十二国記:楽陽小説
□失道未遂
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「もう半年も楽俊に会ってない。」
鸞だって、三ヶ月前に送ったきりだ。
最近陽子は、自作の楽俊人形を抱きしめて、内宮をうろつくようになっていた。その人形はかなりいびつで、ねずみというより枕に見えるが、本人が楽俊といったら、楽俊なのである。
「忙しいのは、雁で重用されている証拠だから、私も嬉しいけど。それでも便りだけは、間を置かずにくれてたのに。」
雁には女性官吏が多いからな。私のことなんか、もう思い出さないかも。
くだらない考えばかりが、ぐるぐる回る。
執務中は集中しているつもりでも、こうして回廊を歩いていると、胸がざわざわしてくる。
「主上、このところ、お顔の色がすぐれないようですが。」
後ろを歩く景麒が声をかける。
「何でもない。大丈夫だ。」
振り返って、無理に笑って見せるが、なんだか景麒のほうが顔色が悪い。
「お前こそ・・・」と言いかけたが、「その人形、朝儀に持ち込むのは止めて下さいよ。」と、釘を刺されて、聞く気がうせた。
陽子はぷいと顔を背けた。
「そんな事、わかってる。今日の仕事は終わったんだから、勝手だろ。」
返事がないので振り向くと、景麒が床にゆっくりとくずれ落ちる所だった。
「景麒!?」
駆け寄る陽子に、景麒がうわ言のように呟いた。
「ら・・・楽俊殿を・・・」
景麒−−−!?
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意識を失った景麒は、極秘の内に仁重殿に運び込まれた。寝台を囲んで、陽子と側近たちがまんじりともせず、黄医の診断を待っていた。
「ま、これは失道ではありませんな。」
黄医の言葉に一同は、ほっと胸を撫で下ろした。
「では、一体・・・?」
「王と麒麟は一心同体。主上の御心に過度の負担がかかりますと、台輔のお体に障るのです。予王の御世にも、台輔は何度かお倒れになりましたな。まあ、主に予王の恋煩いが原因で・・・」
恋煩い!?
その場に居合わせた者は、慌てて顔を見合わせた。心当たりがあり過ぎる。
「楽俊殿を!楽俊殿をお呼びせねば!雁に青鳥を!!」
(虎嘯!?)
陽子は青ざめて、口をぱくぱくさせた。
「いや、楽俊殿は今、延王の特命で、極秘で諸国の偵察に出ておいでだ。 雁に問い合わせても埒が明かないでしょう。」
(浩瀚!?何でそこまで知ってるんだ!?)
「じゃあ、捜索隊を出しましょう!禁軍じゃまずいから、夕暉達に頼んで!」
(鈴!?大事にしないでくれ!)
「や、やめてくれ!」
陽子はやっとの事で、口をはさんだ。
「違うんだ!呼んで、来てもらうんじゃ意味が無いんだ。」
「あのー、取り込んでるとこ、悪いんだけど・・・」
全員が戸口を振り返った。
灰茶色のしっぽを所在無げに泳がせて、楽俊が立っていた。
「楽俊!?」
『楽俊殿−−−!!』
「うああああッ!?」
全員に涙ながらにすがり付かれて、楽俊は跳び上がった。
「楽俊!仕事はいいの!?」
かろうじて、一番正面をキープした陽子が、目をうるうるさせて尋ねた。
「いや、明日には発たねえと。本当にちょっと顔見に寄っただけだから。」
「そっか・・・ねェ、ほんとに私の顔見たいって思ってくれた?」
楽俊は笑って、陽子の頭をなでた。
「ああ、想わない日なんて、ねえぞ。」
『楽俊殿ーー!よかったーー!』
「だから一体、何事ですか!?」
また、皆に泣きつかれて、楽俊は毛を逆立てた。
「大体、景台輔、お体は大丈夫なんですか!?」
楽俊は先刻、禁門に着いて騎獣から降りた途端、問答無用で社真に仁重殿まで引っ張られてきたのだ。景麒は寝間着のまま(麒麟は膝が折れないので)楽俊に覆いかぶさっていたが、はっと我に返って、慌てて手を離した。
「おかげ様で、たった今、全快いたしました。」
景麒に生真面目に拱手されて、楽俊はますます困惑した。皆は、やっと安堵したように立ち上がった。浩瀚が涼やかに微笑んで、楽俊の手を取った。
