十二国記:楽俊小説

□少年王。5 落日編
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パチパチと木のはぜる音で、楽俊は目を覚ました。
岩場の間に焚き火が見えた。その前に男が一人座って小枝を火にくべている。
その後ろで、妖魔が何かをガツガツと食べていた。


自分を喰おうとしていた妖魔だ。


楽俊は反射的に逃げようとして、痛みに顔をしかめた。指一本動かせない。
男が気付いて立ち上がった。肩から掛けた五色の披巾が揺れる。楽俊は驚いて声を上げた。声は出せた。

「…犬狼真君。」
「博識だね。」
にこりと笑った。

「お礼を申し上げます。」
「うん。君は運がいい。さすがは神々の愛で給う王、と言うべきかな。」
楽俊は目を伏せた。
「私は王ではありません。ただの半獣です。」


真君は楽俊の傷口に新しい布をあてがいながら、素っ気なく答えた。
「王でない者が雲海の上から落ちて、命があるものか。謙遜は責任逃れに聞こえるな。」
「そう思って少しは気張ってみましたが、この様です。」
真君はくすりと笑った。

楽俊は、ふと疑問を感じた。
「お詳しいのですね。神は人の世と関わる事はないと聞いておりましたが。」
「そうでもない。巧の事は、あまり玉京に近寄らない私の耳にも入る程の騒ぎになっている。王をすげ替えるか否か、でね。」

楽俊は返答に困って髭をそよがせた。
「…天に気にかけていただけるとは、巧国は幸せです。」
「皆、意外と人好きなのさ。…さあ、これでいい。」
真君は手当てを終えて立ち上がった。


「一刻を争うのは分かっているが、その体では今夜は動かせない。朝になったら送って行こう。」
「ありがとうございます。
 …ですが塙王は、私が自力で蓬山に辿り着いて見せなければ、決して認めてはくれないでしょう。」
真君は眉をひそめた。
「何故、塙王に認められる必要がある?君は既に天に認められているのに。」

楽俊は岩の隙間から夜空を仰いだ。
「私は…王になりたい訳ではありません。
 塙王の道を正し、塙麒の失道を治してやりたかっただけなのです。」

「何故?君は、ただ見ているだけで自動的に次の王になれる。」

「私の友人に、王が何人かおります。
 彼らにも、いずれ道を誤り、天意を失う日が来る。来ない王などいない。
 それが私にとってずっと恐怖でした。だから私はその時に、彼らの道を正せる者になりたかった。私が王になるのでは意味がないのです。塙王を諭し、乱を治め、再び塙王が天意を取り戻すのでなければ…」


真君は優しく微笑んだ。
「なるほどね、天帝の惚れ込む気持ちも解る。・・・だがその体で昇山は無理だな。君が意地を張っている間に、叛乱軍は暴発し、君は妖魔に喰われ、巧は二王を同時に失う事になるだろう。」

「…はい。」
「今は休みなさい。せめて、ろくたに乗れるまでには回復してもらう。」




「…はい。」










夜明けの黄海上空を一羽の妖魔が飛ぶ。
羽ばたきの度に振り落とされそうになり、楽俊は弱々しく妖魔にしがみついた。
傷は癒えかけていたが、まだ体に力が入らない。真君は楽俊をしっかりと抱えて、蓬山を目指した。



蓬山山頂では、玉葉が、やはり一人で彼らの到着を待っていた。
妖魔から降りた真君は玉葉に目礼し、楽俊を背負う。二人は言葉を交わさぬまま、祠の階を降りた。



房室の一つに通される。塙麒が弾かれた様に立ち上がった。

「楽俊!」
駆け寄る塙麒の目が泣き腫らされて赤い。

「大丈夫?大丈夫なの、楽俊!」
楽俊はにこりと笑った。
「ああ、何とか命はある。」
塙麒は真君の背から楽俊を抱き取った。

真君は玉葉に頷いた。
「では、これで。」
玉葉は扇で口を隠し、上品に笑った。
「犬狼真君がお越し下さるとは、珍しい事もあるもの。せっかくじゃ、ゆっくりしてゆかれては如何。」


