十二国記:楽俊小説

□少年王。6 完結編
1ページ/2ページ

「崩御。」
白雉の二声により、巧国朝廷に激震が走った。戻って来るのは、やはり半獣の王…



蓬山。人型をとった楽俊は、階の下で塙麒を待った。
傷は癒えたが体力が戻らず、立つのがやっとで、欄干に背を預けている。
やがて泣き腫らし、憔悴しきった塙麒が現れた。

「せかして、すまなかったな。」
塙麒は黙って首を振ると、楽俊に肩を貸した。
「おいら一人で歩けるよ。どうやら王は仙より傷の治りが早いらしい。」
「ううん、僕が一人で立っていられそうにないんだ。楽俊、支えててくれる?」
「そうだな、二人で行こう。」
二人は天勅を受ける為に階を登った。



巧国の空に瑞雲がたなびき、人々は訝しげに空を見上げた。
王が倒れたとの噂も届かぬ内に、新しい王旗が上がった。そして間を置かず、現れた瑞雲。
一体何が起こっているのだろうか。
人々は不安気に雲を見送った。


巧国傲霜翠篁宮。
ようよう王宮に到着した楽俊は、玄武の甲羅の上に立ったまま、平伏する諸官を見渡した。
皆、顔を伏せたまま、気付かれぬよう新王の姿を覗き見ようとしたり、視線を交わしたりしているのが見て取れる。
楽俊は、敢て獣型で諸官にまみえた。

「おいらは楽俊だ。よろしくな。」
気楽に声をかける。
「このまま玄武から降りたい所だが、そうもいかねェ。翠篁宮は半獣の出入りを禁じているからな。以前は、おいらは雁の勅使だったから、特例で通して貰えたが、雁の官位は今朝返上して来た。そこで、」
楽俊は言葉を切って、再び諸官を見渡した。釣られて顔を上げそうになった者が慌てて平伏する。

「これより、半獣は人と同じく扱う。これを持って初勅とする。」

諸官があっけに取られる間に、楽俊は玄武から這い降りた。
同じく獣型の塙麒が優雅に舞い降り、二人は礼を持って玄武を見送った。

「月亮。」
楽俊は振り返りざまに、冢宰を呼びつけた。
「急ぎ勅令を触れ回れ。」
「御意。」
冢宰は官吏の一団を引き連れ、慌ただしく退出して行った。

「左将軍。」
「これに。」
「叛乱軍の首謀者に会いに行く。案内せよ。」
「…御意。」
「空行師と来い。おいらは塙麒と行く。」
左将軍は驚いた。
「まさか!台輔を戦場へお連れするなど!」
楽俊の目がキラリと光った。
「戦場で血が流れたのかい?」
思わぬ勘気に慌てて、左将軍は地に額を擦り付けた。
「いいえ!ここ数日はどこも籠城戦にて、膠着状態が続いており…」
「上出来だ。」
楽俊はにこりと笑って、左将軍を引き起こした。

側に控える塙麒も、左将軍の手を取った。
「お気遣いありがとうございます。でも、僕はこれまで何度も、喰いちぎられた民の血の海の中で、妖魔を降してきました。血など平気です。」

(そのように御身を大事になさらないから、心配なのです。)
王の手前、左将軍は何も言わずに一礼すると、準備の為に小走りに退出した。


楽俊は次に天官長を呼んだ。
「緊急事態なんでな。型通り行かなくて、すまねェ。なんなら落ち着いてから、もう一回やり直してもいいからな。」
「…は、いえ。」
天官長は毒気を抜かれて、口ごもった。

「他の者は勅令の如く、事に当たれ。じゃあな!」
楽俊は塙麒の背に、よいこらと跨ると、そのまま飛び立った。大慌ての空行師が合流する。

その場に取り残された官吏達は、ざわざわと立ち上がった。ある官吏が上司に小声で囁いた。
「よろしいのですか?あんな無茶苦茶な鼠の言いなりになるなど。」
上司は、やはり小声で叱り付けた。
「その様な事を言っている場合か!大事業だぞ、これは。法も土地も組織も、全て組直しだ。」
「…あ!」
官吏は慌ただしく自分の部署に戻って行く人々を見回した。上司も立ち上がって、裾を払った。

「冢宰殿がおっしゃっていた『心せよ』とは、この事だったのだ。我々が半獣の王を受け入れられるかどうかではない。我々の力量が王に試されているんだ。」
官吏は自分のこなすべき膨大な仕事量を思って青ざめた。



