巧の法が不満で出て行ったのだろう。巧の半獣なら巧の法に従って、大人しく飼われておればよかったのだ。」
「その法とは、先代・先々代の王の御世からのものです。あなたはそれを変えていくことが出来るのです。巧の民の何割が半獣がご存知ですか。その者達の労働力を眠らせたまま、ただ食わせている事自体が国の損失になっているのがお分かりになりませんか。」

「何を偉そうに!」
塙王は怒声を上げた。
「雁で成り上がったからといって、余が貴様を手打ちに出来んと高をくくっておるのか!?」
楽俊は冷静に言葉を返した。
「少なくとも、巧の官吏は雁の機嫌を損ねることを許さないでしょうね、あなたが先王の法を変えようとするのを官吏が許さないのと同様に。」
楽俊の痛烈な指摘に塙王はぎりりと歯軋りした。楽俊は気づかぬ振りで続けた。
「・・・一国の主として首脳会議に出席なさる事は、官吏にご自分の力量を示す好機なのではありませんか?行って雁や奏から出来うる限りの援助を搾り取っておいでなさい、ご自分だけの力で。」
「・・・・・」
塙王は半獣など認めたくない気持ちと、他国の王達や自国の官吏に認められたい気持ちの中で逡巡しているようだった。
しかし、彼の出した結論は思いもかけないものだった。

「・・・出てやってもよい。景王の御尊顔を拝するも一興。何しろ巧を滅ぼした女だからな。」
あまりの言い様に、楽俊は顔を上げそうになった。
「景王は被害者です!」
「景王の存在が原因だった事は動かしようがあるまい。慶を滅ぼした麒麟と巧を滅ぼした女王がどの面下げてご立派な意見を申し立てようと言うのか、見ものだな。」
楽俊は、もはや反論する気も失せた。
「ご出席下さるとの事、誠にありがとうございます。」
「下がれ。」
「失礼いたします。」





結局、楽俊は塙王の顔を見る事無く退出した。
何はともあれ会議に引きずり出せたのだから、今回の仕事は成功だ。
小心者の塙王がここでどんな毒を吐こうが、いざ海千山千の王達を前にしてみれば萎縮して大したことは言えないだろう。

「でも一応、雁に帰る前に慶に寄って、陽子に警告しといた方がいいな。」
陽子が先手を打って塙王に侘びを入れてしまえば、もう何も言えないだろう。
現塙王がそんな風に自分を見ていると知って、陽子はきっと落ち込むだろうが。
どう慰めようか考えながら客庁に戻り、出立の準備をしていると、面会の申し入れがあった。

「月亮様。」
巧国冢宰が書物の束を手に静かに入ってきた。
「お帰りと聞いて、土産を持ってまいりました。・・・申し訳ありません。主上が失礼なことを申しましたそうで。」
冢宰、黄月亮は見た目二十代後半の物静かな青年だった。楽俊と同じく大学卒業後すぐ昇仙したらしい。
ただしそれは先々代の王の御世の事だから、実年齢とは気の遠くなるほどの開きがある。
それでも、楽俊が雁の使者として翠篁宮に出入りし始めた頃から二十年来、二人は気の知れた知己だった。
楽俊は巧の貴重な史料を有難く受け取った。
「王が自国民にどんな口をきこうと失礼に当たるはずがありません。」
「しかし、楽俊殿は雁国からの大切な使者です。主上は、なかなかその辺りを理解出来ないようで。・・・恥ずかしながら主上には、自力でご栄達なさった楽俊殿を妬んでいる節があるようです。」
黄は溜息をついて続けた。

「景王の事も悪し様に申したそうですね。どうか許してやってください。主上は昔、別の海客が流された蝕でご両親の土地と母君を失くされたのです。逆恨みには違いありませんが、主上は自分は海客のせいで家生になったのだと思い込んでいるのです。」
「そうでしたか・・・そして家生よりも身分の低いものは半獣だけだ、と?」
黄はますます恥じ入った。
「半獣の差別を撤廃する法は、提出するたびに握り潰されます。主上だけでなく、官のほとんどが昔からの意識から抜け出せない。かくいう私も楽俊殿にお会いするまでは、彼らと同じ考えでした。お恥ずかしい限りです。」
「いいえ、月亮様の御尽力には本当に感謝しています。」
黄は遠慮勝ちに微笑んだ。
「そう急いでお帰りになることもないでしょう。今酒肴の用意をさせます。」
「いえ、今日中には発たないと・・・お茶でしたら喜んで。」
黄はにっこりと頷くと、茶の用意を言いつけた。

