十二国記:楽陽小説

□誓約 第一章
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「いいけどな、お前もうちょっと慎みを持てよ。」

往来でいきなり抱きつかれて、灰茶のネズミは、しかめ面で陽子をたしなめた。
楽俊は、ただ単純に素直な好意を示されて嬉しい気持ちと、陽子が自分を結局ぬいぐるみか子供のようにしか思っていないのだ、という落胆する気持ちの中で揺れていた。

だが、それら全てを絶望が覆い尽くす。

「王、か・・・」

陽子は、楽俊の気持ちが遠ざかったのだ、と言った。そんな簡単なものではない。例え気持ちが変わらなくても、運命は、たった今、天に二つに斬り裂かれた。

王と半獣の間にある二歩の空間には、決して穿つことの出来ない壁があるのだ。



楽俊は、次の街に入ると、すぐに宿を取り延台輔に謁見を願い出る文書をしたため出した。

事が動き出そうとしている。黙って見ていた陽子は、街道では怖くて聞けなかった事をおそるおそるきり出した。

「待ってくれ、楽俊。私はまだ、王がどんなものかさえ、わかっていないのに。」

楽俊は、手を止めて振り返った。

「おいらだって神の世界の事は詳しく知らねェよ。だから延台輔にお会いして、お聞きしろ。」

「その前に・・・」

陽子は不安気に文机の傍に立った。

「私が慶で、その王というものになるとして、楽俊は、私と来てくれるの?これからも、ずっと私と一緒に居てくれる?」
楽俊は、陽子を見上げると、すまなそうに言った。

「そいつは無理だ。今の慶の法律じゃ、半獣は仕官出来ない。最下級の下男でも無理だ。王宮には入れねェよ。」

陽子は傷ついた顔で反論した。

「でも、私が王なんだったら、法律は変えられるんじゃないの?」

楽俊は、なだめる様に小さな手を上げた。

「そんな簡単に行くかい。国は王のおもちゃじゃないんだぞ。」

「じゃあ、王にはならない。」

「ならないんじゃなくて、もう王なんだよ。」

噛んで含める様な楽俊の言葉に、陽子は首を振った。

「役所への手紙は、書かなくていい。楽俊、このまま雁で、二人で暮らそう。 二人で仕事を見つけて・・・ううん。私が働くから、楽俊は少学に入ったらいいよ。ね?そうしよう?」

陽子は楽俊の手を取った。


「本当は、もう帰れなくてもいいと思ってたんだ。あっちには楽俊はいないんだから。」

楽俊は、驚きと喜びと、そして哀しみを持って陽子を見た。

(おいらも同じ事を考えていた。)

でもそれは昨日まで、陽子が王だと知る前までの話だ。

「何言ってんだ。国は?慶の民はどうなるんだ?」
「他の人が王になればいい。」
「そいつは無理だ。」

楽俊は立ち上がった。

「王が代わるのは、王が死んだ時だけだ。そして、王はその責務を果たさずにいたら、天帝に王位と命を取り上げられる。つまり、王であることを拒否してたら死んじまうんだよ。」

「だって、私には王なんて無理だよ。」

「また、見捨てて逃げるのか?」

陽子は、その場に凍りついた。楽俊は構わず続ける。

「おいらの事はいいんだ。前に言ったろう。おいらの命はおいらの責任だって。でも、慶の民は違う。慶の民の命は、王の責任だ。」

「・・・そんな責任、いきなり押し付けられても困る。しかも、断れば死ぬだなんて・・・」

「少なくとも、今、起こっている事を延王に明らかにする責任はあるぞ。陽子はもう海客として、延王の保護を受けてるんだから。」

陽子は、渋々うなずいた。

「わかった。続きを書いて。延台輔とお会いする。でもまだ、王になると決めたわけじゃないから。だって、楽俊と一緒に生きられないのなら、この人生に、いや、この世界にどんな意味があるというんだ?」

「陽子?何を言い出すんだ。」

陽子は寂しそうに笑って、ひざまずくと楽俊のふかふかした頬を両手で包んだ。

「烏号で楽俊が待っててくれたってわかった時、もう、決めちゃったんだ。私の心は、楽俊のものだよ。」

「陽子!?」

「楽俊にとって、私はただのお荷物かもしれないけど、私は、楽俊に一生の愛を捧げる。」

楽俊は、あまりの事にしばらく固まっていた。が、自分の口に陽子の唇を押し付けられて、慌てて飛び退いた。

「バカ言うな!おいらネズミなんだぞ!」

「関係ないよ。ごめん、迷惑だよね。でもこれは、自分の命や他人の命と引き換えに諦めきれる恋じゃないんだ。」

(恋!?陽子が?おいらに?)

いや、喜んでいる場合ではない。もしかすると、今が一国の運命を左右する瞬間なのかもしれない。

「待てよ。おいら、王になったら二度と会えない、なんて言ってねェぞ。」

「え?」

「陽子が、いつか立派な王になって、慶をよく治めることが出来たら、きっと半獣が仕官できるように法律を変えられる。そしたら、必ず慶に行くよ。そこで少しずつでも位が上がれば、いずれ王にお目通りがかなう所まで行きつけるさ。」

陽子は呆然とした。

「何、その気の遠くなる話。」

「だから言った、陽子は遠い人だったんだなって。でも生きていれば、近づこうとする事は出来る。死んだら、それまでだ。」

陽子は上目遣いに楽俊を見た。

「近づこうと、してくれるの?」

「必ず。だから、いつまでも駄々こねてねェで、延王の話を聞くんだ。王ってものが何なのか。決めるのは、それからでいいから。な?」

「・・・うん。」

陽子は、おとなしく引き下がった。楽俊は文書の続きに取り掛かった。


ふと、後ろを盗み見ると、陽子が自分を思い詰めた様に見つめているのと目が合って、慌て顔を戻した。

(陽子は、何もわかっていない。)

自分の恋と一国の存亡を簡単に天秤にかけてしまえるなんて、事態の重要さを理解していない証拠だ。

いくら死地をくぐり抜けてきたとはいえ、まだ少女なのだ。

(陽子は、ただ、拾われた仔犬の様においらが全てなのだと、すりこまれているだけだ。王として慶に行けば、いずれ気付く、ただの思い込みだったと。)


応えてはいけない。
その、あまりに危険な幼い恋に。

王が、その心を捧げるべきなのは国と民、それを支えるのは麒麟。自分の出る幕じゃない。

一生、心に秘めていく、と誓った。 

しかし、

(烏号で再会した時から・・・か。)

楽俊は、抑え切れないしびれる様な甘さに、ぞくりと体を震わせた。



決して彼女に告げる事はないだろうが、


おいらは、あの雨の日、行き倒れている陽子と見つけた瞬間から、
全てを捧げている。



心も、この身も、


そして、人生も。


           
 



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