「楽俊殿、ようこそおいで下さった。 主上、今日明日の主上のお仕事は、楽俊殿のおもてなしです。朝議にのみ、ご出席下されば結構ですから。」
「うん、ありがとう浩瀚! 鈴!湯の用意をお願い。」
陽子に背を押されて、楽俊は訳のわからぬまま、仁重殿を後にした。
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楽俊は湯から上がったところを、また陽子に捕まって、まだ湿った毛にブラシをかけられている。
慎みを持て、とか十年程言い争いを続けたが、近頃ではもう観念してしまった。
まあ、いいか、と自分に言い訳をしてみる。どうせこの姿ではペットをグルーミングしているようにしか見えないし。
人型になると、陽子はいつも真っ赤になって言葉少なになってしまうので、こちらも照れくさくなって、いつも人型になれないでいる。と、いうよりも、それを狙っている自分の浅ましさを、陽子に見透かされそうで怖いのかもしれない。
「それで、その時、祥瓊がね。」
陽子のとりとめのないおしゃべりが心地よくて、楽俊はついうとうとしかけたが、やっと聞いて置かなければならないことを思い出した。
「なあ、陽子。景台輔は一体どうされたんだ?」
避けていた話題に触れられて、陽子は焦ってブラシを振り回した。
「違うの!失道じゃないんだよ?」
「いや、そういう意味で聞いたんじゃ・・・」
「・・・私のせいなの。」
楽俊が顔を上げると、陽子は追い詰められたように目を逸らした。
「私のストレスが、景麒にシンクロしちゃったっていうか・・・」
「は?」
「だから、私ちょっと思いつめちゃって、それが景麒に影響して、倒れちゃったらしいの。」
陽子は更にうつむいて、つぶやいた。
「楽俊来ないし・・・寂しくて。」
「陽子・・・」
「恥ずかしいよ。私は予王みたいにはならないって誓ったのに、ちょっと会えないだけで、皆に迷惑かけて・・・」
楽俊は陽子の涙をそっと拭った。
「いや、おいらが悪かった。ごめんな。今度の仕事は国家機密で・・それに急だったもんだから。」
「ううん。私だってなかなか国を空けられないのに、楽俊の仕事邪魔してばっかりだし。」
話が堂々巡りになりそうで、楽俊はつと立ち上がった。
「陽子、服貸してくんねえか。」
「あ・・・うん!」
陽子は用意してあった人間用の部屋着を、楽俊の背に着せ掛けた。
人型になり、服を整えて振り返ったが、こうなってしまうと二人とも、変に意識し過ぎて、目を合わせられない。
「なあ陽子。おいらが雁に仕官する時も言ったけど・・・」
「うん。王の贔屓とかない所で、自分の実力でどこまでやれるか試してみたいって。」
「まあ、延王だって過分に良くしてくれてるんだけどな。大学に行かせてもらった恩も、まだお返しできてないし。でも、いつか、景王の側近になっても誰も文句が言えない位の官吏になれたら、その時は堂々と慶に引き抜かれてくるからさ。」
今度は、人型の大きな手で涙を拭われて、陽子はようやく、楽俊を見上げた。
「待ってる。きっとすぐだよ。だって、うちは皆、楽俊の事待ってるんだもん。」
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仁重殿の露台では、一芝居終えた人々が、星空の下でのんびりお茶を楽しんでいた。
景麒が心配そうに尋ねた。
「浩瀚殿。これで楽俊殿は慶に来て下さるでしょうか。」
「いや、雁の方でなかなか手放してくれませんからね。気長に攻めるつもりです。」
浩瀚の懐には「今夜着く」と書かれた楽俊からの文が隠されている。王の心労で麒麟が倒れる病など、本当はない。
鈴が溜息をついた。
「陽子はものわかりが良すぎるから・・・そばに居てって泣いてすがっちゃえばいいのに。」
「あら、そういうのは、かえって引くっていわない?」
祥瓊はわかった様な顔で、夜空を見上げた。
「全く、王様の恋なんて、気が長すぎて見てらんないわね。」
了