席に着くと黄はおもむろに切り出した。
「どうでしたか?主上に拝謁したご感想は。」
言いよどんむ楽俊に、黄はさらにたたみかけた。
「最近のことなのです、主上があの様に反抗的におなりあそばしたのは。今までは、朝廷とともに国を治めていこうと懸命に努力しておいででしたのに・・・どうやら主上の父君が・・太保に叙されていますが・・太保が政治に口を出したがり始めて、主上に、官の言いなりでは不甲斐無いと説教しているようなのです。」
「太保は家生になる前は?」
「ごく普通の農夫でした。」
「昇仙してから政治について学ばれた、とか?」
「いいえ、遊蕩の日々に飽きて気まぐれを起こしたのでしょう。」

溜息をつく黄に、楽俊は首をかしげた。
「ですが太保のおっしゃる事は正論に聞こえますが。太保は王を教育するのが本来の仕事ですし、奏では王の家族は皆それぞれ国政に携わっています。在位二十年の王が政治は官にまかせきり、というのも問題かと・・・失礼ですが、私には塙王は先王の雛形の様に見えました。先王の政治も価値観も全てそのまま受け継いだかのような。」
黄は目を伏せた。
「私共の責任です。しかし他にどうしようもなかった。我々はずっとこのやり方で国を治めてきたのです。まだ幼い王を迎えて、旧来のやり方をお教えするしかなかった。先王に似てしまうのは仕様のないことです。」
「では主体性を持てたのは、むしろ喜ばしい事では?」

黄は居住まいを正した。
「主上がどんな勅令をだそうとしているかご存知ですか。」
「?いいえ。」
「巧を逃げ出した荒民は死刑に処す、と。各国に荒民の返還を要請する、とおっしゃるのです。」
楽俊は息を呑んだ。
「・・・それは・・・」
「今は思いとどまっていただく為に、主上の気を必死で他所に向けようとしている所でした。全く、この時期に荒民を集団で帰す為の会議とは・・・悲惨な結末になるかもしれません。」
「延王に報告いたします。会議にて諸国の王と関わる事で、塙王のお考えが変わると良いのですが・・・。何故、そのような勅令を?」
「太保の持論です。自分は蝕で土地を流され家生にまで身を落とそうと、国を捨てたりはしなかった。荒民となって国から逃げ出すのは、国民である事を放棄する大罪なのだから、死を与えるのは当然だ、と。主上は大変家族思いの親孝行な方で、太保を心から尊敬しておられる。太保の言い出したことを本当に正しいと信じてしまわれたのです。」

「その勅令は確実に失道につながりますよ?」
「何度も申し上げました。その事で主上は更に意固地になってしまわれたのです。朝議の決定には理由もなく反対なさる。諌めれば、子供扱いするなとお怒りになる。もはや官との対立は後戻り出来ない所まで来ています。」
黄は一気に吐き出すと、椅子に沈み込んだ。楽俊は予想以上の深刻な事態に、唖然とするばかりだった。

「月亮様・・・これは私の勝手な憶測ですが、塙王と太保は家生だった過去から未だ逃げ出せずに苦しんでいるでいるのではありませんか。多くの官にかしずかれても、陰では家生のくせにと哂われていると考えているのでは。」
「官の中には確かにそういう見方をするものもいます。・・・一体どうすれば・・・」
「首脳会議は多分良い転機になるでしょう。出来れば、その縁を元に各国を訪れて見聞を広げていただければ、自国の事、太保のことも客観視出来る様になるかも知れません。」
「はい・・・そうですね。」
二人は暗い顔を見交わした。一度歪んだ王を正す事がどれだけ難しいか、二人とも知っていた。
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