巧国喜州。
州城に立籠もる半獣達は、我慢の限界だった。食糧は、まだまだある。
しかし、奇襲を掛けて追い出した州師に城を取り囲まれてから数日、何の動きもない。
攻める事も、交渉する事もなく、ただ静かに待機する州師の様子が、いかにも不気味だった。

叛乱軍の首謀者である黒い狼の半獣は、苛々と床を蹴りつけた。
「落ち着いてるフリ位して見せてよ、狼牙。士気に関わる。」
「夜兎。」
狼牙が顔を上げると、小柄な白い兎の半獣が、のんびりと笑った。

「夜兎!お前は、どこまで呑気なんだ!仲間の拠点も全て包囲されてる。援軍なんか来ないんだぞ!? このまま、食糧が尽きるまで籠城するつもりか?」
「助けは来るよ。」
夜兎は静かになだめた。
「信じて。」
狼牙はじろりと夜兎を睨み付けた。
「お前は、この間からそればっかりだな。一体、何を待っているんだ。」
「今は言えない。でも、もうすぐだから。」



急に城内の半獣が騒ぎ出した。
「王師だ!」

狼牙と夜兎は急いで窓から身を乗り出して、外を見た。
王旗を打ち立てた空行師の一軍が近付いて来る。

「投石用意!」
叫ぶ狼牙を夜兎が押しとどめた。
「待って!王師が敵とは限らないよ。」
「敵に決まってるだろうが!今まで俺達を虐げてきたのは、王自身なんだぞ!」

空行師は、石や矢が届く距離までは近付いて来なかった。
滞空を続ける騎獣の列から、一騎が城に向かって降下してくる。
今度は狼牙も迎撃しようとはしなかった。その眩い金の光が麒麟の鬣である事に気付いたからだ。
しかし、麒麟の背に騎乗する者の姿を見て、城内の半獣全員が、あんぐりと口を開けた。

「何だ?あの鼠は。」

麒麟が何者にも邪魔されずに城内の庭院に降り立つと、灰茶の鼠はモタモタと麒麟の背から降りた。
叛乱軍の半獣達は皆、固く閉ざした扉の内側から、彼らを覗き見た。
鼠は、叛乱軍が潜んでいるであろう場所一つ一つに、正確に目をやりながら、のんびりと話し始めた。
「おいらは楽俊だ。さっき、この国の王になった。」

王?人以下の半獣が、神に?
半獣達は信じられない思いで顔を見合わせた。

「半獣は人と扱いを全て同じくする。そう勅令を出した。おめェらの勝ちだ。出て来てくれねェか。」

城内がシンと静まりかえった。
狼牙は夜兎を顧みた。夜兎がにっこり頷くのを見て、狼牙は怒りに任せて扉を蹴り開けた。

「よォ。」
楽俊は庭院に出て来た二人の反逆者に、軽く手を上げた。狼牙は楽俊に指を突き付けた。
「お前、楽俊だろう!知っているぞ!」
「そうかい?」
「夫役も知らず、親元でぬくぬくと育った後、巧から逃げ出して、今度は雁で優雅に暮らしていた鼠だな?」
「おいらの時代は、半獣は働けなかったからな。」
「誤魔化すな!」
狼牙は楽俊の態度にいきり立った。
「俺は、お前だけは認めんぞ!苦労も知らずに運だけで成り上がった奴が、何で王に選ばれるんだ!」
「おめェらが選んだんだろ。」
楽俊は肩をすくめた。
「王ってのは、天意で決まる。天意は民意だ。おめェらの叛乱で前王が失道し、おいらに王位を譲った。つまり、おめェらが新しい王朝を興して、おいらを玉座に据えたんだよ。半獣を王にしたい奴なんて、他に誰がいるってんだ?」

狼牙は言葉に詰まって、視線を泳がせた。気が付くと、夜兎をはじめ、仲間達が皆、叩頭している。
狼牙は握り締めた拳を震わせた。
「俺は、頭なんか下げんぞ!」
「構わねェよ。それより、これからどうするつもりだ?」
「何?」
「叛乱は成功したぞ。で?それから?」
狼牙はうろたえて、夜兎を振り返った。
「いや、俺はただ…夜兎が…」

楽俊は叩頭する夜兎の前に立った。
「あんたが首謀者かい?」
「僕は…」
「立ってくれ。あんたらに頼みがある。」
「?」
夜兎は、おずおずと立ち上がった。
「おめェらには、巧の半獣全てのまとめ役となってもらう。この国の半獣達が真に人と等しく生きられるよう、力を貸してくれ。」

