十二国記:慶国小説

□耳墜
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範の主従は、李斎と泰麒が蓬山より戻るのを待って帰国する事となった。
最後の夜、祥瓊は淹久閣にて、範の主従の荷造りに追われていた。氾王がしょっちゅう横槍を入れるので、旅支度は遅々として進まない。

「祥瓊、先に明日の着物を揃えてくりゃれ。」
「こちらにご用意した物では…?」
「明日は、紺という気分ではないねえ。」
「…では、この荷を解きます。」
先ほどから、荷を造って解いての繰り返しだった。勿論、ちらとも不満を見せず、祥瓊は淡々と仕事をこなしていた。

夜も更けた。氾麟は榻で寝入ってしまっている。
「…それから、祥瓊。」
「はい。」
「今日、慶王より土産に賜った掛け物だがね。どうも私の趣味ではない。お返ししてくりゃれ。」
「では、代わりを選びます。」
「ふむ。では、代わりにそなたをいただいて帰ろう。」
「…は?」

氾王は手にした扇子で祥瓊を差し招いた。
祥瓊は手を止めて、榻にゆったりと寝そべっている氾王の前に膝をついた。
「うちに来れば、そなたが公主であった頃より、美しく着飾ってあげよう。」
祥瓊の顔に、さっと緊張が走った。
「何故その事を…」
「調べさせたのだよ。本当に連れ帰るつもりなのだから、出自くらいは確かめておかないとねえ。」
「…本当に…」
「どうかの。今のようにあくせく働かずとも、ただ私の傍に侍っておれば良いのだ。悪い話ではなかろ?」
「え?あの、それはどういう…」
「妃として、お招きする、という事だね。」
祥瓊は驚いて立ち上がり、一歩退いた。氾王は悠然と微笑んで手を差し伸べた。
「こちらへ。」
逆らう訳にも行かず、氾王の前に立つ。
「何故ですか?今は一介の女史に過ぎません。それに過去を調べたのであれば、ご存知のはず。私は、国を傾けた罪人、その上、恩知らずの盗人です。」
氾王は指先で祥瓊の顎をつまんだ。
「強い目をしているねえ。自分で選び取った運命を迷いなく進まんとする者の目だ。趣味の良さといい、物怖じしない振る舞いといい、とても私の好みだよ。」

祥瓊は、とまどって視線を落とした。
「ご厚情ありがとう存じます。ですが、陽子、いえ、主上は私がついていないと本当に駄目な人で…それに…」
「あの、いかめしい熊将軍かえ?」
当然、調査済みなのだろう。祥瓊は珍しく赤面して、消え入りそうに頷いた。
氾王は面白そうに声を上げて笑った。
「そなた、男の趣味だけは悪いねえ。あんな堅苦しい男では、さぞ退屈であろ。」
「いえ、その…申し訳ございません。」

「よいよい、気にするでない。慶に来れば、またそなたを困らせて楽しめるのだから、それもまた粋というもの。」
「申し訳…え?あの?それでは今までの駄々は、わざと私を困らせていたのですか?」
呆然とする祥瓊に、氾王はにっこりと笑いかけた。

「祥瓊は本当に可愛いねえ。無理難題を売られた喧嘩のように受けて立つ、その気概が好きだよ。」
氾王は自分の耳から耳墜を外すと、祥瓊に差し出した。
「これをそなたに。」
祥瓊は、慌てて首を振った。
「いただけません!そんな高価な物。…身に着ける機会もございませんし。」
「身に着けずとも、所持しているだけで気持ちが華やぐ。装飾品とは、そういうものであろ。さ、つけて進ぜよう。耳をお貸し。」

断りきれず、おずおずと横を向くと、丁寧につけてくれた。
「鏡を。」
祥瓊が、飾り棚から螺鈿細工の手鏡を取って手渡す。氾王は祥瓊が耳墜を確かめられるよう、鏡を持った。
「思った通り、よく似合う。」

その耳墜は奇運にも、昔、供王から盗んだ耳墜と同じ宝玉だった。
「…ありがとう存じます。」
「盗品と見咎められぬよう、一筆書いて進ぜよう。文箱を。」
「かしこまりました。」
「それから、明日の着物も、はよう見立ててくりゃれ。」
「…かしこまりました。」

最後まで人使いが荒い。
祥瓊があきれて小さく吹き出すと、氾王は満足気に微笑んだ。



............


出立の朝。

禁門に見送りに出たのは、陽子とわずかな側近のみだった。氾麟と共に優雅に騎獣にまたがった氾王は、陽子に念を押した。

「またすぐ遊びに来る故、淹久閣の調度は、ゆめゆめいじるでないぞ。その時はもちろん祥瓊をつけてくりゃれ。」

いつのまに、淹久閣は氾王専用になったのだろう。陽子は苦笑しつつも、生真面目に頷いた。
「承知いたしました。またのお越しをお待ちしております。」
氾麟は別れを惜しんで、騎上から陽子を抱きしめた。
「陽子、会えて嬉しかったわ。泰麒をお願いね。」

氾王は、陽子の後ろで平伏する祥瓊を名残惜しげに眺めた。
「では、いずれ。」
範の主従は、あっという間に空に吸い込まれて見えなくなった。



祥瓊は袂の中の耳墜を、そっと握った。
もちろん、女史の身分にそぐわない華美すぎる装飾品を身につけるわけにはいかない。

(…惜しい事、しちゃったのかしらね。)
傍らに立つ桓魋の生真面目な横顔を見やる。


氾王の事を相談したら、きっと即座に妃になる事を薦めるだろう。本心から、祥瓊の幸せを願って。そう思うだけで、ちりちりと胸が焦がれた。

(きらびやかに着飾って、かしずかれる生活か…不思議ね。与えられた時には、そんなに欲しくなくなっているなんて。)

そして、喉から手が出る程欲しい、この堅物からの関心は、どう攻めてみても手に入らない。


(人生って、ままならないわね。)


祥瓊のため息に気付いて、桓魋は心配そうに紺青のつむじを見下ろした。





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