「・・・いずれ。」
真君は、戸惑う様に目を逸らせ、そのまま振り返らずに、立ち去った。




塙麒は楽俊を牀榻の傍に下ろした。楽俊は立つことすらかなわず、牀榻の縁にすがって膝をついた。
塙王が床についていた。塙王は、生気のない顔を大儀そうに楽俊に向けた。
「なんだ、もう来たのか。大した時間稼ぎにもならなかったな。」
「塙王・・・?」


「まあ、天帝に王位を返上する時間位はあった。」
「!?」


「譲位だ。玉座はお前にくれてやる。」



楽俊は愕然とした。
「何故・・・」

塙王は楽俊の表情に満足して、天井に目をやった。
「余は・・・いや、俺はずっと王として認められたかった。だが、臣も父もいつまでたっても子ども扱いで、それが我慢ならなかった。だから、自分の出した勅令で国が治まれば、一人前の王として認められるだろうと考えたのさ。その結果が、叛乱に失道だ。」

楽俊も塙麒も、返す言葉もなく視線を落とした。塙王は、力なく楽俊を見やった。

「だがお前は、俺を認めると言う。神々の中にも、まだ俺を見捨てていない方がおわすという。何を認めるかと問えば、巧を建て直した功績だ、と。」

塙麒が大きく頷いたが、塙王はそれを視線で押しとどめた。

「つまり、本当にただのガキだった俺が、右も左も分からぬ王宮で、人に言われるがままに振り回されていたあの時期が、俺の全てだったのだ。笑えるじゃないか。人のいいなりである事が、俺の価値。国も神もそれ以上の事は、はなから俺に求めていなかったんだ。」

反論しようとする二人を、塙王は片手を上げて制した。
「そういう時期だった、という事だろう。それなら、冢宰の黄を王に選べば良いものを。天のする事は、訳が分からん。」

「黄では、務まらぬのじゃ。」
玉葉が口をはさんだ。
「何代もの王の御世を、王宮の中でのみ過ごして来た者に、雲下の民の暮らしを推し量る事はかなわぬ。故に、王は位を問わずに選ばれる。だからこそ、民は王に期待するのじゃ。自分と同じ地面に立つものなら、今の窮状を理解してくれるであろう、と。」

「だが、俺は推し量る事すらしなかった。自分が王らしくあろうとするばかりで。」

「気付いたのなら正せばいい!そこからやり直せば…」
楽俊の言葉に塙王は、ふっと笑った。
「お前はいつも正しいな。俺はもう疲れた、休ませてくれないか。」

楽俊は言葉に詰まった。

「正しいと分かっていても出来ない事もある。その方が多い。今の俺のように疲れ切った者にはな。…お前が代わってくれるんだろう?説教はもういい、お前がやれ。」

楽俊は溜息をついた。
「では、私の負けです。」
「何?」

「私は、あなたの道をを正し、天意を戻して差し上げたかった。本当に、ただそれだけだったのです。それが叶わぬのならば、今回の事は私の負けです。」

「…は、ハハハハハッ!」

塙王は声を上げて笑った。
「最期にやっと、お前に勝てたか!それはいい気味だ!」

楽俊もつられて苦笑した。玉葉は楽俊に手を貸して立ち上がらせた。
「二人きりにしてやろう。そなたにも休息が必要じゃ。」

楽俊は玉葉の手をそっと外して、塙王に叩頭した。

何も言えなかった。






「崩御。」
巧国傲霜翠篁宮。二声宮にて白雉が二声を発し、血を吐いて地に落ちた。朝廷に激震が走った。
冢宰黄月亮は、がくりと膝を突いた。



私はまた一人、王を失った。私が、追い込んだ。


国政に慣れぬ王、支え導こうとして結局、王を潰す私。そして、また国政に慣れぬ王を迎え・・・
抜け出せぬ連鎖。
この国の、真に取り除かれるべき病巣は、王ではなく他ならぬ私のはずであったのに。





黄は、真摯な目で自分を見上げる在りし日の少年王を思い出し、静かに涙した。







続く

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