夜兎は戸惑って、せわしなく耳を動かした。
「しかし私共は…叛乱軍なのですが…?」
「勝てば官軍だ。差別に絶望して国を捨てたおいらが、差別を覆そうと戦ったおめェらを罰せられる訳がない。こいつの、」
楽俊は狼牙に目をやった。
「怒る気持ちも分かる。王宮まで攻め込んで王位を簒奪し、半獣と人の地位を逆転させて、人々に思い知らせてやりたかったのに、知らぬ間に王が半獣に交代していて、事が丸く治まってしまった。怒りの矛先を向ける先を失っちまったんだからな。」

狼牙は、目を見開いた。
「俺は、そんな恐ろしい事は考えてない!勝手に話を作るな!」
「なんだ、つまんねぇな。」
半獣達は呆気に取られて、鼠を見上げた。楽俊は、にやりと笑った。
「おいら達には、それが出来る。どうする。やるかい?」
狼牙は慌てて、首を降った。
「まさか!俺達は、ただ…」

「だが人々は、それを恐れている。」
夜兎は楽俊の言葉に、ハッと顔を上げた。
「この蜂起は、王だけに向けられたものではない。今まで半獣を虐げてきた自分達にも向けられているのだと、人々は自覚している。そんな中、半獣が王になって、半獣の為の勅令を出した。これで人も半獣も仲良く暮らせる幸せな国になれる、と人々は喜ぶと思うかい?」

楽俊は屈強な虎や雄牛の半獣達を見渡した。
精鋭の半獣兵に囲まれて、鼠と兎は捕食対象にしか見えない。
「おいらや兎のおめェは、人に侮られるだけで済む。だが、こいつらみてェな厳つい奴等に感じる人の恐れをどうする。半獣が絶対に暴れない、人を襲わないなんて、おいらにだって保証出来ねェ。」
半獣達は一様にうなだれた。
「勅令は簡単に出せる。だけど、それで解決する程、半獣と人の溝は浅くない。…おめェらの、いや、おいら達の戦いは、これから何十年も、何世代も続くだろう。自分自身の事だ。まさか、今更降りるとは言えねェよな。」

夜兎は真剣な面持ちで頷いた。
「当然です。私達はその為に戦って来たのですから。」
楽俊は、自分の変わらぬ背丈の兎の肩をポンと叩いた。
「手分けして全ての占拠地の仲間に、勅令を伝えてくれ。空行師が送り届ける。」
楽俊が合図すると、城上空に待機していた空行師が次々と庭院に舞い降りた。
夜兎はテキパキと、使者となる半獣を割り当て、各地へ暗号文をしたためた。

「玉璽をついた勅令は、既に冢宰が各地の州師に届けたはずだ。現地で受け取ってくれ。」
空行師は、戸惑う半獣を一人ずつ同乗させ、再び空へと飛び立った。
時を同じくして城門が内側から開けられ、追い出されていた州師が再入城を果たした。


「じゃあ、後は任せた。」
塙麒に騎乗しようと背伸びする楽俊を、左将軍は目の覚める思いで見詰めた。
「主上、電光石火の無血開城、お見事です。」
「いや、速くはねェさ。」

楽俊は自嘲した。
「雁から傲霜に駆け付けた時、三日で片がつくと考えていた。塙王を説得して、勅令を出させて、それをおいらが半獣達に届けるには三日あれば足りると。それが、こいつらの我慢の限界だと思ったからな。だが実際は、ここまで来るのに、予想以上に時間を喰っちまった。無血で済んだのは、一重にこいつらが重圧に耐え兼ねて暴発する事なく、籠城を続けてくれたお陰だよ。」

楽俊は、庭院に残った狼牙と夜兎に目をやった。
夜兎はバツが悪そうに狼牙を見てから、「台輔のお陰なのです。」と、袂から何かを取り出した。
それは一見、愛らしいリスに見えた。しかし良く見ると、口が耳まで裂け、鋭く尖った歯が並んでいる。
「台輔の使令です。州師の攻撃が止むのと前後して、伝言を運んで来ました。『主上を信じて、動かず待て』と。」

「聞いてないぞ!」
狼牙は驚きの声を上げた。
「だって、狼牙は、雲上人を毛嫌いしてるから。主上を信じろなんて言ったら、逆効果だろ。」
「当たり前だ!」
言い争う二人を眺めながら、楽俊は塙麒の首筋を優しく叩いた。
「また、おめェに助けられたな。」
塙麒は、小さく首を振った。
「楽俊が、ここに来る事は分かってたから。
楽俊が前王を説得したとしても、楽俊が王になったとしても。」
楽俊は黙って塙麒の背によじ登った。
「帰るか。」
「うん。」

楽俊を乗せた塙麒と、左将軍、そして狼牙と夜兎を同乗させた空行師は、夕闇迫る空へと飛び立った。
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